愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

城の会学習会 in鯖江市

2018年08月20日 06時54分16秒 | 日記
8月19日、福井県鯖江市で若越城の会の学習会がありました。テーマは、「平泉町」です。平泉とは、岩手県にある中尊寺金色堂で有名な平泉町です。講師の方は、その平泉町の研究者、八重樫忠郎(やえがしただお)氏です。

お話は、東北の武士(「つわもの」と呼ぶそうです)の館(「たち」と呼ぶそうです)がどのように形成されてきたか、という内容でした。

初めてのお話なので、全部理解することは困難でしたが、聞きながら次のようなことを思いました。

館の姿と前方後円墳は似ている

大鳥井山遺跡(学習会資料から、赤丸、青丸は付けたし)

これは秋田県にある大鳥井山遺跡の図で、平安時代の豪族清原氏の居城跡と伝えられているそうです。図の黒い太い部分は堀や土塁でかなり大きな規模だそうです。

図の赤い丸の部分は大鳥井山と言って、小高い山になっているそうです。また青い丸の部分は小吉山と言ってなだらかな丘陵になっているそうです。赤い部分はどうやら宗教的な場所になっていて、青い部分が政治を司る場所になっていたのではないかとおっしゃっていました。

この形状が私には前方後円墳に思えてなりませんでした。だから逆に前方後円墳は、全部が祭祀のための場所ではなく前方部分は政治の場所として機能していたと推測できるなあと思いました。

堀は弥生時代に環濠集落に存在した
次に、この大鳥居遺跡もそうですが、大規模な堀や土塁が館の周りにめぐらされていることが紹介されました。

大鳥居遺跡の堀(秋田県横手市ホームページより)

同時に、これらの館は平安時代の地方長官国司の館をまねて造られたのが始まりだと言及されました。

「東北地方では官衛の模倣が館へと発展」
「官衛の囲郭施設が堀へ変化」
(学習会資料より)

でも西日本では弥生時代に環濠集落ができていて、集落の周囲には大きな堀が巡らされていました。私の知っているところでは、愛知県でも清州の朝日遺跡、名古屋市南区の見晴らし台遺跡などでも環濠の存在が確認されています。なので、戦争状態にある環境では防御の施設として堀を巡らせるのは、西日本では弥生時代からあったと考えられます。

東日本の豪族清原氏、源氏、藤原氏も元をたどれば弥生人だと思いますので、防御施設としての堀は、もっと古くからあったのではないかなと思いました。

中尊寺金色堂
さて話は中尊寺金色堂の話になりました。仏さまが1体ないという話、柱を修復するのに何億もかかっているという話、世界遺産になるときに考古学的な復元遺跡も対象になったという話など、ここでしか聞けない話を伺いました。

中尊寺金色堂(平泉町ホームページより)

秋の見学旅行は、この平泉を含む東北の旅行だそうです。楽しみになりました。

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2 コメント

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Unknown (城歩きマン)
2018-08-20 08:54:57
学習会に参加していただき、お疲れさまでした。

11月の研修旅行の予備学習会とはいえ、今までになく毛色の変わった話になって、とても興味の持てる内容でした。

講師の先生から、秋の研修旅行でも遺跡のご案内をいただけるということですので、ぜひ楽しみにしてください。
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秋の見学会が楽しみ (midorishako)
2018-08-20 10:24:52
城歩きマンさん
コメントありがとうございます

岩手県は未踏の地です。
世界遺産である平泉は是非とも訪れてみたいところです。
今回は、中尊寺だけでなく東北の城郭について詳しくお話があったので、勉強になりました。ありがとうございました。

秋の見学会を楽しみにしています。
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