拡散と集合
普段私たちは、安全な距離で人と接しています。
と、私は説明しました。
これは、子供たちには難しかったようです。
大学生にも難しかったかもしれません。
つまり普段は、お互いが傷つかない距離をもって
会話を交わしているのですが
これではドラマにならないのです。
ここで、キーワードとなるのが
拡散と集合です。
二人だけの会話で、お互いの距離をどうとるのか
というのは、難しいし子供たちの演技ではほとんど必要とされません。
子供の芝居では、感情をうまく表現しているよりも
状態を表現していることのほうがおおいのです。
「おなかがすいたなあ」
「ぺこぺこだよ」
ここでは舞台上に拡散しているほうがいいでしょう。
「明かりが見える」
「どこ、どこ」
みんなが一箇所に積み重なるように集まる。
絵が見えましたか?
心理と立場。
さて、泥棒の演技をするとなると泥棒がどういう性格でどういう人たちかを知る必要がありますが、「悪い人」ぐらいのイメージしか子供にはないようです。
現実にはいろいろな泥棒がいてもおかしくありませんが
物語の中で彼らが生きるには、それなりの性格を構築する必要があります。
では、泥棒はどういう立場にいるのでしょう。
と、私は説明しました。
性格を知るよりも、立場を知ったほうが役を作りやすい、ことが間々あるからです。
つまり、性格は普遍性がないのですが立場は普遍性があるからです。
泥棒の立場というのはどういうものでしょう。
私が説明したのは、泥棒はどんなにたくさん盗んでも
威張れるのは仲間内だけだということです。
たくさん盗んだことを誇ればたちまち足が付きます。
泥棒と言うのは一般的にそういう立場にいる方々です。
これに物語に合わせて性格をプラスしてみましょう。
普段はいつもこそこそし、威張りたいけれど威張れない。
威張りたいけど威張れるのはいつも同じ相手、ということになります。
では、なぜそういう立場を選ぶのかというと
理屈はいろいろあるでしょうけど
威張りたいだけで、実は気が小さいのでは、と考えました。
威張りたくなければ
サラリーマンのように泥棒をこなし
傍からは泥棒だと気づかれないでしょう。
こういう人を「怪盗」とも言います。
でも、それでは「ブレーメンの音楽隊」にはなりません。
大声で自分たちがいかに優れた泥棒であるかを自慢し合い
不気味なものに出会うと、恐れおののく。
性格だけで、彼らを語ろうとすると
物語になりません。