ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

桜と海と

2019-05-07 15:44:01 | 日記

久しぶりに北海道開拓の村へ行ってきた。

幼稚園や小学校で必ず一度は訪れる場所だが、最後に来たのは子どもの幼稚園の遠足で一緒に来たとき以来だろうか。

その時に比べて、展示している建物がずいぶん増えて、時間が足りなくなるくらい見ごたえがあった。

展示している建物は、すべて開拓当時の歴史的建造物なのだが、私くらいの年代には木造の家や学校が懐かしかったりする。

それにしても昔の建物はとても寒そうだ。

今の住宅は、窓は複合ガラスであり、壁には断熱材が入っているので真冬でも暖かいが、昔の住宅はガラス一枚の窓で壁も薄い。気の毒になるくらい寒そうだ。

でも子どもの頃は、このような家に住んでいたんだよなぁと懐かしく思い出す。

冬が来る前になると、父が窓一枚一枚にビニールを釘で留めていった。

ビニールを貼ってすこしでも寒さを凌ごうという知恵だが、当時はどこの家でも冬になる前に窓にビニールを貼っていたと思う。

冬、火の気のない部屋に食料を置いておくと凍ったので、ビニールを貼っても相当寒かったと思うが、当時はこういうものだと思っていたので、あまり寒かったという記憶はない。

でも、今は暖かい住宅に慣れ過ぎて、軟弱な身体と精神になっているので、きっと、いや絶対にもう昔の家には住めないだろう。

こちらは一般住宅ではなく、小樽にあったお金持ちの漁師、青山家の住宅↓

さすがに大きくて立派!庶民の家とは大違いですわ。

家の中は大勢の雇いの漁師たちが寝泊まりする部屋と、親方家族が寝泊まりする住居部分に別れている。

漁師さん達が寝泊まりしていた部屋は、どこかで見たことがあると思ったら、朝のテレビ小説「マッサン」で使われた場所だとボランティアのおじさんが教えてくれた。

ここにはボランティアさんがたくさんいらしていて、質問すると(時には質問しなくても)いろいろなことを教えてくれる。

しかし、ここに展示されている建造物は、有名な方が住んでいた住宅だったり、商いをしていた建物だったり、公共的な施設だったりと、どれも割と立派なものばかりなのだが、開拓に入った一般庶民が住む家は、その多くが掘っ立て小屋だった。

すき間風入りまくりの掘っ立て小屋で、極寒の中、きつい労働をしながらよく耐えたと思う。

開拓の村を見て歩きながら、夫がぽつりと言った。

「最初に開拓に入った人たちは命がけだったな。さぞかし寒かっただろし、大変だっただろう・・・」

話は変わるが、夫が先祖供養を始めたことは以前に書いたが、霊だとか超常現象だとか、そういうものを信じていなかった夫が、先祖供養を始めるきっかけになったことがある。

それは私が供養をしていた時に、一人の先祖の方がいらしたことにある。

ある日、線香供養をした後に、自分の中にもう一人、別の人格がいるような気がした。

その途端、体の中で声が聞こえた。

その方は「開拓団で来た」と言うと、泣き出した。

その方の泣く意味が伝わってくると同時に、私は泣きたくないのに何故か涙がぽろぽろと流れてきて、いつの間にか大泣きしていた。

私は、私ではない別の人格として泣いていた。「開拓がつらかった」と思って泣いた。

ずっと忘れられていたその方は、私たち子孫に知ってほしかったのだと思う。

翌日、休みだった夫にその出来事を話していると、いつものようにそういうたぐいの話は話半分に聞いている夫が、突然「あれはなんだ!」と言って指を差した。

夫の指さす方を見ると、そこは私がいつも供養する場所で、横にある窓のカーテンシェードの紐が、まるで誰かが紐を持って揺らしているかのように大きく揺れていた。

二人でどこかから風が入っているのではないかと確認したが、風は吹いておらず不思議なことに、紐のすぐそばにある観葉植物の葉や他の物は微動だにしていなかった。

大きく揺れている紐を夫は唖然となって見つめながら「風もないのになぜあそこだけが揺れているんだ。あり得ない、あり得ない」とつぶやいていた。

私にはすぐわかった。昨日でてきた方が、直系の子孫である夫に知ってもらいたくて揺らしていることを。

夫は自分の目で見ないと信じない人間だと、さすがご先祖はよくわかっていらっしゃるなと思った。これで信じてくれるだろうと、その方は必死に揺らしていたのだと思う。

しかし、夫は「開拓団で来たと言うけど、最初に北海道に来たのは祖父で、祖父は開拓団ではなかったはずだ」と言った。

後日、夫の母に確認してみた所、夫の祖父は幼い頃に開拓団の両親に連れられて北海道に渡って来たのだと教えてくれた。

夫の母は非常に信心深い人で毎日供養を欠かさない人だが、残念なことに自分の知っている人たちだけしか供養していなかった。

「私が嫁に来た時にはもういなかったからね。ただ、じいさん(夫の祖父)がそう言ってたよ」

祖父の両親が開拓団で来たことを初めて知った夫は、以来、考え方が変わって、自ら先祖供養をするようになったのだが、開拓の村で夫が言った言葉に、自分の知らないご先祖に対する夫の思いやりが感じられて嬉しかった。

きっとご先祖さまも喜んで下さっているのではないかと思う。

というわけで、もう一枚。こちらは小樽、手宮公園からの景色。桜の向こうに見えるのが小樽港です。桜と海がとても綺麗でした。



 


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