松平記p76
翻刻
物も不叶、降人に成。荒川甲斐殿も没落有。是ハ家康兄弟の
よしミ有しか共、両度の敵と成しかハ、免し給ハさる程に、
浪人して河内国にて病死し給ひしと聞えし。東条義昭も
不叶、東条を明渡し近江国へ浪人し、佐々木承禎を御頼被
成けるか、芥田川の城にて討死被成候。酒井将監計上野に
籠り石川日向守と日夜せり合給へ共、一国皆敵に成けれ
ハ、終に不叶、永禄六年九月六日攻落され、将監ハ駿河へ落
行給ふ。しかれとも味方にも石川同心、北林、金田、其外のよ
き侍二十四人、爰にて将監方へ打とられける。将監殿酒井
の惣領なれとも子孫皆絶ける。
現代語
(松平監)物もかなわず、降人になった。荒川甲斐守も没落した。これは家康の兄弟の縁者であるが、2度敵となったので、許されることはなく、河内国で病死したと聞いている。東条義昭もかなわず、東条城を明け渡し、近江国に浪人し、佐々木承禎を頼ったが、芥田川の城で討死した。酒井将監だけは上野の城に籠り、石川日向守と日夜せり合ったが、国中が皆敵となり、ついに叶わずして永禄6年9月6日に攻落した。酒井将監は駿河へ落ちて行った。しかしながら、味方に石川同心、北林、金田、そのほか有能な侍24人が将監に討ち取られた。酒井将監は酒井家の惣領であったが、子孫は皆途絶えてしまった。
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