真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

もう一度 やさしいライオンの説明 1

2006年12月10日 15時45分03秒 | やさしいライオン
いまはむかし、昭和39年より3年間NHKテレビで、『まんが学校』という番組を毎週放送していた。司会は 当時、若手 人気落語家の立川談志さん。講師は、やなせたかしさんであった。

テレビ視聴者から紙に描いた1コマ・マンガを郵送で応募してその中から優秀作を、やなせさんが選び『これはおもしろい!! ギャグが生きていますよ』、などといいながら、壁に貼って紹介した。

フレーベル館から絵本も出しており、素敵な絵が付いた詩集「愛の歌」や「愛の絵本」など若者に読まれていた。おのやさしいライオンの原作は幼稚園などで人気を得ていた絵本であった。
作品の概要と製作スタッフは。
企画意図 「ある街角の物語」「展覧会の絵」と、ユニークなアニメーションの傑作を自主制作し、アニメーションの発展に寄与してきた手塚治虫が、虫プロダクション制作「千夜一夜物語」にて最良のコンビとなった美術監督やなせたかしの代表的傑作の一つである原作「やさしいライオン」は児童絵本(フレーベル館)にして、出版され好評を得、子供向けミュージカルとして、ラジオドラマ化され、スライドミュージカルも製作され、子供はもちろん大人を含めた広い層の多くの人々に親しまれている傑作です。
 この作品をアニメーションにしたいという、やなせたかしの情熱と、作品自体の持つ魅力が手塚治虫を動かし、児童対象の作品には珍しい、制作費と、日本アニメーション界の第一線級のアニメーターと十分な時間をかけての作品作りが実現したのです。

作品の概要
母親をなくした孤児のライオンのブルブルと母親代わりの犬のムクムクの奇妙な親子の愛情を、11曲からなるミュージカルナンバーと人間の母と子の会話でおりなす物語です。
物語はある自然動物園を舞台に繰り広げられます。
母親をなくした赤児のライオンのブルブルは子供をなくした犬のムクムクの甘い乳とやさしい子守唄でスクスクと育ちます。
そしていつの間にかライオンのブルブルは「ワンワン」と吠え、チンチンをしたりビスケットが大好物という、犬のようなライオンに育ちました。
ミミズを追いかけたり、蛙ににらまれて逃げ出したり、ブルブルは母親のムクムクに見守られて楽しい毎日を過ごしました。
そんなある日の雨上がりの午後、散歩の途中でブルブルは水たまりに写った自分の姿が恐ろしい姿をしているのにビックリ! だがムクムクは見かけは違っても心の中が一緒なら気にする事はないとなぐさめられ気をとり直すが、やがて大人になったライオンのブルブルはムクムクと離れ離れにされてしまいます。
幾年月か後、サーカスの人気者となったブルブルは雪国の港町で星の降る夜にかすかななつかしいブルブルの子守唄を耳にします。
ブルブルは我をわすれて檻をぶちブチ破り町を超え、野を超え、山を超え、雪の林の中にやせおとろえたムクムクを探し出しました。
ところがライオンが逃げ出したというので街中は大騒ぎ、武装した警官隊にブルブルとムクムクは殺されてしまいます。
そして、金色のライオンが老いた犬を背に月の光を満身に浴びて夜空を駆けていく姿を最後に物語りは終わります。
コメント (2)
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