ココア共和国向けに書いて、採用されなかった分です。
「戯曲の選び方」
演劇における戯曲の役割は上演に向けてのたたき台であろう。実際の上演に際しては演出家の解釈によって、同じ戯曲でも全く違う舞台になる。
1970年代から主にシェイクスピア作品で、多くの演出家による新しい解釈の上演が行われてきた。ロイヤル・シェイクスピアシアターの「夏の世の夢」とか「蜷川マクベス」などはよく知られた例といえる。
特に演出による作品の変化が、顕著なのはつかこうへいだった。つか演出の「松ヶ浦ゴドー戒」をVAN99ホールで観たときに、大変面白かったのだが、後に戯曲を確認したところ、全く違う芝居になっていたことに吃驚したものだ。当時はつかが口立てで演出していることを知らず、日々演出が変化するなど思いもよらなかった。
しかしながら、いろいろな解釈で演出して面白くなるというのは、もともとの戯曲にそれだけの魅力があると同時に、どう演出しても大筋は変化しないという前提があるのだ。つかのような演出は極めて独特であり、誰でもできるというわけではない。
それでも、劇団は上演しようとする。では、戯曲を選択するときには、どこに着目すればいいのだろうか。まず、戯曲は上演に当たっては台詞として喋られるものだということだ。しかし、言い回しによって、台詞の印象は全く変わってしまうことから、この段階でも、演出の意図が大きく作用してくる。
いずれにしても、舞台では声に出すものなので、第一段階では声に出して読み合わせをしてみることだ。私が指導していた高校の演劇部では一時期最初の読み合わせは「わからんちんの演劇事始」という、私の書いた作品を読み合わせしてから台本選定をしていた。この台本は、演劇部がどうやって台本を選んでいくかという物語で、新入部員に台本の選定の仕方を説明するより、台本を読んだ方が早いということでそうしていたのだ。ただ、書いた本人が言うのもなんだが、台本としてはあまりいい出来ではない。
声に出しても魅力的な台本だったら、次は舞台を想定して立って演技をしながら、セリフを言ってみる。ここからは、演出の出番だ。おおまかな舞台全体をイメージして舞台を作っていく。
いい戯曲であれば、セリフにどう動けばいいのかどう喋ればいいのかが内包されている。泣く、笑うも自然と演技できるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます