言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

大恐慌時の対策

2009-10-28 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.98 )

 1930年代の大恐慌期のアメリカを見てみよう。
 1933年3月にフランクリン・ルーズベルトが新大統領に就任し、「バンク・ホリデー」を実施した。これによって、金融機関の合併や統廃合を通じて金融機関の選別が行われ、生き残ることができると政府に判断された金融機関に対して、資本注入が実施された。その時、金融機関に対する資本注入をする仕組みとして設置されたのが、RFC(復興金融公庫)であった。
 実は、RFC自体は、フーバー大統領時代の1932年に設置されていた。当初は不良債権の買い取りが主で、大した効果を上げることができなかった。だがルーズベルトはこれを資本注入型の救済機関に体制を整え、みずからの強いリーダーシップによって、金融システム安定化のために大鉈をふるったのであった。


 大恐慌期には、不良債権の買い取りがなされたが効果を上げず、金融機関に対する資本注入によって、金融システムは安定化した、と書かれています。



 不良債権の買い取りは、金融機関から不良債権を切り離すのですから、金融システム安定化に効くのではないか、と思われるのですが、実際には効かなかった。最終的に、資本注入がなされて、金融システムは安定化した、というのですが、それはなぜなのか。

 不良債権の買い取りと、資本注入のちがいはどこにあるのか、を考えてみると、

 金融機関の経営の面では、どちらも、大差はないのではないかと思います。不良債権を買い取ることによって、金融機関から不良債権を切り離すことと、金融機関への資本注入によって、不良債権を償却する余力を金融機関に与えることとで、大差はないと思います。

 それでは、両者のちがいはどこにあるのか。両者で決定的に異なるのは、不良債権が債権買取機構などに移って 「残る」 のか、償却されて 「なくなる」 のか、のちがいではないかと思います。

 この差は、金融機関にしてみれば、どちらも大差はありません。債権の売却であれ、償却であれ、要は自分のところから 「なくなる」 ことには、変わりありません。しかし、債務者にとっては、この差は決定的なものになります。

 債権が売却された場合には、債権者が変わっただけで、債務者の債務はそのまま残存します。しかし、債権が償却された場合には、債権そのものが消滅するのですから、債務者の債務も消滅します。したがって、債権の買い取りがなされても、債務者にとっては、なにも変わらないが、債権が償却された場合には、債務者にとっては、利益になる、と考えてよいでしょう。



 それでは、これを 「金融システム」 の観点からみてみます。いま、「金融システム」 を、金融機関など、債権者に限定する視点でみれば、債権買取も資本注入も、「金融システム」 のうえで、大差はない。しかし、「金融システム」 を、債務者をも含んだ視点でみるならば、債務が残存するか、消滅するかによって、「金融システム」 に対する介入に、決定的なちがいがある―――。

 ここで、冒頭、私が引用文を要約した記述、「大恐慌期には、不良債権の買い取りがなされたが効果を上げず、金融機関に対する資本注入によって、金融システムは安定化した」 を再考します。ここにいう 「金融システム」 は、もちろん、金融機関など債権者にかぎった視点で用いられている言葉なのですが、

 その 「金融システム」 の安定化のためには、債務者側をも、考慮しなければならない。なぜなら、効果の有無が、主として債務者側の事情によっていると思われるからです。



 ここで、債務者の立場に立って考えてみます。

 債務者にとってみれば、( 債権買取によって ) 債務が残存する場合には、債務を完済するまで、支払いを続けなければなりません。しかし、債権が償却された場合には、債務も消滅するのですから、もはや、支払いをする必要はありません。

 支払いをする必要がなければ、あらたな消費・投資を行う余裕が生じ、それによって、景気が上向き、経済が活発になる可能性が高まります。債務が残存する場合には、返済に精一杯で、消費・投資どころではないと思います。そもそも、「不良債権」 と呼ばれるくらいですから、返済そのものが困難で、返済に精一杯のはずです。



 結局、「金融システム」 を健全にしたところで、消費・投資が上向き、経済活動が活発にならなければ、あらたな不良債権が生じてしまい、意味がないのですから、債務者の救済も、同時に考えなければならないのではないかと思います。



 もっとも、債務者を救うことには、モラルの面で、問題があるとも考えられます。しかし、それをいうなら、債権買取にしろ、資本注入にしろ、債権者の側にも、モラルの面で問題があるのであり、それを承知のうえで、債権買取なり、資本注入なりを行うのです。ですから、債務者のモラルのみを問題視する必要はない、と考えてよいと思います。



