業者さんにお願いしていた実家の片づけが、やっと先週終わった。
運び出しの作業は、荷物の量が思っていたより多くて、二日間に分けて行われた。
大型トラックが一台と大きめのワゴン車一台、そして作業員が3名だったが、出しても出しても家の奥からは次々と荷物が出てきた。
そして、あっという間にトラックとワゴンに荷物でいっぱいになった。
特に大変だったのは物が大量に詰め込まれた物置小屋で、ここは私たち家族も何があるのか分からない場所だった。
一つずつ運び出していくと、私たちが子供の頃に使っていた学習机や絵の具や習字カバン、テニスラケットやスケート靴、漬物用バケツに漬物石と、まあとにかく出てくる、出てくる・・・なぜこんなものまで?と思うようなものが出てきたが、一番びっくりしたのは母のセーラー服が出てきたことだった。
母はもう30年ほど前に亡くなり、今生きていれば81歳になるが、それにしても母は一体何をするつもりで自分のセーラー服を嫁入り道具の中に入れて持ってきたのか?謎だわ。。
母が自分のセーラー服まで取ってあるくらいなので、当然わたしたち子どもの学生服も残っていて、それらは取って置こうなどとはみじんも思わず、迷わず廃棄した。
さて、屈強そうな男性作業員さんが「荷物、けっこうありますね・・・」と言いながら、息も絶え絶えに運んでくれて、どうにかやっと家の中が空っぽになった。
空っぽになった家の中をあらためて見て歩くと、物入れが非常に多い家だったのだなぁと思った。
大げさではなくて、私の家の6~7倍の広さの収納がある。
このたくさんの物入れの中にぎっしりと荷物が詰め込まれていたのだ・・・(大変だったはずだわ)
実家はけっこう大きな家なのだが、その大きな家の中にたっぷりと収納が付いているのは、家を建てる時に亡き母の願いだった。
母が何でも捨てずに取っておくという習性があることと、父の仕事関係で頂き物が多い家だったので、母はそれらをしまっておく収納が欲しかったのだろう。
しかし年月は流れ、父母が他界した後に片付けに入ってみると、そのほとんどはゴミとして捨てられる運命となって、母が大切に仕舞っておいたモノたちは、大きなゴミの袋の中にどんどん投げ込まれていった。
こうしてずっと実家の片づけをやってきて思ったのは、歳を取ってきたらモノは少なくしていくべきだということ。
どんなに大切にしていた品物だって、金銭だって、亡くなる時は何一つ持って行くことはできない。
究極を言えば、残しておいていいのは、売ったら値のつくものと現金くらいではないだろうか。
あとは自分が元気なうちに処分するか、欲しいという人にあげるとかして、できるだけ身軽になって、残された人に迷惑をかけないようにしたい。
実家の片づけを終えて、「よし!また自分の家で要らない物を整理するぞ~」と決意も新たにして家に帰ったら、休日で家にいた夫が義母を叱っている声が聞こえてきた。
どうしたのかと行って見ると、義母が習字の練習で書いたお経の作品を、掛け軸にしてもらうよう知人に頼んだと言う。
夫「掛け軸にしたって家には飾っておく場所がないじゃないか」
義母「私が死んだ後もこれが残る、大切に持っていてほしいから掛け軸に頼んだ」
夫「だれがこんな間違った字の掛け軸を大切に持っていると思う?俺だって持たないし、姉さんたちだって、みんな要らないと言うぞ」
義母「・・・」
しょんぼりとしている義母がかわいそうになったが、この掛け軸騒動は一年に数回繰り返される。
数年前、私と一緒に書道を習っていた義母が、先生が書いてくれた見本の上にからなぞってお経の文を大きな半紙に書いたことがあった。
義母が先生の素晴らしい字の上からなぞって書いたものだが、ぱっと見は、それなりの形になっていた。
ただ、残念なことに字を間違えた部分があって、先生が「もう一度書き直しましょう」とおっしゃってくれたのだが、義母は「これでいいです」と言って書き直すことなく、それを大切に持っていた。
そして家に来る人、来る人にそれを見せて、皆さんから「上手ですね~」というお褒めの言葉をもらってご満悦だった。
のだが・・・いつからか、これを軸にして残したいという気持ちが芽生えたようで、ご近所さんから来客まで、会えば「掛け軸を作る所にこれを持って行ってほしい」と頼んでいたようだった。
そして、この度の騒動・・・
今回は頼んでいた人が、掛け軸の事を忘れてくれていたのでよかったが、また忘れた頃に「これで掛け軸を作って欲しいんだけど」と、どなたかに頼むのだろうと思う。
義母は自分が死んだあとにも、自分の作品や持ち物を残したいという気持ちが強い。
第三者から見れば、名のある芸術家や有名人が描かれたものならいざ知らず、ただの老女が書いた書道の作品など(しかも字が間違っている)残しておかれても、子どもたちでさえゴミとして捨てるしかないのだが、それでも義母がこれを残したいと言う強い気持ちは一体どこからくるのだろう。
自分がこの世にいたという証を残したいからなのか?
