ここ最近、ブログを書いてきて思うことがある。
妹と感情の行き違いから妹と距離を置いていた時期に、私の変化する感情を自分のことでありながら興味深く感じていたことをブログに書いた。
また、とある会でそこの幹部と口論をした時の私の感情もブログを書きながら思い出していた。
人はある出来事に遭遇すると、喜びであったり悲しみであったり、怒りであったりと、様々な感情が湧きあがってくるものだ。
そして、それは同じ出来事であっても、人によって出てくる感情が違う。
ある人には悲しみの感情が、またある人には怒りの感情かもしれない。
そして、それがどのような感情であっても、それを自分が気づいているかどうかということが、とても大切なのだと思う。
私は、妹と感情の行き違いがいずれ起きるだろうことは予測していた。
私が自分の怒りの感情を抑えずに行動を起こせば、妹との仲が気まずくなることも分かっていた。
ずっと言ってはいけないと自制をしている自分がいたが、それが徐々に小さくなっていき、ある日怒りの感情を出してしまった。
案の定、妹との仲は気まずくなったが、それがきっかけでお互いを思いやる気持ちが生まれ、前よりももっと妹との仲は良くなったと思う。
あのまま私が自分の感情を押し殺し続けていたら、このようなお互いの理解はまだ生まれていなかった思う。
そしてある会をやめる時、幹部に言われた言葉に対する私の感情「自分はそんな人間ではない」と思ったことも、今の自分にとってとても必要だったということがわかる。
あの時の悔しさが今の私に大きな影響を与えている。
起こった出来事に対して、自分のネガティブな感情に飲み込まれて翻弄されるのに任せるのではなく、自分の感情が今どうなのかということを理解できたら、人は困難な状況に置かれたときに、その外的な状況を変える事はできなくても、自分の内面の感情を変える事はできると思う。
怒りや悲しみの感情を、相手がいるなら相手に対する思いやりや哀れみに、また悔しさは自分の力にすることができる。
そして、自分の内面が変わるといずれ外的な状況も変わっていくのだと思う。
だから未来は決まっていないというのは、その時々に自分が選ぶ感情や反応によって変わっていくものだから。
どんなときも思いやりの心を忘れずに、よりよい未来を作っていきたいと思う。
妹と感情の行き違いから妹と距離を置いていた時期に、私の変化する感情を自分のことでありながら興味深く感じていたことをブログに書いた。
また、とある会でそこの幹部と口論をした時の私の感情もブログを書きながら思い出していた。
人はある出来事に遭遇すると、喜びであったり悲しみであったり、怒りであったりと、様々な感情が湧きあがってくるものだ。
そして、それは同じ出来事であっても、人によって出てくる感情が違う。
ある人には悲しみの感情が、またある人には怒りの感情かもしれない。
そして、それがどのような感情であっても、それを自分が気づいているかどうかということが、とても大切なのだと思う。
私は、妹と感情の行き違いがいずれ起きるだろうことは予測していた。
私が自分の怒りの感情を抑えずに行動を起こせば、妹との仲が気まずくなることも分かっていた。
ずっと言ってはいけないと自制をしている自分がいたが、それが徐々に小さくなっていき、ある日怒りの感情を出してしまった。
案の定、妹との仲は気まずくなったが、それがきっかけでお互いを思いやる気持ちが生まれ、前よりももっと妹との仲は良くなったと思う。
あのまま私が自分の感情を押し殺し続けていたら、このようなお互いの理解はまだ生まれていなかった思う。
そしてある会をやめる時、幹部に言われた言葉に対する私の感情「自分はそんな人間ではない」と思ったことも、今の自分にとってとても必要だったということがわかる。
あの時の悔しさが今の私に大きな影響を与えている。
起こった出来事に対して、自分のネガティブな感情に飲み込まれて翻弄されるのに任せるのではなく、自分の感情が今どうなのかということを理解できたら、人は困難な状況に置かれたときに、その外的な状況を変える事はできなくても、自分の内面の感情を変える事はできると思う。
怒りや悲しみの感情を、相手がいるなら相手に対する思いやりや哀れみに、また悔しさは自分の力にすることができる。
そして、自分の内面が変わるといずれ外的な状況も変わっていくのだと思う。
だから未来は決まっていないというのは、その時々に自分が選ぶ感情や反応によって変わっていくものだから。
どんなときも思いやりの心を忘れずに、よりよい未来を作っていきたいと思う。