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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ノートル・ダム、マカロン、そして雨。

2021-11-28 12:21:22 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

そして、昼食後、散策に向かった。

歩いて数分で大聖堂がある。ノートル・ダムだ。ヴァンサンはパリのノートル・ダムをいつも「ノートルダム・ド・パリ」と言って、日本語でも「パリのノートル・ダム」と言うので、アミアンの人にすると、何もつかないノートルダムはアミアンということなのだろう。

大聖堂の中はラビリンスがあって、ここを歩くと巡礼をしたことになるということだ。日本にも似たようなものが高野山や宮島でもあったなあと思った。

 

大聖堂の前には、アミアンのマカロンの店があった。マカロンも日本で周知されているのは、パリのマカロンだ。パリのマカロンとはあ違ういかにも素朴なマカロンが、バスクにもあったし、アミアンにもあった。ナンシーにもあるそうだ。

 今年の渡仏がキャンセルになり、失意の私を慰めるためにエリザベットが送ってくれたそのアミアンのマカロン↓

ヴァンサンの結婚式にも出されていた。

 

アミアンには運河もあり、そちらの方へと向かった。しかしあいにくの雨。雨脚も強くなり、ヴァンサンはいったん帰宅した。

両親が案内を続けてくれた。

晴れていたらまた景色も違って見えたであろうと残念な雨だったが、アミアンはパリからも近く、また徒歩圏であちこち散策もできるし、住みやすそうだなと思うくらいいい街だった。

ただ、北部の町は曇り空が多いというのが、難点だとヴァンサンが言っていたことが思い出される。

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パリ北駅からアミアンへ

2021-11-27 09:28:19 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

久しぶりのミッシェルさん宅の朝食は、最近パリにできたイギリスのスーパー「マークス&スペンサー」で買ったというお茶やパンで、奥さんのJ・クロードがお気に入りのようだ。 イギリスらしく、マフィンもあった。それは日本でもおなじみのアメリカのだと思うが、フィラデリフィアのクリームチーズも好きなようだ。

ミッシェルさんに送ってもらって向かったのは、パリ・北駅。↓

名前の通り、北へ向かう列車の発着駅で、イギリス、オランダ、ベルギーなどへの国際列車も乗り入れている。そういう駅は、不法入国者など警戒のためもあり、軍の警察が銃を持って歩いている。

これが、タリスと言う国際列車で、ベルギー・オランダ方面へ向かう列車。↓

パリから1時間少しでアミアンに到着した。

待っていたのは、ヴァンサンとその両親だった。両親とはこの時、初めて会った。ヴァンサンは、なんとスキンヘッドになっていたがよく似合う!!!

2010年にリールと言う北部の町に行った事があるが、北部の町の中ではリールと並び、有名な観光都市である。

 

 

 

ヴァンサンは駅から歩いて数分の便利なところに住んでいた。

日本人はきれい好きと思われているらしいので、お父さんのアランがアパートの階段まで掃除をしてくれたと言っていた。(私は埃では死なないと思っているくらい掃除が苦手なのだが)

 

さっそくお母さんのエリザベットが腕を振るってくれた手料理をいただく。

 

メインは確か七面鳥と言っていた気がするが、鶏肉との違いがあまりわからない私だった。

 

デザートのフルーツの盛り付けも素晴らしかったが、付け合わせ?のように作られたケーキは、フランスのいわゆるスポンジケーキといったところで、ジェノワーズというものだが、これがとても美味しかった。

 

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頑固で温かいエスカレーターと散策後、ミッシェルさん宅へ

2021-11-25 10:06:44 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

そして二コラの案内で、今回ブルーノ夫妻とも歩いたパレ・ロワイヤル、パッサージュ、ルーブルの逆さピラミッドまで歩いた。

あっという間に帰りの列車の時間になったので、リヨン駅まで送ることにした。

すると、ここに二コラのお父さんで、エスカレーター夫妻の息子のジャンピエールが、車でやってくるという。

パリに来た両親に一目会うためと、息子の二コラを迎えに来たのだった。

そして、ここからは簡単にバスで帰れるというのに、エスカレーターはジャンピエールに私をアパートに送っていくように命じたのだった。

 

本来ならみんなでホームまでエスカレーター夫妻を見送れるのに、だ。

車の駐車場で「私たちはいいから」と逆に私を見送ってくれたのだった。




このおっちゃんは、本当に頑固で難しい面もあるが、やっぱり心温かい人で、いつもほろりとさせられる。

 

借りていたアパートの前までジャンピエールと二コラに送ってもらい、お礼を言って別れた。この時、初めてジャンピエールに会ったのだが、2019年には、やはりエスカレーターの命により、彼にお世話になり、大ストライキの中の訪仏が可能になったのだった。

 

さて、アパートに戻った私だが、今日はこのアパートとお別れの日で、ミッシェル夫妻の住むビュットショーモンへ移動することになっていて、ミッシェルさんが迎えに来てくれた。

アパートの鍵は後日、マリーアンジュ家族がバカンスから戻ってきたときに返しに来る予定だ。

 

ミッシェルさんはこの辺りに住んでいたこともあり、とても詳しいらしく、懐かしいと言っていた。

 

今夜は、ミッシェルさん夫妻と久しぶりに夕食だ。簡単なものをと言うリクエストで用意してもらった。スープとピザと、デザート。

サルラから帰って少し話したが、きょうはゆっくりアパート暮らしの経験、パリでの滞在など、彼らに話をした。


*********************

コロナが終息して、このエスカレーターに早く会いに行きたいものだ。「来春、そろそろ行こうかと思う」と一ヶ月ほど前に連絡したら、「7月末までは衛生パス(ワクチンか陰性証明)が必要だから、考え直した方がいい」と言われてしまった。ワクチンを打たないエスカレーター夫妻は生活に制限がされているが、辛抱強く耐えていると言ったところ。いったいいつになったら会えるのだろうか。

