土曜日に、たぬきハウス(私たちの新婚新居)に、大きい荷物だけを移動しました。
今住んでいる家に残っているのは、せっかく買ったのに持っていけなくなって
貰い手募集中のピアノと(悲しい!)明日からの期末試験週間に備えた本と、
服やゴミなどです。
韓国語で、忙しいなどで、一心不乱な状態ですってことを
정신이 없다-ちょんしにおぷた訳すと「精神がない」
と言いますが、まさに私、
정신 없어요~
ちょんしんおpそよ
「精神ありません」
たぬきハウスですが、もともとうちの予備夫、たぬきに似ているとか
言われてまして、韓国語でたぬきが 너구리-のぐり なのですが、
のぐり兄とか呼ばれていることもありまして・・・。
そんで、半地下のお家を借りたので、もうもってこいで、ノグリハウスです。
・・・
それで、正直、これがいい選択だったのか今になって本当に自信が
なくなってきてしまって。
狭いし、もう、ワンルームとほぼ同じ状況です。
で、ワンルームよりは、値段を出すものを借りてるわけで。。。
とか思っていたら、なんかだんだん私憂鬱になってきてしまってですね・・・。
今まで、家、というのは、お母さんとかお父さんが準備してくれて、
そこに「せまいなー」とか不満を言うことだけだったのが、
自分たちが結婚するってなると、文句を言ってる場合じゃないです。
しかも、私たちのこのお部屋を借りるのにも、家を求めるのがとても
大変であるソウルでは保証金が目が飛び出る価格で、とても私たち
だけでは準備できなくて、おかあさんやお父様に助けてもらっているんです。
実は。
ノグリハウスでもなんでも、巣があれば感謝なんです。
だけど、この試験の忙しさと、なんとなく、こうだったらいいなということが、
大体かなえられずにこの、私なりに期待感の大きかった結婚がどんどん進んで
行くことがとても胸が痛くなってきてしまいました。
なんてワガママナノカシラワタシ。
結婚って、厳しいんだなーとつくづくです。
責任、お互いに対する責任、自分の決定に対する責任、社会的なこと
すべてが、本当にこれ、大変なことなんだなって思います。
彼はどうして私を選んでくれたんだろう・・・。
彼の知り合いに会うと、このひとは昔から誰と出会っても、「蹴った」
要するにお付き合いをしなかった、という。
私の何がよくて、私と結婚することを決めたんだろう。
心の中では、お金のあることや、いい暮らしをうらやむような
自分じゃないと思いたいのに、人と比べることに意味がないって
分かっているのに、満足してない自分を見ると、自分が嫌になってくる。
そして加えて、彼がどうして私を奥さんにしてくれようとするのかと
思えてきます・・・。
私たちのおかあさん、おとうさんは、惜しみなく私たちに援助をしてくれる
ありがたい親たちです。
でも、多くを頼ろうともせず・・・
要するに、単純に私の予備夫は、神だけを信頼する人なのです。
そういう人と結婚したかったの。
でも、古い自分の願いや、違う方向の考えに、自分の片方がまだひっぱら
れているのかな。
私、まだ心の準備ができてないかもしれない。
婚約期間が長かったのに、準備ががまだ全然おわってないんじゃないか。
なのに、どんどん日にちが近づいてくるし、私、幸せな顔をして夫を
迎える妻になれるのかな。
たぬきの家でも、奥さんが明るければ、夫のたぬきも幸せなのに、
奥さんが人をうらやんだり、満足しなったり不平をいっぱい持っていたら
たぬき夫婦そろって、不幸になるのに・・・。
神を信頼する夫に、もっとそういう風に家族そろって従っていく
幸せたぬきファミリーをつくらなきゃいけないのに。
かわいいたぬき夫人にならなきゃいけないのに。
なりたいのに。
今は、悩んでいる予備たぬき妻です。
古いたぬき衣を脱がなきゃ。
新しい、夫が用意してくれるたぬきの皮を着なきゃ。
今住んでいる家に残っているのは、せっかく買ったのに持っていけなくなって
貰い手募集中のピアノと(悲しい!)明日からの期末試験週間に備えた本と、
服やゴミなどです。
韓国語で、忙しいなどで、一心不乱な状態ですってことを
정신이 없다-ちょんしにおぷた訳すと「精神がない」
と言いますが、まさに私、
정신 없어요~
ちょんしんおpそよ
「精神ありません」
たぬきハウスですが、もともとうちの予備夫、たぬきに似ているとか
言われてまして、韓国語でたぬきが 너구리-のぐり なのですが、
のぐり兄とか呼ばれていることもありまして・・・。
そんで、半地下のお家を借りたので、もうもってこいで、ノグリハウスです。
・・・
それで、正直、これがいい選択だったのか今になって本当に自信が
なくなってきてしまって。
狭いし、もう、ワンルームとほぼ同じ状況です。
で、ワンルームよりは、値段を出すものを借りてるわけで。。。
とか思っていたら、なんかだんだん私憂鬱になってきてしまってですね・・・。
今まで、家、というのは、お母さんとかお父さんが準備してくれて、
そこに「せまいなー」とか不満を言うことだけだったのが、
自分たちが結婚するってなると、文句を言ってる場合じゃないです。
しかも、私たちのこのお部屋を借りるのにも、家を求めるのがとても
大変であるソウルでは保証金が目が飛び出る価格で、とても私たち
