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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ほほう!パリのアパルトマンでは大きな家具はこうして搬入搬出するのか!

2021-11-21 09:21:37 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

朝食後エリックにお礼を言って別れ、イザベルと一緒に向かったのは、まず「パリに一軒家がある地区があるのよ」ということで、ビュットショーモン公園の近くだった。

そこはミッシェルさんの家のすぐ近くで、実はミッシェルさんの奥さんのJクロードの案内で一緒に行った事があったのだが、何回行ってもいいので、それは伏せて楽しむことにしたのだった。

Jクロードと行ったところより少し外側の大きなビルが立ち並ぶようなところの近くまでも行ってみた。

そして、ビュットショーモン公園を散歩。

お昼は「サンドイッチを買って公園で食べる?」と言ったら、「いい考えね」とイザベルが言った。

 

お昼を食べた後は、トイレ休憩もかねて近くのカフェに入った。

その後2019年のクリスマスにサプライズでミッシェルさん夫妻とランチをすることになるカフェなのだが、彼らもお気に入りの店だった。この時、この辺りでふらっと入ったにしてはいい選択だったのかもしれない。

 

次に向かったのはモンマルトル。

 

久しぶりだ。モンマルトルは最初のころはプチホテルに宿泊したり必ず訪れる場所だったが、ここ数回は訪れる機会はなかったので、嬉しかった。

 

ケーブルで上り、丘に着いたとたん物売りがやってきたが、イザベルが追い返してくれた。切符売りだったと思う。

何度も行ったテルトル広場、ラパンアジルもあるが、壁抜け男の場所、ピカソの住んでいたところなどまだまだ知らなかった初めてのところもあった。

ここで昔ランチを取ったことがある小さな店↓

壁抜け男↓

そんな時目に飛び込んできたのは、家具の搬出場面だった。大きな家具を窓から下ろしていたのだった。

フランスのアパートは古いところや小さな入り口や階段、またエレベータなしのところが多いので、気になっていた。

そうか、このようにして出し入れするのか、とその様子を興味深く見た。

 

またモンマルトルの下で少し休憩をするためカフェに入った。

イザベルはアメリカ系の会社で働いていて、日本の富士通でも一時その会社の関係で働いていたことがあるのだが、結局解雇され、この時は数学の教師を目指して大学へ通い、勉強中だった。今は高校の数学の教師として働いているそうだがが、コロナ禍でオンラインが続き苦労していると聞いている。

その後は、モンマルトルからムーランルージュを通り、パリの中心部、証券取引所のあたりまで歩いた。下りだったので、疲れもなく、きっとあまり治安がいいところではないのかもしれないが、初めて歩くなかなか面白いコースだった。

 

トリニテ教会という初めてみる教会の近くのメトロ駅でお別れをした。

ギャラリーラファイエットに横付けされる大型バスを降りて並ぶ中国からの観光客に驚く↓

トリニテ教会↓

証券取引所↓

地下鉄一本でアパートまで帰れる。

 

今日の夜もディナーの約束が待っていた。

リヨン駅近くのブルトン家族である。こちらもパリでは珍しく、一軒家ということで楽しみだ。借りているマリーアンジュのアパートからはバスで一本で、とても便利だ。

 

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サービス精神旺盛のエリック!!

2021-11-20 08:45:29 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

さて、一旦アパートに戻り、パン屋さんで買ったケーキを少し食べて、今夜の夕食の約束のエリック夫妻のところに行く準備をする。

夕食の招待なので遅くなることが考えられ、エリックにも一泊だけさせてほしいとお願いしていた。

 

ポルトドヴァンヴという蚤の市が開かれる駅のすぐ近くだ。

 

到着すると懐かしい二人が待ってくれていた。2010年以来なので、4年ぶりの訪問だ。

このエレベーターが好き↓

この二人には、家に人を呼ぶとき、大きな家や部屋の必要もなく、おもてなしの心が大事だということを教えてもらって、そのことにいつも感謝している。

 

親戚関係レベルに限りなく近い二人であるので、気を遣うこともない。2007年、2010年に続き三度目の訪問になる。

 

彼らは最初の訪問時の時もそうだったが、自分たちの寝室を明け渡してくれ、自分たちはロフトの上のソファ(延ばすとベッドになるタイプ)で寝ている。

しかも夜中トイレに行くときは、その彼らの寝ているところを通っていく必要がある。

申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それでも行きたくなる二人の温かさなのだ。

東日本大震災の一年前、東北旅行をした彼らは、ずっとその地に思いを寄せてくれているようで、こんな本も↓

今回もエリックが料理担当で準備をしてくれているようであった。

しかも今日は彼らの友人夫妻がやってくるとか。

日本料理好きの彼らが出してくれた枝豆↓(少しピリ辛)

 

理系のエリックだが、とてもひょうきんでいつも笑わせてくれる。

この日も友人夫妻とお腹を抱えて笑うような楽しい夕べだった。

作務衣の様な格好をして、サムライのようなポーズをしたり、とにかく彼は面白い。

そしてとても優しさを感じるユーモアなのだ。

 

お礼に、折り紙レッスンを↓

みんな大満足↓

翌朝失礼する予定だったが、奥さんのイザベルが休みなので、散策に付き合ってくれるという。楽しみな一日になりそうだ。

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ノートル・ダムから左岸散策で束の間ののんびり時間

2021-11-19 08:35:04 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

シャトードヴァンセンヌを後にして向かったのは、ノートル・ダムから、左岸のサンジェルマンデプレ。

立派なパリ市役所だ↓

数日前、フランソワーズ夫妻と来たレストラン↓

 

ナポレオンのレストランにフランソワーズ夫妻と来たが、最近左岸をゆっくり散策することがなかったので、リュクサンブール公園などで少し休憩したり、エブリンがおすすめだというレストランやカフェのメモを参考に見てみようと思っていた。

彼らはパリに来るとき到着するパリモンパルナス駅に近い、左岸のこの界隈によく来ると言っていた。

サンジェルマンデプレ教会↓

フランス好きの友人から「日本のと違って、とてもおいしい」と教えてもらったので、トマトジュースを↓

 

有名なカフェで、日本の家族や友人への絵ハガキを書いてみた。

帰国した時と、このはがきが着くときとどっちが早いかくらいの時期だったが、自宅へも出した。フランスから出した絵葉書が届いていたらそれもまた嬉しいことなのだ。



紅茶を買おうと小さな店に入ったら、店員の若い女の子が、片言の日本語を使ってくれた。

日本が好きで、行ってみたいということだったので、少し話をした。

やはり来るたびにそのような親日的なフランス人が増えていることを感じる。

行けなかったけど、エブリンがおすすめの昔ながらのレストラン↓

 

リュクサンブール公園↓ (遠くに修復中の白いクーポールが見えるパンテオン)

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日本の洗濯機とフランスの洗濯機はどう違う?

2021-11-18 09:37:28 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

図書館夫妻の夕食の招待から戻り、昨夜はパリで借りているマリーアンジュの家族のアパートで3日目にして初めて眠る夜だった。

 

朝起きて、マリーアンジュに教えてもらった美味しいパン屋さんに出向き朝食のパンを買った。

フランスのパンをいろいろ試してみたくても日本サイズより大きいものが多いので、なかなか思うように試すことができないのが残念である。

ヴィエノワズリーというオーストリア由来のパン、つまり甘いパンが美味しいというパン屋が近所にあり、ここで朝食をとるときは何度かその店に行った。

朝食後は、洗濯機を回してみる。使い方を聞いてはいたが、うまくいかず早速マリーアンジュに電話でSOSを出し、いろいろ聞きながらあれやこれや触っていると、動き出した。

フランスの洗濯機は(たぶんヨーロッパの洗濯機全般に言えるのであろうが)とても時間がかかるのが難点である。

しかしスイッチ一つでお湯の温度設定ができるのが何より素晴らしい。

日本の洗濯機は汚れ落ちは洗濯機ではなく洗剤で、という方向らしい。そして時短が売りだそうだ。

その点、欧米のものは時間はかかるがしっかり汚れを落とすというのが洗濯機の役目ということだ。

私は、この欧米型の汚れをしっかり落とすというのが魅力に思えるのだが、普及しないところを見ると時短を求める人が日本は多いということかもしれない。

また毎日洗濯機を回すのも日本ならではである。

ヨーロッパは水の資源不足から、毎日回すような家族にまだ会ったことがない。

だから友人宅で洗濯物をお願いするときは、とても気を遣うのだ。

まとめて数日に一度お願いするのが精いっぱいである。

 