 

 

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ディジョンからパリにきたエスカレーターとクレヴァン蝋人形館へ。

2021-11-24 09:36:31 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

今日はエスカレーターに会う日だ。

いつものパン屋さんで買ってきたパンを食べて、待ち合わせの場所へ向かう。

待ち合わせは南方面の列車の発着駅のパリ・リヨン駅。

そのホームにある有名なレストラン、トラン・ブルーの前だった。

今回はブルゴーニュを訪ねる時間がないことを告げたとき、「パリまで会いに行くよ」ということになった。エスカレーターはフランス国鉄に勤務していたので、退職後も国鉄乗り放題の特権をもっているため、TGVと呼ばれる新幹線の列車で1時間半ほどで来られるパリにはちょくちょく来ている。

ちなみに家族もその恩恵があるので、もちろん奥さんも一緒だ。

 

昨日も乗ったバスに乗ってリヨン駅まで来て、レストランの前で待っていたら、「来た!来た!」

私を見つけると満面の笑みで嬉しそうにし、すぐに撮影だ。

写真が大好きなのだ。

そして、美術(芸術)好きのエスカレーターが、主な美術館はだいたい訪問している私に選んだのは、ロンドンのマダムタッソー館のような?蝋人形館、クレヴァン美術館だった。

リヨン駅からメトロに乗って移動した。

この美術館は入場料が高いのだが、すべて事前にネット予約をしてくれていた。

面白い物が大好きなエスカレーターは、題材になりそうな人物を見つけては、横に並べと、写真を撮ってくれたり、本来は子供のための王族が着るようなケープでさえ、写真のため、着るように言い、その通りにすると大喜びなのだ。

ただの蝋人形が並んでいるだけでなく、演出もこっているので、結構大人も楽しめる。

そして、美術館を出たところで、孫の二コラも合流するという。

一緒にランチの予定だ。

若い二コラが選んだ店はカジュアル系のお店だった。

お昼時とあってビジネスマンがたくさん来てにぎわっていた。

ブルゴーニュ土産を例によって、テーブルに並べてくれた。ディジョン名物マスタードにワイン、フォアグラ、パンデピスと呼ばれるケーキなどだ。

ここは私がごちそうさせてもらうことにした。

 

 

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もう一人のイザベルとリヨン駅近くの一軒家で会う。

2021-11-23 09:17:40 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

イザベルと別れて、アパートに戻り、向かうのは、リヨン駅近くに住むブルトン人エルワンの家族のところだ。

 

この家族とのかかわりは、2009年の旅行で、ブルターニュのケレンマに住むマルゴとパトリック夫妻を訪ねた後、パリに戻るTGVでエルワンの両親と偶然向かいの席に座ったことから始まった。

つまり両親はパリに住む息子のエルワン家族(特に2人の女の子の孫)に会うためにTGVに乗っていて、パリモンパルナス駅についても、タクシー乗り場まで一緒に歩くほど,意気投合した感じのいい両親だったのだ。

両親、お母さんの方だが、彼女とメールのやり取りをしていて、この出会いの数年後来日するというエルワンと奥さんのイザベル夫妻の奈良案内をすることになったのだ。

 

そして、その来日の数年後の2014年、パリで再会になる。

奥さんのイザベル(昼一緒だったイザベルと偶然同じ名前)は、コルシカ島の出身で、フランス人の中でも、ブルトン人は、コルシカ人、アルザス人、バスク人と並び、特別な文化を持った地方になる。

この奥さんのイザベルは来日時から温かさを感じる人で、「パリの来たら、ぜひ来てね。泊まってね」は、まあ良くあることとしても、春に来日したその夏の前にメールで、「バカンスで一ヶ月留守にするから、よかったら家を使って」と言ってきたのだった。

夏は航空運賃が高いのでほとんど行くことがないのだが、今にして思えば高い航空運賃を払ったとしても宿泊代を考えると、とてもありがたい申し出であることがわかる。

 

そんな家族の家を訪問するのに、まずアパートからバスで一本のリヨン駅まで行き、そこから徒歩数分。

パリ市内でめずらしい一軒家は昨日もビュットショーモンで見たが、それはかなりパリの外側であった。

ここはパリの中心部から遠くない大きな鉄道駅のすぐそばで、聞いてはいたが、本当にびっくりした。しかもカラフルでとても可愛い通りだった。

再会を祝って乾杯。そしてイザベルの手料理。

このイザベルの温かさは、ここでも感じる。私がアパート暮らしをしているというと、残りの料理やデザートをタッパーに入れて持たせてくれたのだった。もちろんそのタッパーは日本に持ち帰った。今もそれを見るたび、彼女のことを思い出される。

お礼にここでも、折り紙レッスンで、娘さん二人とイザベルは大喜びだった。

この時小さかった娘さんの長女は、20019年春にこの家を貸してもらった時、大学生になっていて、2019年には私の失敗で怖がらせてしまった二女の方も高校生になっていた。

二人ともブルトン由来の名前で、フランス人の名前と違ってなかなか覚えられないのが残念だ。

 

すっかり夜も更け、帰宅はエルワンが便利に帰れるメトロ駅まで送ってくれたので、遅い時間のメトロにちょっと不安だったが、スムーズに帰れた。

いよいよ明日は、ブルゴーニュからエスカレーター夫妻がパリにやってくる日だ。

 

まだまだ私の大臣並みの?超過密スケジュールは続く。

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