箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもはいずれ離れていくもの

2015年10月21日 17時04分57秒 | 教育・子育てあれこれ

三中では昭和48年(1973年)の開校時は全校で10クラスでした。その後昭和60年代の30クラスの最大の時期を経て、今年度が15クラスとなっています。これ一つとってみても、日本では少子化傾向が進んでいるということは、いまさらあらためて言うまでもない、周知の事実です。

ところで、いまから70年以上前の日本社会では、一つの家庭に6~7人の子どもがいることは決して珍しいことではなかったのでした。事実、私の父は6人の子どもがいる家庭で幼少期を過ごしました。

ただし、昔の子どもは病気で亡くなる場合が多くありました。しかしその後、医学の発達と衛生・栄養改善が進み、乳児死亡率はここ100年の間に急速に低下しました。いまや1000人あたりの乳児死亡率は2,3人と世界で最低となっています。

この変化により、子どもは「生まれれば必ず育つもの」という心理が親の中に当然のごとく生まれ、子どもを産む数を減らしても子孫は残っていくという「確信」を、親はもつようになってきたのです。

さて、今回、問題としたいのは、少子化が親の子育て、および子どもにどのような影響を与えてきているのかということです。

子どもが多ければ、親の愛情は「分散」されるでしょう。子ども一人ひとりに、今の時代のように十分かかわることには無理がありました。ある意味、「放っておいても子どもは育つ」時代であったといえるでしょう。

しかし、少子化の時代では、親は数少ない「わが子」に十分な愛情を注ぎ、教育投資ができるようになりました。このような親の愛情のもとに育つ子どもたちには、学習への自発的・内発的な動機が希薄になりがちです。

「なぜ勉強するのか」という学習動機を日本、イギリス、インド、マレーシアと比較した研究があります。その結果、日本の子どもたちにだけに見ることができる学習動機が確認されました。

勉強が面白いから、自分の力を試したいからなど、自分の成長や興味にもとづいての勉強の姿勢よりも、「お母さんに叱られないように」「いい点をとると親が喜ぶから」など、親の喜怒哀楽を気にし、親の機嫌をそこなわないようにと勉強する傾向が強く出ていたそうです。

それは、親の気持ちを察するけなげな子どもとも見えます。しかし自分の成績に一喜一憂する親の存在があまりにも大きい場合、子どもは親のために勉強することになってしまいがちなのではないでしょうか。

そこには、学ぶことへの内発的な動機や自らの関心によって、自発的な探求をする態度や力は育ちにくいのです。

指示待ち人間、創意に欠ける、自信・自己肯定感の低さ、個性が乏しいなど、しばしば言われる日本の子どもの特徴は、誤解をおそれずに言うならば、親の教育に寄せる強い期待という「圧力」の産物とも見なせるでしょう。

親にとってわが子はかわいいものです。しかし、親が子どもの自立を望むならば、かわいく、愛おしいけれども、「この子は独立した人格」とか「いずれは自分のもとから離れていく存在」という認識を根底にはもちます。そして一歩離れた心構えで、密着しすぎることなく、わが子に日々接していくことが大切になるのではないでしょうか。