料理は嫌いではないが好きではない。
前は好きだったけど、今の気分は、嫌いではないが好きでもない、、だ。
それは事情があって、最近料理することが続いていたからで、連日追い立てられるように料理を作っていたら、しばらく料理は作りたくない気分になってしまった。
つくづく私には定食屋はできないと思う。
ところで「料理が苦痛だ」という本を読んだ。
図書館のレシピ本コーナーに並んでいたので、てっきりレシピ本かと思ったらエッセイだった。
著者はカフェのオーナーで料理教室もやっている本多理恵子さん。
料理を生業とする方でも料理が苦痛になることが有るのかと本を開くと、「そうそう、わかるわかる」ということばかりでとても面白かった。
わかる!と思ったことが、料理にまつわる呪縛というもので、幾つか挙げられているので抜き出してみたいと思う。
1 主婦(主夫)なら時間があるんだから、ちゃんと作って当然という呪縛。
2 家族の健康のためにという呪縛
3毎日違うものを食べるという呪縛
4 インスタ映えという呪縛
5 誰からも評価されていないという呪縛
6 自分はちゃんとできていないという呪縛
インスタ以外は、どれも思い当たることばかりだった。
他にも「30品目食べなければいけないという呪縛」とか「八宝菜はちゃんと八種類の具材を揃えなければいけないという呪縛」など、笑ってはいけないが、つい笑ってしまうような呪縛があって、料理の呪縛は人それぞれなのだなぁと思った。
しかし、これらの呪縛の数々をよくよく見れば、どれも全て自分が自分にかけている呪縛だったということに気付かされる。
本の中でも書かれているが、果たして家族(食べる人)は、それを望んでいるのかということを、もう一度考えてみるべきだと思う。
ちなみに私が自分で自分にかけている呪縛は、2と3が強めかもしれない。
これらの解決法として著者は、勇気をもって料理を一旦やめてみることを提案している。
料理の苦痛を減らすための手順が書かれているので、ご興味のある方は読んでみてください、、、
ところで心に響いた?部分をもう一つ。
例えば良く聞く「カレーとかの簡単なものでいいよ」発言。
コレを言われた女性はだいたい同じことを思う。
「そのカレーがめんどくさいんだよ!」と。
切って、炒めて、煮て。結構な手間のフルコースだ。
ちなみに簡単なものとは、「白米に塩をかけて食べる」。
これくらいのレベルを指すということを「カレー発言」をしがちな方は心に刻んでおいてほしい。
その昔「カレー発言」をよくされて、まさしく同じことを思っていた。
しかし心に響いたのは、この部分ではなくて「白米に塩をかけて食べる」という部分。
白米に(うちは白米のお粥だったが)塩をかけて食べるという部分から、子どもの頃に食べたのを思い出してしまった。
子どもの頃は、おかずがあまりなかったから、母は卵を入れた味噌をよく作ってくれて、それでご飯とかお粥を食べていた。
ところがある日、卵味噌もなくて塩をかけて食べたら、これがめちゃくちゃ美味しかったという思い出がある。
たしか五歳くらいだったと思うが、あの時のお粥に塩だけの美味しさが今も蘇ってくるほどで書いているうちに唾が出てくるー。
というわけで、ここまで料理が嫌になったことなどを書いてきたが、一方で料理できる食材が、何不自由なく手に入ることは、なんて幸せなんだろうと思う。
たまに料理が苦痛になったら休んでもいいと思う。
でも色々な食材が手に入って、それらを料理して食べることができることに感謝の気持ちが湧いてくる。
少し休んだら、また自分の楽しみのために料理をしようと思う。