英語に関しては趣味なので基本的に面白いからやっているだけなんですけど、それ以外にも本職のコンピュータの事とか、数学とか、その他諸々、知識を仕入れる事に対する欲望は衰えるどころか、歳とともに強くなる一方です。
なぜか?50過ぎともなると人生の終焉というものが頭の片隅にチラつき出すわけですけど(別にどこも悪くはないですよ)、いよいよ死が目の前に迫った年齢になる頃に
という感情にはなりたくない、というのがあり。
何を言っているのか分からないと思うので順序だてて説明すると、まず、人生が楽しくて楽しくて仕方がないというのは若い頃は大変結構な事ですけど、70とか80とか90とかになってもそうだとしたら、それって本当に良い事なのだろうか?と思うわけです。よく考えて下さい。どう頑張ったってそれくらいの年齢になれば死がいよいよ身近になってきます。そのような歳になる頃にまだ、楽しくて楽しくて仕方が無い人生なのだとしたら、、、
ですよね。歳を重ねれば重ねるほど、まだこの楽しみを奪ってほしくないという死への恐怖が大きくなってくる。でも、死は年々確実に近づいている。。。とても怖い状況ではないですか?
私は、そのような年齢になった時に、そういう状態にはなりたくないんです。かといって、何の抵抗もなく死を受け入れられるわけがありません。そのような感情になるのは、逆に人生が辛すぎて仕方ない、死んだほうがましだ、というような状態におかれた場合くらいのもんでしょう。もちろん、それも嫌です。
私の理想は、それくらいの年齢になった頃に、
と言えるようにすることです。死んだほうがマシというような辛い状況を回避しつつ、死をある程度受け入れられる心境になるためには、そうなるしか無いと思うのです。
じゃあ、そのような年齢になる前にどんな人生を送ればそういう境地に到達できるのか?簡単に言えば、どのような”飽き方”が考えられるか?
これは人それぞれだと思います。やりたいことを全部やりきって、”もう十分楽しんだ、思い残すことはない”という心境になることを目指すのも一手かも知れません。しかし、私の場合はそういう方向ではなくて、
だから”もう飽きた”、そういう飽き方だと思うのです。経験して味わうというより、まあ頭で大体分かった、見切った、と思える感覚。どちらかというと行動より理屈先行の人間なので。
なので、世の中見切った、と思えるようになるために、知らないことをできるだけ減らしていきたいのです。そのために知識を貪欲に吸収したいと思って、勉強しています。ま、簡単にいうと、
ということです。
もう1つ、歳をとっても勉強しないといけない理由があります。これは、私だけではなく、おそらくこれからの日本で生きていかねばならない全ての人に当てはまることです。それについてはまたの機会に話しますが、要するに、
ということです。本当の意味での”実力”がないとオマンマが食えない、そういう世の中が来ると思います。私くらいの年代(現在51歳)でも、そういう準備をしておかないとヤバイと思うのです。
ま、幸い年金で暮らしていけたとしても、個人的には体が元気なうちは働きたいですけどね。そうするにも”実力”が必要です。オレよりできる人間なんてそうそういないぞ!と言える爺ちゃんになりたい。
なぜか?50過ぎともなると人生の終焉というものが頭の片隅にチラつき出すわけですけど(別にどこも悪くはないですよ)、いよいよ死が目の前に迫った年齢になる頃に
まだ死にたくなーい
という感情にはなりたくない、というのがあり。
何を言っているのか分からないと思うので順序だてて説明すると、まず、人生が楽しくて楽しくて仕方がないというのは若い頃は大変結構な事ですけど、70とか80とか90とかになってもそうだとしたら、それって本当に良い事なのだろうか?と思うわけです。よく考えて下さい。どう頑張ったってそれくらいの年齢になれば死がいよいよ身近になってきます。そのような歳になる頃にまだ、楽しくて楽しくて仕方が無い人生なのだとしたら、、、
まだ死にたくないという恐怖が肥大していくだけ
ですよね。歳を重ねれば重ねるほど、まだこの楽しみを奪ってほしくないという死への恐怖が大きくなってくる。でも、死は年々確実に近づいている。。。とても怖い状況ではないですか?
私は、そのような年齢になった時に、そういう状態にはなりたくないんです。かといって、何の抵抗もなく死を受け入れられるわけがありません。そのような感情になるのは、逆に人生が辛すぎて仕方ない、死んだほうがましだ、というような状態におかれた場合くらいのもんでしょう。もちろん、それも嫌です。
私の理想は、それくらいの年齢になった頃に、
人生、もう飽きた
と言えるようにすることです。死んだほうがマシというような辛い状況を回避しつつ、死をある程度受け入れられる心境になるためには、そうなるしか無いと思うのです。
じゃあ、そのような年齢になる前にどんな人生を送ればそういう境地に到達できるのか?簡単に言えば、どのような”飽き方”が考えられるか?
これは人それぞれだと思います。やりたいことを全部やりきって、”もう十分楽しんだ、思い残すことはない”という心境になることを目指すのも一手かも知れません。しかし、私の場合はそういう方向ではなくて、
世の中の仕組みを大体知って、大体見切った
だから”もう飽きた”、そういう飽き方だと思うのです。経験して味わうというより、まあ頭で大体分かった、見切った、と思える感覚。どちらかというと行動より理屈先行の人間なので。
なので、世の中見切った、と思えるようになるために、知らないことをできるだけ減らしていきたいのです。そのために知識を貪欲に吸収したいと思って、勉強しています。ま、簡単にいうと、
物を知らないまま死にたくない
ということです。
もう1つ、歳をとっても勉強しないといけない理由があります。これは、私だけではなく、おそらくこれからの日本で生きていかねばならない全ての人に当てはまることです。それについてはまたの機会に話しますが、要するに、
老後も働かないと食って行けない世の中が来るだろう
ということです。本当の意味での”実力”がないとオマンマが食えない、そういう世の中が来ると思います。私くらいの年代(現在51歳)でも、そういう準備をしておかないとヤバイと思うのです。
ま、幸い年金で暮らしていけたとしても、個人的には体が元気なうちは働きたいですけどね。そうするにも”実力”が必要です。オレよりできる人間なんてそうそういないぞ!と言える爺ちゃんになりたい。