結婚準備も大詰めで・・・
婚約期間がこんなに長かったのに、おいら何をやってたの?って感じです。
韓国人の結婚する人々の多くが行う「ウエディングチャリョン」というのがあります。
訳すると、「ウエディング撮影」ですが、もう、このときは、誰もが芸能人になりきります。
化粧やヘアのセットはもちろん、演出も普通じゃありません。
ドレスのカタログに出てくるような写真を、一般人が撮って、アルバムをつくり、額を作り、ということをするわけです。
お友達の結婚写真もずいぶん今まで見てきましたが、花びら撒き散らした中にドレスのスカート広げて座ってみたり、ベールの中に二人で入ってキスしたり、強烈です。ウエディングドレス姿で、頭に花輪載せて、枕なげとかそんなのもあるし。。
どんな演出を要求されるかはスタジオによって違いますが、私たちも今週それをしようとしています。どんな風になるんだか。。
引越しも、そろそろ全面的に今の家を撤退して次の家に移らないといけない状況になってきました。
最近思っていることは、ウエディングチャリョンとかの写真や、式当日のお嫁さんっていうのは、お姫様みたいに見えるのですが、私の場合は(?)お姫様である時期の最後の日が結婚、って感じに思えます。
小さいころは、かわいがられて、教育もつけてもらって、ピアノ習って、プレゼントもらって、もらうだけの人生。
青年期には、自分のやりたいこと、勉強したいこと、留学したいところに留学して、苦労しても主体はいつも『自分』です。
その中に、気に入らない思い出ももちろんあるでしょうが、私の場合は、そういう風に恵まれて、名前のとおりめぐみちゃんで育ってきました。
結婚式、みると、いいなぁ~きれい!って憧れですが、現実的には、新しい人生の始まりの予感です。どういう人生?
それは、「放棄」の人生、「脇役人生」?
いや、一生自分の人生は、自分が主体ではあるのですが、それでも、今度は、すべて夫に合わせ、家族を考え、いろんなことに責任を持ち、責任の分野も拡がります。
そして、放棄の人生っていうのは、自分が納得して放棄するだけではなく、家族ゆえに放棄しなくていけない状況もあるでしょう。
また、自分が幼いころから夢見てきたことが、いつの間にか自分の目標、偶像化していたもの、そんなものを、どんどんと捨てていくこと。
すばらしい道です。
ひとりでは、捨てられなかったことでも、放棄する勇気が出るのは、新しくもっと素敵な「家庭」を前にするからであるでしょう。
私は婚約式の時「神に従う男性ならば、聖書に言われている夫に従うことと神に従うことを一致させることができるので、そのような男性に出会えるよう祈ってきましたが、まさにこの人がその祈りの応えです。だから、今後は、彼に従い、またますます神に従っていきます」と言いました。
うちの予備夫も人間であり、神ではないので神様の御心を全て知り尽くして歩いているわけではまったくありませんが、神のみ心をいつも第一にしようとたゆまない努力をする男性であることは事実です。
結婚の準備をしながら、正直今の私は、あれも放棄、これも放棄の過程にあります。
目に見えるものも、目に見えない私の欲とか希望とか、
全ての中に、ひとりでは選択し得なかったことを、彼と夫婦になる過程で選択するようになっていきます。
時々はそのすばらしさよりも、自分が持ってきた希望や欲や夢がやっぱり良く見えて、放棄が難しい時もあるけど、やはり神様のなさることは、時にかなって美しく、無限の恵みの中に、今の私がおかれていることを感謝しています。
脇役の場所に、主体的に立てる、喜んで立てる、そういう新しい挑戦の人生の予感です。
婚約期間がこんなに長かったのに、おいら何をやってたの?って感じです。
韓国人の結婚する人々の多くが行う「ウエディングチャリョン」というのがあります。
訳すると、「ウエディング撮影」ですが、もう、このときは、誰もが芸能人になりきります。
化粧やヘアのセットはもちろん、演出も普通じゃありません。
ドレスのカタログに出てくるような写真を、一般人が撮って、アルバムをつくり、額を作り、ということをするわけです。
お友達の結婚写真もずいぶん今まで見てきましたが、花びら撒き散らした中にドレスのスカート広げて座ってみたり、ベールの中に二人で入ってキスしたり、強烈です。ウエディングドレス姿で、頭に花輪載せて、枕なげとかそんなのもあるし。。
どんな演出を要求されるかはスタジオによって違いますが、私たちも今週それをしようとしています。どんな風になるんだか。。
引越しも、そろそろ全面的に今の家を撤退して次の家に移らないといけない状況になってきました。
最近思っていることは、ウエディングチャリョンとかの写真や、式当日のお嫁さんっていうのは、お姫様みたいに見えるのですが、私の場合は(?)お姫様である時期の最後の日が結婚、って感じに思えます。
小さいころは、かわいがられて、教育もつけてもらって、ピアノ習って、プレゼントもらって、もらうだけの人生。
青年期には、自分のやりたいこと、勉強したいこと、留学したいところに留学して、苦労しても主体はいつも『自分』です。
その中に、気に入らない思い出ももちろんあるでしょうが、私の場合は、そういう風に恵まれて、名前のとおりめぐみちゃんで育ってきました。
結婚式、みると、いいなぁ~きれい!って憧れですが、現実的には、新しい人生の始まりの予感です。どういう人生?
それは、「放棄」の人生、「脇役人生」?
いや、一生自分の人生は、自分が主体ではあるのですが、それでも、今度は、すべて夫に合わせ、家族を考え、いろんなことに責任を持ち、責任の分野も拡がります。
そして、放棄の人生っていうのは、自分が納得して放棄するだけではなく、家族ゆえに放棄しなくていけない状況もあるでしょう。
また、自分が幼いころから夢見てきたことが、いつの間にか自分の目標、偶像化していたもの、そんなものを、どんどんと捨てていくこと。
すばらしい道です。
ひとりでは、捨てられなかったことでも、放棄する勇気が出るのは、新しくもっと素敵な「家庭」を前にするからであるでしょう。
私は婚約式の時「神に従う男性ならば、聖書に言われている夫に従うことと神に従うことを一致させることができるので、そのような男性に出会えるよう祈ってきましたが、まさにこの人がその祈りの応えです。だから、今後は、彼に従い、またますます神に従っていきます」と言いました。
うちの予備夫も人間であり、神ではないので神様の御心を全て知り尽くして歩いているわけではまったくありませんが、神のみ心をいつも第一にしようとたゆまない努力をする男性であることは事実です。
結婚の準備をしながら、正直今の私は、あれも放棄、これも放棄の過程にあります。
目に見えるものも、目に見えない私の欲とか希望とか、
全ての中に、ひとりでは選択し得なかったことを、彼と夫婦になる過程で選択するようになっていきます。
時々はそのすばらしさよりも、自分が持ってきた希望や欲や夢がやっぱり良く見えて、放棄が難しい時もあるけど、やはり神様のなさることは、時にかなって美しく、無限の恵みの中に、今の私がおかれていることを感謝しています。
脇役の場所に、主体的に立てる、喜んで立てる、そういう新しい挑戦の人生の予感です。
そう思うと、辛くないっすか?
私も結婚するまでは、そう思っていたかも。もう自由がなくなるっとか…。
でも実際は、そうでもないねん。結婚前からしていたこと…オンギのこととか、私が神様からもらっているビジョンとかは、そのままやし。
私のイメージとしては、歩幅を合わせるって感じかなあ。
今までは、一人で自由に好きな方向へ、好きなところを見ながら歩いていたねん。
けど今は、一緒の歩幅で同じ方向に向かって、それぞれの見たいところを見ながら歩いてるってかんじかな。
時には、同じところを見ながら分かち合う。楽しむ。でも一人で見て楽しむところもある。
私はそんな感じです。
新しく与えられるものもあるでしょうねーとっても楽しみです。
オンニご夫婦に一度お会いしたいです!
ところで、私の結婚式に、そのオン●が来て歌ってくれることになって。。。
メンバーのチェウンソン伝道師さんが、ウチの予備夫のお友達で、その関係で以前もそこにお邪魔して発音みたりをさせていただいたんですが、私がちょーーーーファンなので、きてくれるように頼んでくれて、実現しました。
キャー。。。
私は自我が強いから従いきれなくて大変だけど(笑)。
独身時代より自由はないし楽でもない。だけど幸せだよ。
それに勝るものがあるし、何より助け手がいるからね。
あたしは主人に頼りっぱなしなんだぁ
ずっと前に、まだ結婚する前だったと思うけど、神様を信じないっていう感じの彼だったのに(ブログで見るかぎりよ^^)
いつの間にか。。
りょうこちゃんも強くはないだろうし、今も色々大変だと思うけど(これもブログで見るかぎりよ)、全てのことを通して神様が救いに導いてくださっていることがわかって、ハレルヤです。