それなら子孫がいるじゃないのと私なら思う。。
「おばあちゃん死んじゃったけど、優しかったよね」と、孫にあとから言ってもらえれば、私ならそれで大満足だ。
仮に子孫がいなくても、自分がこの世にいた証はべつに残さなくてもよいとさえ思っている。
子孫がいようがいまいが、あと100年もすれば、今生きている人々は、その時代の人たちの記憶からは、ほとんど消えているのではあるまいか・・・
誰かの記憶に残らなくても、今を一生懸命生きれば、死んでからはこの世にあまり未練などなくなるのではないかと思う。
だから、別に自分の生きた証など残していく必要もないと思っているのだが・・・
そして今ハッキリとわかったことは、生きている間に、物に執着しない練習と、手放す練習をすることなのだということ。
死ぬときは、何も持って行くことはできない、身体さえ置いていくしかない。
だから、可愛い我が子であっても子には執着しない、時が来たら社会に送り出すという練習もする。
私もまだまだ練習中の身ではありますが、多くの反面教師がいてくれたお陰で、気が付けば家の整理などして身軽さを心がけている。
運び出しの作業は、荷物の量が思っていたより多くて、二日間に分けて行われた。
大型トラックが一台と大きめのワゴン車一台、そして作業員が3名だったが、出しても出しても家の奥からは次々と荷物が出てきた。
そして、あっという間にトラックとワゴンに荷物でいっぱいになった。
特に大変だったのは物が大量に詰め込まれた物置小屋で、ここは私たち家族も何があるのか分からない場所だった。
一つずつ運び出していくと、私たちが子供の頃に使っていた学習机や絵の具や習字カバン、テニスラケットやスケート靴、漬物用バケツに漬物石と、まあとにかく出てくる、出てくる・・・なぜこんなものまで?と思うようなものが出てきたが、一番びっくりしたのは母のセーラー服が出てきたことだった。
母はもう30年ほど前に亡くなり、今生きていれば81歳になるが、それにしても母は一体何をするつもりで自分のセーラー服を嫁入り道具の中に入れて持ってきたのか?謎だわ。。
母が自分のセーラー服まで取ってあるくらいなので、当然わたしたち子どもの学生服も残っていて、それらは取って置こうなどとはみじんも思わず、迷わず廃棄した。
さて、屈強そうな男性作業員さんが「荷物、けっこうありますね・・・」と言いながら、息も絶え絶えに運んでくれて、どうにかやっと家の中が空っぽになった。
空っぽになった家の中をあらためて見て歩くと、物入れが非常に多い家だったのだなぁと思った。
大げさではなくて、私の家の6~7倍の広さの収納がある。
このたくさんの物入れの中にぎっしりと荷物が詰め込まれていたのだ・・・(大変だったはずだわ)
実家はけっこう大きな家なのだが、その大きな家の中にたっぷりと収納が付いているのは、家を建てる時に亡き母の願いだった。
母が何でも捨てずに取っておくという習性があることと、父の仕事関係で頂き物が多い家だったので、母はそれらをしまっておく収納が欲しかったのだろう。
しかし年月は流れ、父母が他界した後に片付けに入ってみると、そのほとんどはゴミとして捨てられる運命となって、母が大切に仕舞っておいたモノたちは、大きなゴミの袋の中にどんどん投げ込まれていった。
こうしてずっと実家の片づけをやってきて思ったのは、歳を取ってきたらモノは少なくしていくべきだということ。
どんなに大切にしていた品物だって、金銭だって、亡くなる時は何一つ持って行くことはできない。
究極を言えば、残しておいていいのは、売ったら値のつくものと現金くらいではないだろうか。