■追記
 文中、「消費」 としていた部分を、「消費・投資」 に訂正しました。

1907 年恐慌時の対策

2009-10-27 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.97 )

 まず1907年恐慌であるが、当時を考える上で重要な事実は、まだアメリカにFRBのような中央銀行が存在しなかったことである。当時のアメリカは今日以上に資本主義に対する信頼性が高く、自由な金融システムは資本主義の根幹であり、規制すべきではないという考え方が強かった。金融システムを管理・監視するという発想はなかったのである。そのため、金融機関は、大手金融機関、および大物バンカーが中心となって結成された業界団体が、監督官庁を兼ねていた。
 1907年恐慌では、J・P・モルガンを中心としたニューヨークの大物バンカーたちが円卓会議を開いて、金融危機への対策を協議した。はじめは、銀行のインナーサークルの間で自主的に設置されていた「クリアリングハウス」(手形決済のための専門機関)が債券を発行し、それをこのインナーサークルに参加していた大物バンカーが経営する金融機関が購入、それによって調達した資金を金融市場に投入することで、事態を収拾しようとした。
 しかし、クリアリンクハウスはあくまでもインナーサークルの互助会的な役割しか果たせなかった。当時そのサークル外に位置していた「信託会社」の経営破綻は放置され、そのため恐慌はなかなか終息しなかった。
 そこで、次の措置として浮上したのが、財務省が政府保有の金(Gold)を担保に債券を発行し、その資金を、信託会社を含めた金融機関の救済のための資本注入に用いるという方法であった。これは、政府の介入を過度に嫌うアメリカの金融システムに公的資金が入ることを意味するものであったが、結局、この手法によって、アメリカの金融危機は一応、収拾した。


 1907 年の恐慌は、金融市場への資金投入では終息せず、金融機関への資本注入によって終息した、と書かれています。



 上記引用文は、戦前の 2 つのグローバル金融危機 ( 1907 年恐慌と 1930 年代の大恐慌 ) に対する政府の対策を参考にする、という趣旨で記述された部分です。冒頭の 「まず 1907 年恐慌であるが」 は、そのような文脈で書かれています。



 1907 年恐慌が、金融市場への資金投入では終息せず、金融機関への資本注入によって終息した。とすれば、「株価 PKO の是非」 を考える際には、否定的に考えることになります。

 当時の金融資本市場は、いまよりも ( 規模が ) 小さかったはずですが、それにもかかわらず、市場への資金投入は効かなかった。ならば、( もっと大規模になっている ) 現在の市場に資金投入をすることで、どれほど効果があるのか、疑問です。

 私としては、市場を人為的に操作することそのものに疑問がありますが、効果そのものに疑問符がつく、となれば、市場への資金投入 ( 介入 ) は、なおさら、好ましくないのではないかと思います。



 なお、1907 年恐慌については、



同 ( p.61 )

 危機直前までの株価高騰局面では「信託会社」という新しい金融取引の仕組みが最大限に利用されて、これが資産価格のバブルをもたらした


とされています。

 信託会社はいまも存在しており、社会的に認知されているといってよいと思います。したがって、今回のサブプライム・ローンの仕組み ( 債権を混ぜ合わせる ) も、今後、社会的に認知されるのではないかと思いますが、そのためにも、「相対取引の流動性」 を確保する仕組みを開発することが、重要になってくるのではないかと思います。

相対取引の流動性

2009-10-26 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.32 )

 前述したファニーメイ、フレディマックの経営危機によって、従来は信用リスクが低いと考えられてきた証券化商品(プライム・ローンなど)の価格も急落した。これに伴って、これらの証券化商品からさらに派生したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを多く取り扱っていた大手の投資銀行が経営危機に陥った。

(中略)

 問題は、これらの新しい金融商品には株式市場のような1つの取引所に需給を集約させて価格調整をする「市場」がなく、「相対」で契約が交わされていたという点である。相対契約は、契約の相手方が存在して初めて有効である。つまり、もし、ある住宅ローン関連の証券化商品がデフォルトした場合、あらかじめCDS取引の契約を交わして毎月保証料を支払っていたとしても、その証券化商品のデフォルトと同時に相手方が経営破綻してしまうと、リスクの肩代わりをしてもらえなくなってしまう。リーマン・ブラザーズ経営破綻の意味は、そこにある。
 経済評論家や大学教授の中には、アメリカの金融システムを「市場原理主義」と呼ぶ向きもある。しかし実際の金融取引では、「証券取引所」のような「市場」で一極的に取引の管理が行われている金融商品はきわめて限定的である。実際の金融取引は、会社同士の「相対取引」で成立しているものが圧倒的に多い。
 このような相対形式の金融取引で、相手方が経営破綻などによって契約不履行になるリスクを「カウンターパーティリスク」と言う。リーマン・ブラザーズの経営破綻は、まさに金融業界全体に深刻な「カウンターパーティリスク」をもたらした点に大きな意味があった。


