箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「聴くこと」で支える

2015年10月06日 19時09分36秒 | 教育・子育てあれこれ


人間関係のある人同士が、悩みやストレスをかかえる相手から話をきくときには、きくことに徹することが大切だと思います。そしてその「きく」は「聴く」でなければなりません。

英語では、漠然と聞くことをhearといい、注意して聞くことをlistenといいます。心が傷ついた人が語る話をきいている途中に、自分の意見や自分の考えを挟み込むのでは、心の傷を癒すことはできません。

「話をきく」が受動的で、「話をする」が能動的であるように人は考えがちですが、「話を聴く」という行為は決して受け身ではなく、能動的で主体的なものです。

なぜなら真摯に聴くというのは、その聴き手が相手にかかわり、何らかの役に立ちたいという強い思いをもっているからです。

とはいいながらも、人はとかく待つことが苦手です。たとえば、中学校でいえば 、心が傷ついている生徒は大事なことをそんなにうまくはしゃべれません。ポツリポツリ断片的にしか話せない。

そこで沈黙していて目だけ合わせるのはつらいので、聴き手(先生)は言葉を迎えにいきます。

そして「ああ、あなたの言いたいことはこういうことでないの?」と聴き手が要約してしまうことが多いのです。そうすると、話す側も「そうです」とその「物語」にのってしまいます。

学校の先生も保護者の方も、話を聴く相手がおとなであれ、子どもであれ、聴くときにはじっと待つことが大切なのです。

学校の先生の場合、待つことができる人は、子どもに語らせ、語ることで子どもが自らの気持ちに整理をつけさせることができる生徒指導のエキスパートです。これができる人は、三中にもそれほどたくさんはいません。

人は少しずつでも、つらい思いをしながら語ることで、今までの自分とは違った自分への「かかわり方」を見つけるのです。

つまり自分を客観的に見ることができるようになっていき、傷ついた自分から離れることができるのです。「傷つき」に浸りきる状態から抜け出すのです。心が癒されるというのは、じつはこのような状態なのです。

聴くことで人を支えるのは、簡単ではないですが、力強い行為なのです。