さて、洗濯も終わり、今日は夕方まで珍しくフリーである。

以前来日した夫妻でジャンルイさんの友人でもあるシャトードヴァンセンヌの夫妻は「アパートを使って」と言っていた。そこはビジネスでされているので、いつか長期滞在の時借りる候補として、場所を確認するために、シャトードヴァンセンヌに向かった。(2019年12月に数泊だけ宿泊することになる

市役所↓

駅からは徒歩で15分くらいだろうか。

わかりやすい道で安全そうな町に思えた。

その家は写真で見た通りの家だったが、なぜか最初は通り過ぎたり、探し出せなかった。

 

駅からちょっとした公園のような広場を抜けるので、夜遅くなったらどうかなという不安はあったものの、日中に関しては問題なさそうだった。

せっかく来たので広場の前のカフェに入り、トイレ休憩もかねてお茶を飲むことにした。

シャトードヴァンセンヌのお城の方へ行ってみる。

 

今日も夕食の予定があるので、お昼はカットしてお腹を休めておこうと思った。

 

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アニーたちと無理やり分かれて、後味が悪いまま、次の約束へ

2021-11-15 09:41:59 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

アニーたちと散策スタート。

パッサージュを通り、パレロワイヤルの方へ向かうことになるのだが、その辺りくらいまではなんとか、ギリギリ夜の約束に間に合いそうだと思っていた。

途中から気が気ではなくなってしまい、「ごめんなさい。そろそろ帰りたい」と言ったが、「まだ早いわよ」という。

次の約束があることを言いそびれてしまっていたので、さらに私は窮地へ追い込まれていくような感じさえしていた。



しかし、アニーはまだまだ紹介したいところがあったようで、コメディフランセーズ、マドレーヌやオペラまで行こうとしていた。

少しは一緒に歩いたのだが、「夜遅くなるとメトロに乗るのが怖いので」とも言ったが、彼女はご機嫌が段々悪くなっていった。

結局アニーはコーラスの予定の時間までまだあったので、ここで別れることになり、ブルーノが私と一緒に地下鉄に乗り、途中まで一緒に帰ることとなった。

「今度は、もっと泊まるように来てね」と言われ、別れたのだが、後日談として、ご主人のいとこのクリスチャンの話によると「彼女は、異常にメトロを怖がっていて、変だった」とアニーが言っていたらしい。(フランス愛が強い私が、苦手としているのが、メトロなので、あながち間違いではない。何度のっても緊張する。)

クリスチャンは「日本は治安がいいので、夜のメトロに不安なんだろう」と弁護してくれたようで申し訳なく思った。

 

ちゃんと最初に次の約束があることを伝えておくべきだった。

ランチに遅刻してしまったこともあり、できるだけその分長くいたつもりではあったのに、言えなかったばっかりに、こんなことになってしまったのだ。

今でも悔やまれる。

 

おまけにそこまでしても、やはり次の夕食の約束にも遅れてしまったのだ。

しかも彼らへのお土産の準備、そして昨日からの荷物を置いておくためにも一旦アパートに帰らなければならなかった。

 

ただ、そこで待ってくれていた図書館夫妻は、遅れる旨のメッセージを送った時、「大丈夫だよ、気にしないで」と、温かく迎えてくれた。

 

初めて降りる駅だったが、迷わず到着できた。このアパートに入った時すれ違った住人を見てもわかったが、かなり立派なアパートだった。

2009年に日本であったときとは,夫妻の雰囲気さえ全く違ってみえた。

決定的なのは、息子さんと挨拶したときだった。大学生だという息子さんは、挨拶だけでも

育ちの良さがうかがえる青年だったのだ。

 

聞けば、奥さんのジュヌビエーヴは、失礼ながら全くそうは見えないのだが、貴族の末裔らしい。

そんな話や、昼間の疲れや、緊張のあまり、ここで写真を撮ることをすっかり忘れてしまっていた。残念な限りである。

 

ご主人のドゥニは、来日したときと何ら変わらず、「もし時間があればもう一度会いましょう」とまで言ってくれ、「日本人は狙われやすいから、ここは安全な場所だが、メトロに乗るのは危険もある」と、車でアパートまで送ってくれたのだった。

 

そう言う感覚を持っているフランス人は極めて少ないのだが、まさに私がいつも危惧していることだったので、ありがたいことだった。

 

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