あとは自分が元気なうちに処分するか、欲しいという人にあげるとかして、できるだけ身軽になって、残された人に迷惑をかけないようにしたい。
実家の片づけを終えて、「よし!また自分の家で要らない物を整理するぞ~」と決意も新たにして家に帰ったら、休日で家にいた夫が義母を叱っている声が聞こえてきた。
どうしたのかと行って見ると、義母が習字の練習で書いたお経の作品を、掛け軸にしてもらうよう知人に頼んだと言う。
夫「掛け軸にしたって家には飾っておく場所がないじゃないか」
義母「私が死んだ後もこれが残る、大切に持っていてほしいから掛け軸に頼んだ」
夫「だれがこんな間違った字の掛け軸を大切に持っていると思う?俺だって持たないし、姉さんたちだって、みんな要らないと言うぞ」
義母「・・・」
しょんぼりとしている義母がかわいそうになったが、この掛け軸騒動は一年に数回繰り返される。
数年前、私と一緒に書道を習っていた義母が、先生が書いてくれた見本の上にからなぞってお経の文を大きな半紙に書いたことがあった。
義母が先生の素晴らしい字の上からなぞって書いたものだが、ぱっと見は、それなりの形になっていた。
ただ、残念なことに字を間違えた部分があって、先生が「もう一度書き直しましょう」とおっしゃってくれたのだが、義母は「これでいいです」と言って書き直すことなく、それを大切に持っていた。
そして家に来る人、来る人にそれを見せて、皆さんから「上手ですね~」というお褒めの言葉をもらってご満悦だった。
のだが・・・いつからか、これを軸にして残したいという気持ちが芽生えたようで、ご近所さんから来客まで、会えば「掛け軸を作る所にこれを持って行ってほしい」と頼んでいたようだった。
そして、この度の騒動・・・
今回は頼んでいた人が、掛け軸の事を忘れてくれていたのでよかったが、また忘れた頃に「これで掛け軸を作って欲しいんだけど」と、どなたかに頼むのだろうと思う。
義母は自分が死んだあとにも、自分の作品や持ち物を残したいという気持ちが強い。
第三者から見れば、名のある芸術家や有名人が描かれたものならいざ知らず、ただの老女が書いた書道の作品など(しかも字が間違っている)残しておかれても、子どもたちでさえゴミとして捨てるしかないのだが、それでも義母がこれを残したいと言う強い気持ちは一体どこからくるのだろう。
自分がこの世にいたという証を残したいからなのか?
それなら子孫がいるじゃないのと私なら思う。。
「おばあちゃん死んじゃったけど、優しかったよね」と、孫にあとから言ってもらえれば、私ならそれで大満足だ。
仮に子孫がいなくても、自分がこの世にいた証はべつに残さなくてもよいとさえ思っている。
子孫がいようがいまいが、あと100年もすれば、今生きている人々は、その時代の人たちの記憶からは、ほとんど消えているのではあるまいか・・・
誰かの記憶に残らなくても、今を一生懸命生きれば、死んでからはこの世にあまり未練などなくなるのではないかと思う。
だから、別に自分の生きた証など残していく必要もないと思っているのだが・・・
そして今ハッキリとわかったことは、生きている間に、物に執着しない練習と、手放す練習をすることなのだということ。
死ぬときは、何も持って行くことはできない、身体さえ置いていくしかない。
だから、可愛い我が子であっても子には執着しない、時が来たら社会に送り出すという練習もする。
私もまだまだ練習中の身ではありますが、多くの反面教師がいてくれたお陰で、気が付けば家の整理などして身軽さを心がけている。