 金融取引は、相対取引が圧倒的に多い。リーマン・ブラザーズの経営破綻によって、相対取引におけるカウンターパーティリスクがもたらされた、と書かれています。



 カウンターパーティリスクが現実化したのは、損失が巨額だからだと思います。損失額が小さければ、カウンターパーティリスクなど、問題になりません。

 「格付け会社への信頼喪失」 が、サブプライム・ローン問題の原因 ( のひとつ ) であるとすれば、格付け会社を不要とする制度を考えなければ、問題は解消しないのではないかと思います。



 ところで、格付け会社には、本来、個別に評価すべき個性的な金融商品を、同質的な金融商品にするための工夫・装置としての側面が認められると思います。すなわち、格付け会社は、相対取引を市場取引に近づける機能を担っていた、と考えられます。

 とすれば、( すくなくとも主要な金融商品には ) 格付け会社を不要とする制度はあり得ないのではないか、とも考えられ、流動性を保つ仕組みをどうすればよいか、が問題となります。

 どうすればよいか、私にはわかりませんが、

 おそらく、誰にもわからないので、流動性が枯渇してしまったのではないかと思います。誰かが、すばらしいアイデアを出せば、問題がひとつ、片づくのではないかと思います。



■追記
 「一般的・汎用的な金融商品」 と書いていた部分を、「同質的な金融商品」 に修正しました。

格付け会社への信頼喪失

2009-10-26 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.31 )

 サブプライム・ローン問題は2つのルートで、他の優良な住宅ローンに波及し、金融危機を深化させた。第1のルートは、前述の金利上昇である。金利上昇は、サブプライム・ローンから始まり、住宅ブーム崩壊の進行に伴ってAlt-A、プライム・ローンなど、優良な借り手のデフォルトに波及していった。これは住宅ローン全体のデフォルト率上昇につながる。
 第2のルートは、格付け会社の格下げによって、投資家の間で、「次はどの商品が格下げになるのか?」という「弱い者探し」が始まったことである。住宅市場での価格上昇率の鈍化によって、当然、投資家は、格下げの動きはサブプライム・ローンだけにとどまらないはずだと考えるようになる。そうすると、まだ高格付けが維持されているうちに売却しておこうと考える投資家が増加する。これによって、政府保証がついているはずの政府系住宅金融会社が組成した住宅ローン関連の証券化商品の、格付け引き下げリスクが高まった。それらの証券化商品に売りが殺到し、価格が急落した。
 また、このような危機が進行する中、政府系住宅金融会社であるファニーメイ、フレディマックの経営危機説が台頭した。問題とされたのは、低い自己資本比率であった。
 両社が組成する住宅ローン関連の証券化商品には、政府保証がついている。ファニーメイやフレディマック自身の自己資本比率の高低は、これらの証券化商品のリスクとは無関係のはずであった。しかし、いったん火がついたパニックは、投資家の冷静な判断を不可能にさせた。これが住宅ローン関連の証券化商品の価格暴落に、拍車をかけた。


 サブプライム・ローン問題は、(1) 金利上昇と、(2) 次に格下げされるであろう商品売却する動きの連鎖によって、優良な住宅関連金融商品の価格暴落・格下げへとつながった、と書かれています。



 ファニーメイやフレディマックの自己資本比率・経営状態は、「両社が組成する住宅ローン関連の証券化商品には、政府保証がついている」 ので、「無関係のはずであった」 が、価格が暴落した。これをもって、「いったん火がついたパニックは、投資家の冷静な判断を不可能にさせた」 と評価されているのだと思いますが、

 これは本当でしょうか?

