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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

核廃絶の「目的」

2011-05-22 | 日記
中國新聞」の「新核実験に被爆者ら怒りの声」( '11/5/22 )

 米エネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)が核兵器の性能を調べる新たな実験をしたことが判明した21日、広島の被爆者たちに怒りと戸惑いが広がった。専門家からは新型核兵器を効率的に開発する環境が整うとの指摘も出ている。

 「核兵器なき世界」の追求を高らかにうたい、ノーベル平和賞も受賞した米国のオバマ大統領。広島県被団協(坪井直理事長)の木谷光太事務局長(70)は「オバマ大統領は核廃絶を目指す考えを変えてしまったのではないか。結局は歴代の大統領と同じで幻滅する」と落胆を隠さない。

 もう一つの広島県被団協の金子一士理事長(85)も「許せない。どのような方法にせよ、核兵器の害はないということにはならない。さらなる開発につながるとしたら問題だ」と憤る。

 一方、米国の核専門家ハンス・クリステンセン氏は米国の現状を「古い核弾頭を事故の危険性が低い安全な弾頭に近代化する議論が行われている」と解説。ハイテク機器を使った実験で「プルトニウムの挙動に関するさまざまなデータが必要なのではないか」とみる。


 米国の核実験に対し、広島の被爆者たちには怒りと戸惑いが広がった、と報じられています。



 被爆者の方々が「怒り」を感じるのは、「二度と、被爆者を出してはならない」という信念・気持ちに基づくものだと思います。つまり、核廃絶の「目的」は、「二度と被爆者を出さないこと」なのではないかと思います。

 しかし、「核廃絶は不可能」だと思います。

 とすれば、

   二度と被爆者を出さないために
          核廃絶に固執するのではなく、

   二度と被爆者を出さないために
          核兵器が必要である

と考えるのが自然ではないでしょうか。

 なぜなら、こちらが核武装していなければ相手に核を撃ち込まれる可能性がありますが、こちらが核武装していれば報復を恐れて相手は核を撃ち込んでこない、と考えられるからです。

 愛する人を被爆させないために、そして、二度と被爆者を出さないために、核兵器が必要なのではないかと思います。



 すくなくとも、下記の報道を見るかぎり、アメリカが核を放棄したところで核はなくならないと思います。



毎日jp」の「北朝鮮:イランへ技術者200人超 核、ミサイル開発支援」( 2011年5月16日 )

 【ソウル西脇真一】北朝鮮がイランに200人以上の技術者を送り込み、核やミサイル開発などの軍事技術を支援しているとみられることが対北朝鮮情報筋の話で分かった。2度の核実験に伴う国連制裁で、北朝鮮の武器輸出は難しくなっているが、代わりに軍事技術の移転で生き残りを図ろうとしている可能性があり、米国などが警戒を強めている。

 同筋によると、北朝鮮の200人はウラン濃縮施設などがあるイラン中部ナタンツなど12の地域に分かれて滞在し、技術の支援にあたっているとみられる。出入国や移動経路が発覚しないよう他人名義の旅券を所持する人物もいるという。

 北朝鮮は80年代初頭、エジプトから旧ソ連製の短距離弾道ミサイル「スカッドB」や自走式発射機を輸入して改良を進めてきた。一方、イランはもともと米国製兵器を使っていたが79年のイラン革命後は購入が不可能に。イラン・イラク戦争でイラクからスカッドミサイルを撃ち込まれ、対抗するため北朝鮮とのミサイル取引が始まったとされる。

 イランの短距離弾道ミサイル「シャハブ1」や中距離弾道ミサイル「シャハブ3」は、それぞれ北朝鮮の「スカッドB」改良型や「ノドン」がベースとされ、最近は北朝鮮の技術をしのぐまでになったといわれる。

 この情報筋によると、韓国哨戒艦沈没事件(昨年3月)で北朝鮮が使ったと韓国軍が指摘する「ヨノ(サケ)級」潜水艦は、イランとの軍事交流の中でイタリアの小型潜水艦建造技術を利用して建造されたとみられる。

 経済難が慢性化する中、北朝鮮にとって武器輸出は重要な外貨獲得手段だった。しかし、国連制裁後は09年末にタイで貨物機からイラン向けとみられる武器が押収されるなど、監視網が強まったため、人による技術移転を強化している可能性がある。

