学生の頃はアガサ.クリスティが好きで、推理小説ばかり読んでいたが、いつの間にか推理小説は読まなくなって数十年が過ぎた。
ところが、たまたま図書館で手に取った推理小説がとても面白くて、また読み始めている。
読んでいるのは東野圭吾さんの作品が多いが、昔も今も真犯人を予想しながら読むのは変わりない。
でも今、本を読みながら昔とは違った想いになることが多い。
推理小説では、たいてい殺人事件が起きるのだけど、若い頃は特に気にせずに読んでいた殺人事件が、今はとても重く感じる。
小説とはいえ、殺人事件は読んでいて楽しいものではなく、特に日本人の作家さんが書いた小説は、登場人物に感情移入しやすくて、殺人犯と被害者の両方の心情を思うとやり切れないさが残ることがある。
読後はやるせなさで、どんよりとした気持ちになったりもするのだが、それでもなぜ推理小説を読むのかと言えば、やはり物語の面白さが一番の魅力であり、それに加えて推理小説ならではの巧妙なトリックと謎解きが魅力なのだと思う。
でも、あまり続けて読むと気持ちが暗くなるので、そんな時のために用意しておいた気持ちを明るくしてくれる本を読んで読書終了とする。
いやぁ、本(映画?)って本当にいいもんですね、、、
ところでたまに外出する時、空き時間に読もうと本を持って出かけることがあるのだが、そんな時は必ずブックカバーをして本を持って行く。
それは汚さない為ということもあるが、一番の理由は、周囲の人に何を読んでいるのか知られない為にカバーをする。
別に知られて困ることは無いのだけど、なんというのか、まるで自分の嗜好みたいなものを知られるようでとても恥ずかしい。
たまに地下鉄の向かい側に座った方の読む本にカバーがかかっていると、やっぱり恥ずかしいのかな?なんて思う。
それはさておき、選ぶ本には好みが現れる。
例えば夫だが、今、読んでいる本は旅に関するものが多いようだ。
本人も旅をしたいとよく言っているので、そのような本ばかり手が伸びるのだろう。
そしてやはり本好きの長男だが、「これめっちゃ面白かった」と、よく勧めてくるのが、自己啓発に関するもので、長男の今の心境によく合っていると思う。
しかし長男には内緒だが、勧められてもあまり興味がないので読むことはほとんどない、、、今の私の心境には合っていない。
面白かったのは次女で、次女は日々過酷な労働に励んでいるらしいのだが、珍しく残業せずに早く帰って来た日があった。
「今日も仕事は問題山積みだったけど、もう嫌になってすべてを投げ捨てて帰ってきた。それで本屋さんへ寄って、これ買ってきた」
次女が見せてくれたのは、デール.カーネギーの「道は開ける」だった。
まさに今の次女の状況にぴったりの本で、次女には悪いが笑ってしまった。
「道は開ける」は私も何度も読んだし、仕事で悩んでいた夫にプレゼントしたことがある。
「この本、ウチにあったのに。カーネギーの本は他にも家にあるから、貸してあげるよ」
そう言ったら「わかった。明日は、仕事が残っているからいつもより早く家を出る」と言った。
次女よ、いつか道は開ける!それは父も母も体験済み。
本を読んで気分転換して、また明日からの活力にしてほしいと思う。
というわけで、、、
いやぁ、本って本当にいいもんですね、、、と思う。