 投資家がパニックになり、冷静な判断が不可能になった、という面が、まったくなかったとは思いませんが、この評価には、疑問があります。

 「サブプライム・ローンと格付け」 でみたように、格付けが下がれば、自己資本比率も下がります。したがって、金融機関としては、( 自己資本比率を維持するために ) 売らざるを得ません。証券化商品に政府保証がついていて、支払いが確実であろうと、格付けが下がれば、売らざるを得なくなることには、変わりありません。

 したがって、投資家 ( 金融機関 ) は 「冷静に判断して」 売却したのではないかと思います。価格暴落は ( 構造的に ) 必然、と考える余地があります。



 本来、政府保証がついていれば、格下げはあり得ないはずです。それにもかかわらず、売られたのはなぜか。それを考えると、おそらく、格付け会社に対する信頼が失われたからではないかと思います。というか、それしか考えられません。

 金融機関は、もともと、格付け会社を信頼してサブプライム・ローン関連商品を買っていたはずです。ところが、その商品が格下げされて損失を蒙ったのですから、その時点で、格付け会社は信頼を失ったとみられます。商品を大量に買っていた金融機関ほど、格付け会社を信頼していたはずであり、そのような金融機関ほど、損失が大きく、失われた信頼も大きい、と考えられます。

 価格暴落は、必然だったのかもしれません。

サブプライム・ローンと格付け

2009-10-25 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.29 )

 世界的な低金利局面の中、世界中の金融機関は、高利回りの運用対象として好んで証券化商品に投資した。その大きな理由は、格付けが高いという点にあった。
 金融機関(とくに銀行)には、自己資本比率規制が課せられており、自己資本比率をある一定水準以上に維持することが義務づけられていた。自己資本比率は、「自己資本÷運用資産」で計算される。運用資産には運用リスクに応じて掛け目が定められ、リスクの高い資産ほど高い掛け目が適用される。つまり、同じ金額の投資をした場合でも、よりリスクの高い金融商品に投資した場合には、リスクの低い金融商品に投資した場合よりも、自己資本比率が低下するようになっていた。
 たとえば、先進国の国債はデフォルトの可能性がほとんどないため、掛け目はゼロ%であり、自己資本比率算出の際、分母の資産に反映されない。一方、リスクが高い金融商品を購入すれば、掛け目がその分高くなるので、その分、分母の資産が増えることになる。
 そして、この場合の投資リスクを判断する尺度となるのが、格付けであった。つまり金融機関が、投資対象として、格付け会社によって高い格付けを獲得した金融商品を選択した場合には、低格付けの金融商品と比較して、自己資本比率の計算上有利となった。そのため、金融商品に対して格付け会社が付与する格付けが、投資対象の選別に大きな意味を持っていた。

(中略)

 経済環境の変化によって、サブプライム・ローンのデフォルトが増えてくると、格付け会社はサブプライム・ローン関連の証券化商品の格付けを引き下げ始めた。格付けが下がると、自己資本比率算出上、分母の総資産の額が増えるため、自己資本比率が自動的に下がってしまう。格付けが下がった証券化商品をそのままにしておくと、自己資本比率が低下してしまうので、金融機関は証券化商品をわれ先にと売却しようとする。
 これまで高格付けゆえに積極的に購入されていた金融商品が、ある時点で急に格下げされてしまうと、金融機関にとってはその瞬間から自己資本比率さえも変わってしまう。これは金融機関全体の経営戦略にも影響を与えるので、格付けが下がった金融商品は、なるべく早いうちに売却しようとする。こうして、証券化商品の値段が大きく低下してしまった。


 サブプライム・ローン問題は、証券化商品の格付け、及び、金融機関の自己資本比率規制と、密接に結びついている、と書かれています。



 高格付けの証券化商品を買っていたところ、格付けが引き下げられた。それに伴い、自己資本比率が下がるので、金融機関は、当該商品を売却せざるを得なくなる。

 とすれば、その売却によって価格が下がり、価格の下落によってさらなる売却が必要となり、さらに価格が下がり…、と、価格下落が連鎖すると考えられます。



 格付けが下がれば、金融機関の自己資本比率も下がるので、金融機関が格付けに頼らず、サブプライム・ローンの価値を独自に ( 厳格に ) 評価していた場合であっても、当該商品を売却せざるを得なくなります。したがって、金融機関による評価は、実際上、なんの意味もないことになるのではないかと思います ( 格付けが下がらない可能性が高まるので、まったく無意味ではない ) 。

 したがって、サブプライム・ローン関連商品の価値は、格付け機関の意思によって、劇的に下落する可能性があったと考えられ、このような金融商品が 「大量に」 売れたのはなぜなのかが、気になります。

 お金が余っていたので、なにか買わざるを得なかったのかもしれませんが。。。



 なお、( 森木亮著 『日本国破産への最終警告』 は全部読みましたが、ほかに書きたいところがないので ) 今度は不況脱出策を考えます。