 一方、北朝鮮は武器輸出も継続しているとみられ、別の情報筋は「引き渡す方法はあるようだ。かつて米国や旧ソ連から武器を買わされていたアフリカなどの小国が、北朝鮮製を求めるようになっている」と指摘する。




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公共事業は最善の景気対策

2011-05-22 | 日記
藤井聡 『公共事業が日本を救う』 ( p.220 )

 ところで、公共事業を批判する議論の中で、次のような指摘を耳にすることも多い。それはすなわち、
 「景気対策のために財政出動が必要であるとしても、それが必ずしも公共事業でなくても、いいのではないか?」
 という指摘である。
 この指摘は、全く正しい。当然ながら、「公共投資、イコール、公共事業」ではないからだ。例えば、教育研究、資源開発、農業育成、そして、社会保障などの様々な項目への投資が、将来の日本のためには求められていることは間違いない。だから、景気対策のための公共投資を行うにあたっては、そうした多様な投資の一項目として公共事業を位置づけるという態度が、当然ながら必要だ。
 とはいえ、例えば、アメリカのリーマンショック後のいわゆる「グリーン・ニューディール」において「公共事業」が大きい割合を占めていたように、日本においても、効果的な経済対策を図る上で公共事業がその大きい割合を占めたとしても、それは至って "当然" の帰結だと言わねばならない。

 ただし、そんな "当然の議論" が、最近のマスコミ等ではほとんど論じられなくなったのは事実である。だから、「景気対策のためには公共事業」という議論が、なぜ "当然" なのか、ピンと来ない読者もかなりおられるのではないかと思う。ついては、この点を改めて整理しておくこととしたい。
 第一に、公共投資によって経済全体を活気づかせようとするなら、その投資が「様々な産業に波及すること」が必要だ。そうした波及のためには、投資する産業が様々な産業に関わっていることが重要である。その点、建設の現場は、鉄やコンクリート等の「部材」、トラックやクレーンなどの「機械」や、「調査・設計技術」、そして、大量の労働者のための「食事」や「宿泊」、はては「医療」に及ぶまで、実に多様な産業が関わっている。しかも、それらの産業は、さらに他の産業とも関わっている。そのため、建設産業への投資は、直接的、関接的に、莫大な経済波及効果を持つのである。ところが、例えば「医療」のみに投資をしてしまうと、建設産業よりは小さな波及効果しか得られない。ましてや、「子ども手当」のような投資の場合には、波及効果どころかすぐに「貯金」に回ってしまうのだから、大きな効果効果は期待できない(実際、〈株〉ニッセンが2010年6月に行ったアンケートによると、子ども手当の対象世帯の実に6割近くが、支給されれば、少なくともその一部を貯金に回すと回答している)。
 第二に、公共投資による失業対策としての効果を考えるなら、「急に失業してしまった人々でも働けるような雇用の創出」が必要である。複雑な技術を要する働き口では、大量の人々を雇い上げることができない。その点、公共事業の場合には、高度な技能を要する最先端の技術や設計に関する雇用から、いわゆる "日雇い労働" と呼ばれるような雇用まで、実に様々なタイプの雇用を生み出すことができる。
 第三に、「大きな公共投資を行うのなら、その "受け皿" が不可欠」だ。十分に育成されていない産業にいきなり数兆円の投資をしたとしても、それを消化しきれるはずはない。その点、公共事業を担う建設産業は、日本の全雇用の9パーセントを創出し、GDPの6パーセントをたたき出す文字通りの「巨大産業」だ。その雇用も経済規模も、日本経済を牽引する産業と位置づけられることが多い自動車産業のそれよりも大きいのだ。つまり、建設業ほど巨大な投資を受け止めることができるような産業は、実質的にほとんど見当たらないのが実態なのである。
 そして最後に、公共投資をする以上は、経済への短期的な "カンフル剤" として機能するだけでなく、「その投資によって "将来の経済成長を促す" ようなものであること」が重要だ。この点については、道路も、港湾も、ダムも、橋も、経済活動や生活のインフラとして大いに "必要" とされている(その仔細については既に本書で繰り返し見てきたので、ここでは改めて繰り返さない)。そうである以上、それらへの投資は、現在の経済を活気づけるだけではなく、将来の日本経済の発展にも多いに貢献し得るのである。

(中略)

