一燈照隅

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子供2人失跡 福井の海岸から拉致 北朝鮮工作員

2007年04月09日 | 拉致
子供2人失跡 福井の海岸から拉致 昭和49年、工作船使い

 昭和48年に北海道出身の渡辺秀子さん=当時(32)=と子供2人が失跡した事件で、北朝鮮への子供の拉致と渡辺さん殺害を指揮したとみられる工作員の女(59)らが49年5月から同年夏にかけて、福井県の海岸から工作船で子供2人を北朝鮮に拉致したとみられることが9日、分かった。女が社員として勤めていた対日工作拠点の貿易会社「ユニバース・トレイディング」(東京、解散)の関係者が警察当局の調べに対し供述した。警察当局は裏づけ捜査を進めている。

 また、渡辺さんが48年12月、北海道の実家に「今は大阪にいる」と電話で連絡したほか、49年3月にも友人に「福井にいる」と連絡してきたことも判明。警察当局は、渡辺さん母子の失跡発覚を遅らせるため、女らが電話をかけさせたとみており、母子は48年11月ごろには事実上監禁されていた可能性もあるとしている。

 これまでの調べなどでは、渡辺さんは夫が行方不明となり、48年9~10月、夫が社員として勤めていた同社周辺を捜していた。女らは埼玉県内に住んでいた母子を誘い出し、東京都目黒区内のマンションに監禁。49年にいったん3人を北朝鮮に拉致しようとしたが失敗し、渡辺さんを殺害、子供2人を福井県から連れ去った疑いが持たれている。

(2007/04/09 15:47)


今月4日に報道された新たな拉致事件ですが、この渡辺秀子さんと拉致された敬美ちゃん=当時(6)と剛ちゃん=同(3)の事件ですが、平成12年(2000年)に文藝春秋が記事に書いていました。(石高健次氏の論考「母子『拉致・殺害』北朝鮮工作組織を暴く」(「文藝春秋」2000年12月号掲載)
ジャーナリストの石高健次氏によると、東京・西五反田にあった
貿易会社を舞台にした北朝鮮工作員によって日本人女性が殺害され、その二人の幼児が北朝鮮に拉致された疑いがあるという。

 問題の貿易会社はユニバーストレーディング株式会社で昭和46年6月に設立、東京・西五反田の東京卸売りセンター(現TOC)にテナント入居。社長は表向き日本人社長が就いたが、実際に設立したのは当時の朝鮮総連第一副議長で後に北朝鮮の国家副主席にまで上りつめた金炳植。

 昭和63年5月、よど号乗っ取り犯の柴田泰弘が北朝鮮から潜入して逮捕された際、柴田の入国を手引きしたとして逮捕された夫婦はかつてこの貿易会社に勤務していたのだ。

 殺害された母親の名は渡辺秀子(当時33歳)で、夫はこの貿易会社に勤める高大基。渡辺は半年前から失踪していた夫の消息を求めて昭和49年12月頃、テナント周辺を尋ねていた際、秘密工作組織の存在をばれるのを恐れた工作員のリーダーK・Y子(当時24歳)は渡辺母子を目黒区のマンションに軟禁。

そして殺害後、遺体は山形と秋田の県境まで運び遺棄、残された二人の子供は工作船で北朝鮮に送ったと、殺害現場にいた工作員が暴露したという。

 高は金炳植の腹心の部下としてユニバーストレーディングを根城とする工作員の初代リーダーに抜擢。失踪とされた時期は、実は北朝鮮に召還されていたのだという。

K・Y子は高の後、工作員のリーダーとなったが、同社閉鎖後の79年、彼女の夫となった男性と「10年経ったら帰ってくる」という言葉を残して出国したという。
(國民新聞)

母親を殺害し6歳と3歳の子供を拉致するという卑劣な犯罪です。文藝春秋が書いた時は何もしなかったようです。当時は拉致自体を認めない勢力がかなり居ましたし、朝鮮総連が関係しているので政府も腰が引けていたのだろう。
しかし、金正日が拉致を認めたように少しずつですが時代は変わりました。この二人も拉致認定をしてあらゆる関係を捜査していってもらいたい。