ひとり気ままに

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静岡浅間神社

2012-08-26 18:43:14 | まち歩き
静岡浅間神社に行ってきました。

場所は知っていましたが、あまり本などで紹介がないのか本殿がどんな感じなのかまったく知りませんでした。

正面の鳥居は道にあります。
ここを左折したのですが、鳥居の左側を通りました。
「えっ、鳥居の下をくぐらないの?」
「事故るよ」

右折車は鳥居をくぐって右折するのですが、左折車横を抜けるのです。
自分で運転していなくて良かった。
Dscf3864

駐車場の都合で、浅間通りの赤鳥居から入りました。
浅間神社のご由緒を見ると、

神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)と申し上げる。

との記載があります。

赤鳥居から入ると、最初に出迎えてくれるのが「大歳御祖神社」こちらも立派な神社です。
そして、八千戈神社ここの彫刻は素晴らしい。
Dscf3866

この彫刻の感じどこかで見たことがあります。

ぐるっと回って、先ほどの石鳥居側から入ります。
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立派な楼門にも、たくさんの彫刻があります。

そして舞殿
Dscf3872

社殿中唯一素木造りです。
私的には、こちらの方が好きです。

そして拝殿
Dscf3877

Dscf3876

ここは、浅間神社、神部神社の2社が本殿にお祭りされています。
神部神社は登呂遺跡の時代からの、この地方ではもっとも古い神社だと伝えられています。

ここはあまり浅間神社の感じがしません。
神仏習合がされていた場所ですし、徳川家の色をとても強く感じます。
ご由緒を見ると、社殿の造営については、今川家や武田家が造営し、徳川家康が武田家戦略の戦勝祈願をし、平治後に必ず再建すべく祈誓を為して社殿を焼き払い、武田家を攻め滅ぼしその後再建をしたそうです。
また、家光公上洛の折、社殿の修造を命じ、日光東照宮や浅草寺などを手がけた方が携わったそうです。
その後、町方の出火により社殿にも延焼しましたが、長い年月と、多額の費用を投じて、現在の社殿群ができたそうです。

家康公の感じがぷんぷんするわけです。
まだ、日光東照宮に行っていませんが、あそこもこんな感じなのでしょうか。

ところで、この最後の修復の時に多くの有名な大工や塗師方の子孫、また全国より優れた職人が集められました。
特に彫刻には信州諏訪の立川和四郎親子三代や弟子一門が携わっています。
そのため、静岡の神社仏閣の彫刻はすばらしいものが多く残され、また木工・模型・漆器などの工芸品を手がけるようになりました。
現在、静岡県が全国一のプラモデル産地となっているのはこのためです。

ここも、あやふやな気持ちではなく、やり遂げたいことをきちっとお願いすると、後ろから押してくれる神様だと思います。
最後の神頼みには良いと思います。





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