 ただし、こうした "当然の議論" は、"当たり前過ぎる" とでもいわんばかりに、様々な論者からの批判にさらされてきた。ここでは、そんな点について少し触れておくこととしよう。
 まずよく耳にするのが、「確かに公共事業の波及効果(あるいは、乗数効果)は存在するが、そんなものはかつてほどはないじゃないか」、という指摘である。
 実際、いくつかの実証研究により、高度成長期の頃の経済波及効果よりも、現在の方が小さくなっているということも指摘されている。
 とはいえ、仮にそうであったとしてもなお、先に述べた理由を踏まえるなら、公共事業ほどに大規模な経済効果をもたらすような投資先は、ほとんど見あたらないのが実情である。
 次に、「地方経済の公共事業への依存体質が問題なのに、さらに公共事業を行えば、そんな体質が改善できないではないか」という指摘も、しばしば耳にする。
 確かに、バブル崩壊後に行った多くの公共事業によって、日本の地方部の公共事業依存体質がより著しいものとなった、という側面はあるだろう。
 しかしだからといって、公共事業をなくしてしまえば、大量の人々が実際に失業してしまうことは避けられない。だったらそんな人々をわざわざ一旦 "失業" させた上で、わざわざ "失業手当" を支払うよりは、将来、その地方の発展に寄与するような公共事業を行って、彼らに "給料" を支払った方が、ずっと「実のあるオカネの使い方」であることは、少し考えれば誰でもわかる話であろう。
 そして仮に、その地域の公共事業依存体質が問題だとしても、不況時ではなく景気が回復したタイミングで、(それこそ、不況時につくったインフラを活用して)公共事業の依存体質から脱却する産業の育成を考えればいいのだ。そうすれば失業者を出さずに、効果的に産業構造の転換を図ることができるだろう。
 こうした諸点も考えに入れれば、やはり、デフレ経済下での経済浮揚策として公共投資を行うなら、雇用確保の点でも、デフレ対策のためにも、そして、将来の潜在的な経済成長への寄与という点でも、「公共事業」への投資は、極めて有望な手法だと考えざるを得ないのである。


 景気対策としては、公共事業が最善である。多様な産業への波及効果、雇用創出効果、インフラとしての長期的効果が見込めるからである。なお、乗数効果が小さくなっている、経済体質が強化されない等の批判もあるが、それらの批判に対しては、公共事業が行うほうが「まし」であり、公共事業に勝る(まさる)対策はないと答えればよい、と書かれています。



 これには納得しました。著者は土木工学が御専門のようですが、さすがに専門家の意見には深みがありますね。



 ただ、すこし気になるところがあるので、その部分について記載します。ケチをつけるわけではありません(私は公共事業推進論を支持しています)が、ふと、疑問が浮かんだのです。

 著者は、仮に波及効果(乗数効果)が小さくなっているとしても、なお、公共事業に代わる投資先はほとんど見あたらない、と述べています。要は、いまなお、公共事業は「ほかの事業に比べれば」もっとも波及効果(乗数効果)が大きい、と主張しているのですが、

 それなら公共事業にまわす「予算」、つまり「事業の規模」を、小さくすべきではないか? という疑問があります。



 公共事業の波及効果(乗数効果)が小さくなっているのは、日本経済自体の「成長の余地」が小さくなっているからだと思います。とすれば、

   (ほかの公共投資に比べれば)
   公共事業のほうが「まし」なので公共事業は行うが、
   以前ほど「大規模に」公共事業を行う価値はない、

と考えられないでしょうか。かりにこの疑問が適切であるなら、公共事業関係の予算は徐々に縮小すべきである、と結論されることになります。大規模な投資を行ったところで、経済成長という「見返り」が小さくなっているなら、せっかく作ったインフラもほとんど活用されないままになりますし、あとに残るは負担(国債)ばかりなり、という状況になってしまうからです。



 とすれば、公共事業は行うけれども、その事業費は(小さくなった乗数効果に応じて)減額し、減額によって生みだされた予算で「国債の償還」を行うか、または「成長の余地」を拡大する戦略を実行すべきである、と考えることになると思います。

 日本経済の成長に「見切りをつける」なら、国債の償還がよいでしょう。ムダな努力はせず、後の世代の負担を小さくしておくべきだと思います。

 逆に、まだまだ「成長の余地はある」と考えるなら、新しい産業を育成する予算に充てればよいと思います。



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