一ヶ月ぶりに長男夫婦が孫を連れて遊びに来てくれた。
毎週のように長男夫婦から孫の写真や動画がたくさん送られてくるので、孫に会っていなくても会ったような気分になっていたが、実際に会うのと写真を見ているだけでは違った。
孫はとても人見知りなのだけど、先月会った時よりもっと人見知りが激しくなっていて、会った途端に泣き出してしまった。
泣き声がもう絶叫に近い、、、
送られてくる写真は笑顔ばかりなので「えっえっ、こんなに泣いちゃうの?」と新米ジジとババは大慌てだった。
しばらく泣いてから、今度は部屋の中や久しぶりに会った私と夫の顔をじーっと観察。
目が合うと泣いてしまうので、なるべく目を合わせないように素知らぬ顔をして、機嫌がなおった頃にそろそろいいかなぁと近づこうものなら、また火がついたように泣き出してしまう。
お嫁さん曰く、人見知りもそうだが(孫は)とても慎重で、新しいおもちゃでも、まずはじーっと観察して大丈夫だと分かってからじゃないと手を出さないのだとか。
人見知りをせず、面白そうなおもちゃがあれば、すぐに手に取った長男とは全然違うなぁと思ったら、実はお嫁さんが人見知りの慎重派で、幼い頃にそっくりと教えてくれたのは、お嫁さんのお母さんだった。
顔形だけじゃなくて、癖や性格まで受け継いでいるなんて面白い。
ところで「霊魂」と聞くと、どのようなものだと想像するだろうか。
なんだか恐ろしいものと思う方もいるかも知れない。
私はなんとなく肉体の中に入っている自分の本体のようなもの、肉体は無くなっても生き続けるものと思っていた。
ところが最近「霊魂」の本当の意味について、秋山眞人さんが書かれている本を読んだ。
本の内容をかいつまんで書きます。
初期の頃、英語で翻訳した人たちが、英語のスピリット(spirit)やソウル(soul)を霊魂と訳した時期がありました。
そのため霊魂を単純に精霊や霊と同じものだと考える向きも出てきましたが、これは間違いです。
霊魂とは「霊的な遺伝子の流れ」であり、肉体の遺伝子とは違います。
遺伝子に刻まれる実際の情報の手前にある霊的な情報で、先祖から子孫へと流れていく霊的な遺伝形質です。
私たちの細胞のなかに生きている守護霊や先祖霊がその仕組みを司っています。
「魂」という字の偏には「伝わる」という意味が込められていて、「目には見えないが、伝わっていくもの」ということを知っていた人たちが、この字を作りました。
日本の神道理論の基礎をつくった人たちは、こうした構造や仕組みをよく理解していたようです。
私は自称健康オタクなのだけど、私が5歳の時に亡くなった父方の祖母が、健康オタクだったと、亡き母から聞いたことがあった。
5歳だったので祖母の記憶はほとんど無いが、健康オタクを自覚するようになった中年以降、もしかすると祖母とそっくりなことをしているのかもしれないと思った。
祖母から教えてもらった訳でもなく、見て覚えた訳でもないのに伝わっていることに遺伝子の不思議を感じ、これが霊的遺伝子のなせる技なのかと思う。
さてさて、果たして孫にはどんな遺伝子が伝わっているのだろうか。
楽しみのような怖いような(笑)
ところで長男夫婦が孫を連れて「部屋を探検する」遊びをしていた。
仏間に入ったところ、仏壇を見た孫が小さな手を合わせたことに驚いてしまった。
長男夫婦の家や祖父母の家に仏壇はなく、何度か連れて行った曽祖母の家で、曽祖母が仏壇に手を合わせている姿を見たことがあると、お嫁さんが教えてくれた。
いつものようにじーっと見ていて覚えたのかもしれない。
これは霊的遺伝子のなせる技ではないと思うが、先祖供養と神祀り大好きの新米ババにはとても嬉しい発見だった。
ご飯の前にもいただきますの手を合わせる孫の手。