真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

もう一度 やさしいライオンの説明 3

2006年12月12日 15時53分48秒 | やさしいライオン
ある日やなせ先生から、幼稚園で、講演会をするので、一緒しませんかと、お誘いを頂いた。そのような、活動をずうっと続けていたとのことでした。手塚先生の講演会にも帯同していたのですが、雰囲気が違いました、児童と会場が一体なのでした。お話が終わって、スライドの「やさしいライオン」が上映されました。
「昔、ある国のある動物園に一匹の孤児のライオンがいました」
 「コジってこじき?」
 幼い子供たちにどっと笑いがあふれます。
 「こじきだって」とかわいわいと、今では、こじきと言う言葉は、差別用語とかで、放送できない言葉とされ、当初は、「ピー」と消されていましたね。若い人に聞くと知らないと答える人までいます。「こじきの王様」なんて話はどうするのですかね。
お話が進んで、最初の曲が流れました
「こうしてメス犬のムクムクは、ライオンのおかあさんになりました。
 やせてちいさなあかちゃんは、ブルブルふるえていましたから、ブルブルという、なまえがつきました」
幻灯機の絵です。とまっている絵なのに、子供たちはニコニコし、手をつないでいるお母さんを振り返って、指をさして、「ブルブルだって」など言っている、この絵を動かすことが出来るんだ、その時の子供たちは、もっと喜んでくれるはず。ぜったいいいものを作らなくては。
クライマックスが来て
町はずれの森のそばで、ブルブルはもうすっかりとしをとって、いまにも死にそうになっている、ムクムクをみつけました」
「よかったなあ、とうとうあえたんだね」
「ブルブルはなつかしいお母さんにあたまをすりつけて、クーンクーンとあまえました」
銃声   子供たちにひめいがあがりました。
「あ! うってはいけないのに、ブルブルはとてもやさしいライオンです、うってはいけない、やめてぇ!」
銃声 ダダダーン
 おおきな子供たちのやめての声と、泣き出してしまう子がいました。
終わりが来ました
「アフリカまで走っていけば、ブルブルはいきていられるよね」
「そんなに、とおくまで,走れるかしら」
「はしれるさ!はしれぇ!ブルブル!」
こどもたちも一緒にはしれ!と叫んでいました。
音楽が流れ
「走れ、ブルブル、きんいろの、かぜのように、はしれブルブルひかる矢のように
走れ、ぶるぶる走れ、たてがみをなびかせて、走れ!」
金色のライオン、ブルブルが走っていく絵で、お話は終わりました。
ぱちぱちと幼児たちの、可愛い手で拍手が起こりました。もう泣いている子はいませんでした。
正直主人公が死んでしまう、終わらせ方には、あまり積極的ではありませんでした、なんとかハッピーエンドに出来ないものか、やなせ先生にも言いました。しかしこれが答えだったようです。スタッフにも見てもらうことにしました。
コメント
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