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なんと6年越しの復活。
ケドメ(旧名 ミッチ・ミキハラ/MIC(H))の活動報告拠点にでもしようと思います。

蛇の目でお迎え

2006年07月19日 | 蠶ある一人の妄想録
"バケツをひっくり返したような水"っていいますけど、
その言葉を聞くたびに
バラエティ番組のオチの画をつい想像してしまうのは
オイラだけでしょうか。
こう、外にいる人たちがいっせいに棒立ちで
バッサーーーーーって水被っているような状態。
ああ、見てみたい。


すんません最近疲れがちなんです。
雨や都合で
遊びに外出することもなかなかできないし。

乾燥した夏

2006年07月14日 | 蠶ある一人の妄想録
生まれてこのかた
海外はおろか、太平洋側から飛び出した事も
ほっとんどない人間なんで、
あえて言おう!
"乾燥した暑さ"というものが
まったく想像がつきません!!
"じっとりした寒さ"も同様。

こう、肌が焼ける感じが
ダイレクトにわかる感じなんですかね。
いや、だから何だって言われても
困るんですけどね!!!!

このカテゴリの文体、通常どおりに直す。

2006年04月24日 | 蠶ある一人の妄想録
ふと思ったんですけど、
セレブお金持ちとか呼ばれるような人たちって、
「歯ブラシ」、どんなん使ってるんでしょうね?
そういうところにも
お金がかかっているものなんでしょうか。
歯ブラシなんか、
どんなにがんばったところで
一般に売られているものを超える性能や
豪華さは期待できないような気がするのですが。

同じ日用品でも、
クシだとか、ティッシュ、洗剤などは、
まだお金のかけどころが想像がつきます。
素材にこだわればいいわけですし。
でも、高級な歯ブラシってなんだあ?
象牙や動物のヒゲでできてるとか?
あっても間抜けな印象があるんだなあ。
うーん。

ネットサーフィンしりとり

2006年03月10日 | 蠶ある一人の妄想録
例えばオイラのブログから
ジャニーズのホームページまで、
リンクのみに頼って
たどり着くことができるのかとか。
どれくらいでたどり着くかとか。
これを多人数でやって
たどり着くまでの時間を競うとか。
試してみると案外面白いのではないだろうか。

そうとうヒマじゃないと
やらないとは思うが。

カンシン

2006年01月19日 | 蠶ある一人の妄想録
他の人の肉体に、
自分の意識はそのままに
乗り移る事ができるとしたら、
自分はその体でいきなり自由に歩けるのだろうか。
思考が乗り移る前の自分と同一のものだとしても、
体型、肉付きはそれぞれ別個のものだ。
神経の構造も微妙に違っているかもしれない。
そうすると歩くときのバランス感覚だって
ガラリと変わってくるだろう。
筋肉のつき具合に差があればなおさらだ。

なんのへんてつもない石っころを
鉛のような重さに感じたり、
とても持ち上げられそうにないと思っていた岩を
ちょっとした木材くらいの認識で
取り扱うことができるかも知れない。
「こんな体で、こいつは毎日生活していたのか!?」
と言う感想を、誰しもが持つ事になると思う。

第三者から目に見える差がなくとも、
実はそれぞれの感覚において
本人の肉体になってみないとわからない
決定的な個人差があるかもしれない。
自分が今"赤"と認識している色は、
他者の肉体を通してもやはり"赤"なのか。
"甘い"と感じていた味覚が、
他者の肉体では"辛い"と感じたりはしないか。
音の高低の、強弱の幅が、
自分の肉体で感じていたものより
大きく感じられはしまいか。
"耐えられない痛み"の線引きは、
どこからになるか。





牛乳から青汁の味がしたら
つらいだろうなーと思った。

よく物をなくす

2005年12月07日 | 蠶ある一人の妄想録
またもやハンコを無くしてしまった。
毎度毎度定位置にしまっておいてあるはずなのに
なぜ無くしてしまうのだ。
ハンカチや靴下も、
気がつけば数が減っていると言う事が少なくない。

これはもう、なくし物の精霊や妖怪などがいて、
我々のスキを絶妙について
存在そのものをこの世から消し去っているに違いない。
どれだけ気を付けようが、
我々の記憶に絶対などないのだから、
その精霊や妖怪の正体を暴かぬ限りは
泣き寝入りをする他にない。

間違っても自分の管理能力のなさに責任はないのだ。
間違っても自分の管理能力のなさに責任はないのだ・・・

もし自分が空を飛べたら

2005年11月19日 | 蠶ある一人の妄想録
妄想というか夢にも見る事があるけれど。


大抵の人は、"空を飛ぶ"というフレーズを耳にすれば
大空を自由に飛び回るイメージがあるかも知れないが、
自分の場合は、地面から数メートルも離れられない
飛び方になってしまう。
夢でも、上空に飛び立ったというシチュエーションは
あまり見たことがない。

そして、空を飛ぶためには
かなりの体力と集中力を要するため、
あまり高いところに行ってしまうと
何かの切っ掛けで墜落したときに
取り返しがつかなくなる。
そのための低空飛行でもある。
その上、自分は空の飛び方がかなり未熟で、
壁蹴りなどをうまく活用して飛ぶしかない。

そんな身であるからして、
空が飛べることのメリットは
あんまり無いと言っていい。
ただし、そんな状況でも
現実に宙に浮く事のできる人間は、
あくまで自分ただ一人のみなのだ。
そして、そこにもメリットはない。
宙に浮けることが世間に知られてしまえば
たちまちマスコミが大騒ぎを起こし、
最悪の場合、どこぞの研究機関にでも
連れ去られてしまう恐れがあるからだ。

どこぞの夢判断にでもかけられれば、
「欲求不満」とか
「リスクを恐れて前に進めない自分」とか
テキトーな結果を言い渡されるに違いない。
ただ、この夢があるんだか現実的なんだかわからない
妙なバランスは、自分は結構気に入っている。

見えないクルマ

2005年11月02日 | 蠶ある一人の妄想録
小学生のときの妄想。


見通しのいい道路で、
いっさいの車が通っていない状態でも
人間が渡ろうとすれば、
向こうから常識を外れたスピードで
車が突っ込んでくるかもしれない。

その車というのは
とある国の地下研究所でひそかに開発されていた
究極のハイテクスーパーカーで、
人の目で追う事はできない。
そして信号の情報は瞬時に読み取り、
自動的に止まる事ができる。

その試作品が完成したというので
公道で実験してみようということになり、
車通りの少ない道路でそれは行われる。
だがしかしその車には
障害物の認識の仕方に欠陥があり
実験に使われた道路をたまたま通りかかった僕は
車に吹っ飛ばされて即死してしまうのだ。

そうはなりたくないので
赤信号は断固として渡らない。
横断歩道が見えるかぎりは
どれだけ交通量が少なくとも
道路を横切ることはしない。
とはいえ、横断歩道がとても見えないような
人通りの少ない箇所では
ハイテクカーの実験にふさわしくない場所だと
開発者たちは判断するに違いないので(なぜだ)
割り切って渡ってしまうことにする。



実は今でも0.0000000000001%くらいは信じている、かも。
しかし赤信号をみんなで渡れば、
死ぬのは自分ひとりじゃないので
さびしくないからいいのだ。と言うことにしておく。