ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

良心に従って

2017-04-30 17:21:57 | 日記
誤嚥性肺炎で入院中の父はずいぶん元気になり、なんと口から食事を取れるようになった。

一時はもう口からの食事はできなくなると覚悟を決めたが、また父は復活を見せてくれた。

しっかりとした目をして、こちらの問いにも答えられるようになっていた。
なんとかこのまま元気になって、また高齢者住宅へ戻れればよいのだけれど・・・

さて、父の方は一安心ということで、穏やかな連休を過ごしている。

どこか遠出をするということもなく、近場で日常と変わらない食品などの買い物をしたり、恒例のお風呂へ行ったり、家で本を読んだり散歩をしたりしている。

そして、このような普通の暮らしができることに何よりも幸せを感じる。

どこかに遊びに行きたいということもなく、何か美味しものが食べたいとか、物質的にも欲しいものがあるわけでもない。

こういう状態を、人は歳をとったせいだと言うのかもしれない。

まぁそういうことも多少あるかもしれないが、今朝、思っていたのは、もうすべてが満ち足りているということだった。

このように思うことは以前は考えられなかったことだ。

美味しいものは食べたいし、行きたい場所もたくさんあったし、お店に行けば欲しいものがたくさん見つかった。
こうしたこと以外にも、家族に対してもこうなってほしいという欲求があった。

今は家族に対しては、それぞれの家族が一人の人間として、自分が幸せだと思える人生を歩んでほしいと願っているだけ。
私があれこれ押し付けることはもう何もない。

子どもであれば、私にはそれを見守るという責任が残っているが、むかしの私が持っていた子供に対する欲求はあまり無くなってしまった。

今、欲求があるとしたら、唯一の欲求は「自分の良心に沿った生き方がしたい」というだけかもしれない。

自分の良心に従った生き方というのは、自分の気持ちを押し殺してまで他人の為になることをするということではない。

自分がそうしたくてたまらなくて、それをすることによって他人が喜んでくれればそれに越したことは無いが、それは意図して他人を喜ばせるためにするのではない。

自分がやりたいからすることが、結果的に世の為、人の為になったとしたら、それはもう自分自身の心の奥底から喜びがあふれてくる。

ここで間違ってはいけないのは、他人が嫌がっているのに自分がやりたいからするというのは、「良心に従った生き方」ではなく、ただのわがままになる。

だから私は、自分の良心に従った生き方がしたい・・・心からそうしたいと、今 思う。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする