愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(46) 松平記

2023年04月13日 06時58分52秒 | 松平記

松平記 p46

翻刻
一揆なんど招き寄、後詰の合戦を初め、松永武勇第一の剛
者にて畠山高政を攻破り追討、よき者を討捕、高政ハ堺へ
引湯川ハ河内のこん田へ落けるを松永衆追詰討捕、根来
衆大将岩出坊大和の信貴の城本にて討れにき、畠山方六
千余騎うたれ三好運をひらきける
一 近江国の国主六角義治、飯盛の寄手と一味し江州半国の
軍兵を引具し援軍、地蔵の山に在陣し其勢四万余騎、先陣
ハ日野城主蒲生右兵衛大夫一万余騎摂津表に打出る、又
公方義輝卿ハ三好御一味にて八幡山に御動座の間、京中
にハ御当主居の衆少ならてハ無之、佐々木此大勢にて洛

現代語
(松永久秀は、・・・城を出て方々の)一揆などを招き寄せ、後詰めの合戦を始めた。松永は武勇第一の剛者で畠山高政を攻め破り追い討ち、名のある武将を討ち捕え、畠山高政は堺へ引き、湯川は河内のこん田へ逃げていたのを松永の軍勢が追い詰め、討ち捕えた。根来衆の大将岩出坊は大和の信貴の城にて討たれた。畠山勢は6000騎余りが討たれ、三好は運を開いた。
一 近江国の国主六角義治は飯盛城攻撃の一味となり、近江国半分の軍兵を引き連れて援軍した。地蔵の山に在陣し、その軍勢は4万騎余りであった。先陣は日野城主蒲生右兵衛大夫が一万騎余りで摂津方面に出た。また将軍足利義輝公は、三好と一味して八幡山に出陣されたので、京には留守の兵が少なくなり、佐々木はこの状況において(洛中をとってしまおうとしているのに・・・・)

コメント
引続き京都周辺の情勢が書かれています。前半は松永弾正久秀が畠山高政を破った戦いの様子、後半は六角、蒲生、足利義輝などが登場します。一連の戦いだと思います。なかなか込み入っていますので、いつか整理したいと思います。
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