次は深谷マラソンだということで今日から2,3日また走ってみたい。ハーフだけど気持ちの緩みは許されない。16日にバルセロナのハーフマラソンでケニアのフローレンス・キプラガドが女子の世界記録を更新した。1時間5分12秒だったかな。小柄な女性だったけど、すでにゴールしていた同胞の男子選手たちに抱きしめられて嬉しそうだった。あのゴール後の祝福は何物にも代えられない。ぼくも深谷で味わえるだろうか。
とまれ、仕事や趣味で期限とうか納期がはっきりしないとき、ずるずると勝ち負けつかないまま時間や月日が経ってしまうことがある。ぼくの場合、調べ物をやり始めて切りがなくなって、知識やある種の満足感は得られても結果がだせないで終わっていくということがたまにある。マラソンも、レースが近づいて準備ができてなくて、だんだんと「ダメだったら次がある、来年がある」って考え出して、練習が中途半端になるときがある。きっと人間って、一部の人を除いて、みんな死を目前にしないと無駄に時間を使ってしまうんだと思う。
いつか、DNA解析でその人の余命が分かるようになれば、みんなもっと明確な目標と計画を立て、より効率的に生活できるんじゃないかな。事故死は予見できないかもしれないけど、出生前検診の話しを聞いていると現実味を帯びる。遺伝的な素因が分かり、生活習慣の詳細な類型化ができれば、病気の発症と悪化の予見できる。
でも、あと何年というのがはっきりして、そのデッドエンドが近づいてきたとき、人はそれを受け入れて準備をすることができるのだろうか。キューブラ・ロスの死の受容の5段階があるけど、これは死に至る病を抱えた患者が医師から死の宣告を受けて始まるプロセスだ。若く健康なときに自分の余命を知ると人はどうなるのだろうか。多く人は、ぼくのマラソンのようにずるずるときて5段階の1段めを迎えるのだろうか。
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