だけでは準備できなくて、おかあさんやお父様に助けてもらっているんです。
実は。
ノグリハウスでもなんでも、巣があれば感謝なんです。
だけど、この試験の忙しさと、なんとなく、こうだったらいいなということが、
大体かなえられずにこの、私なりに期待感の大きかった結婚がどんどん進んで
行くことがとても胸が痛くなってきてしまいました。
なんてワガママナノカシラワタシ。
結婚って、厳しいんだなーとつくづくです。
責任、お互いに対する責任、自分の決定に対する責任、社会的なこと
すべてが、本当にこれ、大変なことなんだなって思います。
彼はどうして私を選んでくれたんだろう・・・。
彼の知り合いに会うと、このひとは昔から誰と出会っても、「蹴った」
要するにお付き合いをしなかった、という。
私の何がよくて、私と結婚することを決めたんだろう。
心の中では、お金のあることや、いい暮らしをうらやむような
自分じゃないと思いたいのに、人と比べることに意味がないって
分かっているのに、満足してない自分を見ると、自分が嫌になってくる。
そして加えて、彼がどうして私を奥さんにしてくれようとするのかと
思えてきます・・・。
私たちのおかあさん、おとうさんは、惜しみなく私たちに援助をしてくれる
ありがたい親たちです。
でも、多くを頼ろうともせず・・・
要するに、単純に私の予備夫は、神だけを信頼する人なのです。
そういう人と結婚したかったの。
でも、古い自分の願いや、違う方向の考えに、自分の片方がまだひっぱら
れているのかな。
私、まだ心の準備ができてないかもしれない。
婚約期間が長かったのに、準備ががまだ全然おわってないんじゃないか。
なのに、どんどん日にちが近づいてくるし、私、幸せな顔をして夫を
迎える妻になれるのかな。
たぬきの家でも、奥さんが明るければ、夫のたぬきも幸せなのに、
奥さんが人をうらやんだり、満足しなったり不平をいっぱい持っていたら
たぬき夫婦そろって、不幸になるのに・・・。
神を信頼する夫に、もっとそういう風に家族そろって従っていく
幸せたぬきファミリーをつくらなきゃいけないのに。
かわいいたぬき夫人にならなきゃいけないのに。
なりたいのに。
今は、悩んでいる予備たぬき妻です。
古いたぬき衣を脱がなきゃ。
新しい、夫が用意してくれるたぬきの皮を着なきゃ。
自分の娘がどんな人と結婚してほしいか?と聞かれた時、こう答えます。
大きな家を持っている人でもなければ、お金持ちでもありません。
神様だけを信頼する人と結婚してほしいですね。
あと少しの独身時代、しっかり楽しんで充実させてください。もう、二度とやってこない尊い神様だけを考えていられる独身時代を貴重に貴重にすごしてくださいね。
そろそろ、ソウルに上陸したいなあ。
私が母親でも娘にそう願うと思います。
だし、そう願う母になりたいです。
時々、信仰があっても、現実的な苦労を見るに忍びなく人間的な方法で安心を得させようとする人もいます。
そして、今私はそういう自分を自分の中に発見して苦しんでいるのです。
でも、発見して戦えることが感謝です。
もし自分の満足のいくスタートだったら、葛藤を知らずに、自分の中の古い性質に気がつかないで歩いていっていたことでしょう。
そして、古い性質のまま子供を育て、神に頼らないひとになっていくことでしょう。
私たちは二人で神に信頼する夫婦となり、親となるのです。。
お祈りください。
お引越し前に届くと思いますけど、古い住所で送るからねー。(新しい住所知らないし。。)
よろしくね!
会いたいよー
上のコメントのお返事にも書いているけど、葛藤があるから、気付けるし、そのために更なる神様に求められる段階に進んでいける、小さな一歩一歩をしています。
夫婦でお互いの必要を満たそうと努力することを通しても神様の御心を知れると思います。
だけど、最終的にお互いが満たせるのは、お互いの「できる」範疇であって、最後までそこにしがみついて求める続けたら共依存に他ならないです。
その点ウチのたぬきは、独身時代賢くすごしたんじゃないかと思います。
私のレベルの低さを感じていますが、それでも妻たぬきにしてくれたんで、ゆっくりでも、楽しく成長していけるように祈り続けます。
私、本当に、「ふるい自分」を満たさない相手が結婚相手になるってことを、最初っからつくづく感じています。知っていて付き合ったんです。そして大きな賭けだとはじめっからひそかに思ってました。
だからこその葛藤と苦しみと悲しみを、今までも味わってきたのですが、もし、易しく、古い私の要求を満たしてくれるような男性だったら、私の成長はとっくに終わっていたと思います。
神のなさることは時にかなって美しい。
私の主と共に歩む荒野の道は、祝福と愛に満ちていることを信じて結婚します。お祈りください^^
まさにこの人こそ、
神様が結び合わされたふさわしい人!という感動なのでしょう?
そして、その中から、私は自分を新しく作り変えてくださる神様にも出会いました。
ちょっと見えていたような「荒野の道」
けど、神様は荒野に連れ出してあなたに愛を語ろうとみ言葉に言っておられるように、私は、どうして?という中にも、そう、感動をいつも感じてもいる、、、のです。
おねえさんもそう?^^