英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

ノートはいらない、4色ボールペンだけでいい

2016年05月25日 21時45分41秒 | 英語
このブログをご覧頂いている皆さん、ひょっとして、英語の勉強をするときにノートなんか使ったりしていませんよね?

絶対に必要ないですから!!

より正確に言うと、必要ないというよりは、そんなメンドクサイことしてたんじゃ、そりゃ勉強なんてはかどるわけがないですよ、ってこと。

中学・高校生や受験生の皆さんは別です。先生が教えてくれた内容はちゃんと紙にまとめておくべきでしょうし、試験で問われるポイントが明確な、範囲の狭い受験英語の世界では、きちんとしたノートを作って重要ポイントや間違った所を何度も集中的に復習できるようにしておくことは重要です。

しかし、早くTOEICの点数を上げたいとか、英語をある程度話したり聞いたりできるようになりたいというように、実用英語を相手にする場合は、ノートは必要ないです。いや、もっと言うと、ノート作りは害悪です。

なぜか?前にも言いましたけど、勉強に必要な労力が何倍、何十倍にも膨れあがってしまうからです。字を書くのはとても時間がかかりますし、すぐに疲れてしまいます。単位時間当たりに触れる英語の量が激減してしまう一方で、疲労度は激増。

たとえ1時間勉強したとしても、そのうち、脳みそが本当に一生懸命英語を処理している時間は10分とか15分とかになってしまうでしょう。これで英語脳が育つと思いますか?

どうせ1時間勉強するのなら、ほぼ1時間フルに、英語処理のために頭を回転させる。それくらい密度の濃い勉強をしないと、そりゃいつまで経ってもラチが開かないですよ。

間違えた所、大事だなと思う所、などなど、4色ボールペンでも使ってチョイチョイと印をつけていきながら、手元の本をドンドン進めていかないといけません。もちろん、1回で全部身に付くわけないですから、忘れたらまた復習すればいいんです。1回のサイクルをアリさんのように時間をかけてやっても駄目です。どうせ忘れるんですから。そうじゃなくて、それなりのスピードで脳にガンガン英語をインプットして、そのかわり何度も復習する。さっさと回して、さっさと忘れて、またさっさと復習する。そういうやり方の方が早く身に付きます。

力の無い人は、「文法の本くらいじっくり読みたい。そうじゃないと理解できない」と仰ると思います。はい、じっくり読むのは構いませんが、いちいちノートに書き出す必要はないです。そんな時間があったら2回、3回と読んだ方がはるかに記憶に残ります。ただ、2回目、3回目の復習の時に初回でつまづいた所を意識できるように、要所要所に印をつける程度でいいんです。

もちろん、英語を読んでいる時も、分からない箇所に出会った場合は、ウヤムヤにしたまま先を急ぐのではなくて、ちゃんと理解できるまでじっくり頭をひねって考えて下さい。読めない所をいい加減にしたのでは勉強になりませんから。こういう場合は、何とか構文を理解しようとして頭が必死になっているので、たとえ先には進んでいなくてもちゃんと意味のある時間になっているのでご心配なく。要は、頭をしっかり使って英語を処理している時間の密度が濃ければいいんです。だから、やっぱりノートはいらない。わかったときに、その内容をチョイチョイとメモしておけばいいだけ。だから、余白が狭い本はちょっと辛いですね。

書かないと覚えられないという方もいらっしゃるかも知れません。そういう場合は、あくまで頭に叩き込むことを目的に”書きなぐる”のは許容範囲ですが、キレイに書くなんて発想になった時点でNGです。ちなみに、この”書かないと覚えられない”については、実力が付いてくるほどそんな事は無くなってきますね。英語が軽くなってくれば、知らない箇所もグッと睨んだだけで覚えられるようになりますから。

どうしてこんな話をするかって?英語学習に関して難しい事をウダウダ述べる以前に、もっと基本的な所で、初心者の方々と私との間に意識のズレが無いとも限らないな、と思ったからです。なんか、世にはびこる”勉強法動画”と似たような感じになってきたので嫌なのですが(笑)、まあ、たまにはこういうマニュアル的な話でもしてみようかなと。めったにしませんよ。

ノートを作っている間、あなたの脳は全く英語を処理していません。技術を磨くためには、もっともっと濃密に、あなたの脳をイジメないといけないのではないですか?英語を聴くときは特に、絶対にノートなんか使わないはずですしね。

受験英語が苦痛なわけ

2016年05月24日 23時03分46秒 | 英語
まあ、いろいろありますよね。このブログでも幾つか述べてきました。クソつまらない選択式の文法問題とか。まあ他にもあるでしょう。センター試験なんかでやらされる発音問題とか、あるいは私大お得意の整序問題とか。あーやだやだ、おぞましいですねぇ。今の私でも好きになれませんよ、こんなの。

でも、よく考えてみると、こんなのは一応英語そのものを扱っている分、まだまだ序の口というか、マシと言えばマシなんです。もちろん、決して面白いものではありませんが、本当の黒幕ではないと思うんです。

では、受験英語を本当につまらない、苦痛あふれるモノにしている”真犯人”は何か?私が思うに、以下の2つのような気がします。

(1)論説調・文学調の文章を読まされること
(2)自由英作文

これら2つに共通する特徴は以下です。

(a)純粋に英語そのものの知識や運用力だけを問うているものではない
(b)たとえ日本語でやらされたとしても苦痛である

bですよb。抽象的で難しい内容の論説文を読めとか、何文字以内で作文しろとか、たとえ日本語でも嫌なはずです。ほとんど現国のテストじゃないですか。こんなのを、まだまだ英語力が未熟な18, 9の学生に、英語でやれと言っているんです。苦痛に決まってます。で、aなんです。結局、何を目的にこんな事をやらせているのか全く意味不明ですよね。現国の試験で問うているのと同じ能力を、わざわざ英語の試験でも重ねて問う必要があるのでしょうか?

英語の試験と言いながら、純粋な英語力の試験になってないんです。英語そのものは大好きだという人でも、こういう試験は苦痛だと感じる可能性は高いですよね。

今の私でも、自由英作文なんて死んでもやりたくないですし(英検にはあるよなー)、英文標準問題精講とか英文解釈教室などの参考書に出てくる英文を読んでいると眠たくなります(安心しろ、受験生諸君!TOEIC 930の英語好きの大人でもこんなもんだ。ただ、油断はするな)。英語そのものの難しさではなくて内容の抽象度の高さに嫌気がさすんです。日本語で難しい本を読まされる時と全く同じ状況ですね。

受験英語の問題は英語の皮をかぶった現国の問題だ、と以前にも言いました。それこそが、受験英語が辛いものになっている最大の理由だと思うのです。

英語力を養成して英語力を測りたいのなら、それ以外の変な要素は極力排除すべきだと思うんですけどね。知の象徴たる大学様のメンツを保ちたいんでしょうか。まあ、昔に比べれば多少はマシなようですが。

そういう意味で、TOEICは”英語力を問う試験”として良くできていると思います。私は大学の先生方と違って頭の出来が悪いので、TOEICみたいな日常生活に密着した分かり易い英語とか、ジャーナリスティックな英語とか、そういう物しか楽しめないですね。

本物の語彙力

2016年05月23日 01時29分49秒 | 英語
英単語の話が出たので、関連して、最近の勉強の中で思ったことを。

今、リーディングの勉強として「TOEIC テストBEYOND990超上級リーディング7つのコアスキル」(アルク)という本をやっているのですが、練習問題の中にちょっと悩ましいものがありました。

問題をそのまま引用すると長くなるので概略だけ説明すると、ある投資会社の人がコンサル会社に対し、自社のコンピュータネットワークを更新するのにどこの会社に頼むのがいいか?という質問をしたという経緯を踏まえ、コンサル会社の人がそれに対して電子メールで行った回答(この会社がいいよ、と推薦している)が問題文として掲載されている問題があります。それで、設問として、「コンサル会社の人が投資会社の人にコンタクトしている理由はどれか?」というのがあり、以下のような選択肢が並んでいます。

(A) To advertise his services.
(B) To nominate an execute.
(C) To share some expertise.
(D) To recommend a network system.
(出展は同書:pp.113)

A, Bは簡単に除外できますが、私はCとDのどちらにするかを非常に迷いました(ちなみに、問題文の英語は非常に簡単で、ここで迷うことはありません。問題文自体は100%完全に読めています)。

Dは、ネットワークの”会社”ではなく”system”となっている所がひっかかりますし、CはCで、expertise(専門知識)という単語のニュアンスからして、「たかが会社の紹介程度のことを専門知識なんて言うか!?」という疑問があり、どちらにするか決めかねたのです。で、Dを選んでしまって、見事に間違えました。正解はCだそうです。

この本自体は実際のTOEICよりも難しめに問題を作っていると思われるので、このようなレベルの問題が実際のTOEICに出るのかどうかは私には分かりません。しかし、実際のTOEICのパート7でやらされる営みはまさにこのような問いに答えていくことです。なので、こういう問題に確実に正答するためにはどのような能力が必要なのか、こういう演習を通してよーく考えておくことが大事です。

非常に悩ましい問題、人によっては悪問呼ばわりする方もいるかもしれません。何が悩ましいのか?要は、Dのsystemという言葉と、Cのexpertiseという言葉と、”どっちの方がより許容できるのか?”その判断力が問われている問題だということです。私はその判断を正しく行うことができなかったと、そういうことです。

はい、今、”悩ましい”と書いてしまいましたが、英語が本当に分かっているネイティブレベルの人がこの問題を見たときにもはたして”悩ましい問題だ”と思ってしまうのでしょうか?

要は、expertiseという単語をどれくらい自分のモノにできているか、ということだと思うのです。ほとんどの日本人は、expertiseという単語を「専門知識」という日本語訳で覚えてしまっているでしょう。expertiseという単語をそのように理解・記憶してしまっている限り、この問題は”悩ましい問題”になってしまうと思います。しかし、色々調べていくと、expertiseという単語には”ノウハウ”みたいな意味もあって、日本語の”専門知識”よりももう少し広い範囲の意味をカバーしているようです。この事がちゃんと分かっている人にとっては、C(ノウハウを共有するため)を選ぶことはさほど難しくはないと思われます。

いかがでしょう。。。なんだが溜息が出ちゃいますね。この問題を何の躊躇もなく一瞬で正答するためには、expertiseという英単語をこれくらい正確に理解できてないと駄目なんです。もちろん、それができていなくても、system, の方により強烈な違和感を(たまたま)感じることができて正答できてしまう”幸運な”方もいらっしゃるでしょう。しかし、本当の実力者は、expertiseという単語の意味の守備範囲を正確に理解していて、これとsystemという単語のズレ具合とを比較して、その結果、Cの方が全然マシだと判断してしまえる、ということだと思うのです。なので、本物の英語力を持った人にとっては、この問題は全然悩ましい問題でも悪問でもないのです。

TOEICのリーディングセクションで問われる能力は様々ですが、これなんかはそれらの中でも最高級の部類に属する能力が問われている問題でしょう。問題文が読めた、読めないで一喜一憂する人が多いですが、短い短い設問文の中でも、高い精度の英語力が問われることがあるのです。

こういう問題こそが、”そう簡単に満点を取らせないための問題”なのでしょうね。なんだか、前回の記事と内容が矛盾している所もあるような気がしますが(すいません)、語彙にこだわるのなら本当はこのレベルまで極める、いや、極めるまではいかなくても、こういう所にまで気を配る勉強をしないといけないのです。本当は、ね。なので、別に英単語帳を使って勉強することを否定はしませんけど、”本物の語彙の勉強はそんなものじゃないよ”ということを、少しは意識しておいてほしいのです。容易なことではないですが、まあ、受験を直前に控えたギリギリの状態の人はともかくとして、中学生とか高1生とか、まだまだ時間に余裕のある人はすこしでも”高級な”勉強を心がけた方が将来のためです。もちろん、TOEIC 950を目指す社会人も、それくらいの志はあった方がいいでしょう。


もうちょっと書きたいことがあるのですが、長くなるので今回はこれで終わりにします。


覚えなきゃいけない事を勝手に変えていませんか?

2016年05月21日 22時48分10秒 | 英語
休みなのでもう1つ。

今日はすでに1つ記事を書いているので、この2発目は手短にしたいと思いますが。

ネット上に上がっている勉強の仕方に関する動画、特に「英単語の暗記」に関するものを見ていると、なんだか変な感じがするんですよね。おススメの単語帳をひっぱり出してきて「1秒1個ずつなぞれ」とか、ノートの真ん中に線をひっぱって云々とか。。申し訳ないけどキモイです。ごめんね。

英単語1つ自分の頭に叩き込むだけのことを人からアドバイスを請わないとできない人達って何なんだろう、こんな動画を真剣に見てる奴って相当やばいんじゃないか、というのもあるのですが、それにプラスして、やっぱり

君たち、単語さえ覚えればなんとかなると思ってないかい?


という、老婆心みたいなものがムクムクと込み上げて来るのです。まあ確かに、大学受験みたいな少々とち狂った世界の、しかも二流・三流大学の入試なら何とかなる要素もあると思いますが。。でもやっぱり、このブログでも度々言っているように、読む練習を積まないとまともに読めるようにはならないよ、ということを絶対に忘れないでほしいんです。そういう練習を十分にやった上での、補強としての単語帳暗記なら全然いいんですけど(そういう事は私もやります)、どうも、単語の暗記だけが先走っちゃってる感が否めないんですよね。

なんだか、英語の勉強をわざわざ自分から苦しくてつまらない物に変えちゃってる気がして。別に英単語の単純暗記なんて誰も求めちゃいないのに(ましてや日本語訳で暗記するなんて)。本来、英語を勉強するってどういうことなの?英語を読める、聞ける、書ける、話せる(入試にはないけど)ようになること、要するに”英語を操る練習”をすることですよね。それを忘れて、勝手にやること変えちゃ駄目ですよ。

数学なんかもそうですよね。公式としてのっている”結果”だけを覚えて、それを使って問題を解こうとする。もちろん公式は覚えていないといけませんが、教科書に載っている”公式の導出過程”の習得を無視して公式だけを暗記しても、そんなのは数学の勉強じゃありませんから。教科書のそういう記述の部分に、物凄く重要な考え方、重要な式変形、数学的発想、みたいなものが凝縮されてるわけですから、ちゃんとそういう所を学びとることなくして数学の心を学んだことにはならないですよね。公式・定理の結果だけ暗記して、やれ、次はどの問題集に手を付けろとか、、、これも、やることを変えちゃってますよね。教科書の知識だけで受験問題が解けないのは事実ですけど、教科書にも書いてある重要な”数学的発想”を無視して問題ばかり解いても、何をやっているのか意味不明ですよね。そういう意味で、東大が加法定理の証明を出題したときは見事だと思いました。

このブログは受験英語よりもTOEICをメインに想定しているつもりですが、特にTOEICのリーディングセクションなんて、英単語の単純知識なんかよりも、英文の筋を追う能力の方が遥かに重要です。こういう能力は頭を使って英文を追いかける練習を積まないと絶対に身につきませんからね。逆に、難しい単語の意味が分かるか分からないかなんて、問題を解く作業にはほとんど影響しません。どうでもいい所にしか難しい単語は使われていませんから。

ほんとに皆んな、頑ななまでに英文を読もうとしないですよね。英文と格闘するのがそんなに怖いのでしょうか。でも、まともな大学の入試やTOEICで問われているのは、英文と格闘しないと絶対に養われない能力ですからね。


強勢音節等間隔(7)

2016年05月20日 18時24分47秒 | コンピュータ
今回でこの話題を最後にしたいと思います。

(2)文脈に基づく連想能力、の話をまだしていませんでしたが、これは簡単に言ってしまえば”語彙力”のことです。そうですねぇ、何でもいいですけど例えば、

I bought this book ( ) 1000 yen.

という英文を見て、括弧の中に入れる語句として'for'を瞬時に思いつくことができない人は、このforを聞き取れない可能性が高いと思います。「1000円と引き換えに(買った)」という感じですが、こういう言い方に慣れていれば、for の部分をいい加減に発音されても「forに決まってる」と思えるわけです。逆にこういう言い方に慣れていないと、forの部分が”ファ”みたいな、はしょられた発音になったときにはもうアウトでしょう。そういうことです。(”価格が変動する物”の場合はatが入る場合もあるようですが、その場合は”~円のときに買った”という意味になりますね)。

こういう話をすると、「結局、語彙を覚えないといけないのかー」とため息をつかれる方が多いと思いますが、リスニングに限らず、このような狭い意味での”覚える”という考え方は、止めた方がいいと思うんですね。ま、大学受験のような姑息な世界は別として、実用英語を相手にする場合には止めた方がいいと思います。とてもじゃないですが、暗記で対処できるような狭い世界ではありませんから、押しつぶされてしまいます。

じゃあ、どのように考えればよいのか。私の感覚で言うと、”覚える”ではなくて”馴染む”、だと思うのです。以前ちょっと言った”技術が知識を飲み込んでしまう”という方向性、それを目指すのです。リーディングで言えば、このブログでも「その文章がチョー簡単、あほらし」と思えるようになるまで繰り返せと言っていますが、それは決して「脂汗を流して暗記しろ」ということではありません。その文章の内容を自分自身で喋っているつもりになって、何回も読むなり、つぶやいてみるなりしてみるのです。”覚える”とか”暗記する”とかではなくて、よどみなくスラスラと喋れるようになったか、を意識してやるのです。分からないところはスクリプトをちら見しても全然構いません。それでいいと思います。

このとき大事なのが、「英文を上から目線で見る」ことです。英文に振り回されながらそれを必死に暗記しようとするのではなくて、あたかも芝居の台詞を覚えようとしている役者のように、その文章を自分自身で喋っているように”なりきって”、”自分がその英語を操っている”というイメージを持つことが重要です。そして、同じように重要なのが、ただ機械的に英文を喋るのではなくて、”何を言おうとしているのか”という意味のイメージを思い浮かべながらそれに対応した英文をひねり出していく、という感覚で英語をアウトプットすることです。これによって、”どういう事を言いたいときにどういう表現を使えばいいのか”というような”対応表”みたいなものが頭の中にできあがるので、実践的な知識として英語が頭に残るのです。

英語に対してそのような能動的な接し方をしていれば、この単語を覚えたとかこの熟語を覚えたとか、そんな瑣末な事にいちいち神経をすり減らさなくても当たり前のように個別の表現にもいつの間にか”馴染んで”しまえるのです。実際、そうやって身につけた知識しか使い物になりません。

おっと、リーディングの話になってしまいましたが、リスニングの練習をするときも基本的には同じです。聞こえてくる音を丸ごと飲み込んでやろう、という上から目線で聴くことがやはり大切です。そのような感覚でたくさん音を聴いて英語の音に馴染む、リスニングができないということは結局、そういうことが足りていないのです。

しかし、そうは言ってもリスニングはリーディングと違って難易度が高いのでなかなかそう簡単にはいきませんよね。私も長年辛酸を舐めてきました(いる)ので、力の無い初心者の方にそんな事をしろと言っても、実際には聞き取れない箇所が多すぎて何がなんだか分からない、そんな感じだろうな、ということは重々承知しています。

この点に関しては、「特効薬もなんか無いよ。本当にやる気があるなら俺と同じように辛酸を舐める覚悟をしろ」と本当は言いたいのですが、、、そうですねぇ、最初のとっかかりとして心がけて頂きたい点があるとすれば、

日本人のカタカナ発音を徹底的に嫌いになる所から始める


のがいいんじゃないかなと、今の私はそう思いますね。英語の勉強を始めた頃の私はこういう意識は持っていませんでしたが、今になって思うと、これって凄く重要です。

リスニングが上手くなれるか、なれないか。もし才能というか向き・不向きみたいなものがあるとすれば、英語を母語とする人たちのあの発音、あのリズムを「格好いいと思えるか否か」が分岐点だと、私は思います。格好いいものに出会ったとき人はどうするか。ずっと側にいたい(笑)と思うでしょうし、あの格好良さを自分でも真似してみたい(格好いいモデルさんの真似したいでしょ?)とも思うでしょう。英語の音に対してそういう感情を抱くことができたら、、、英語の音声がグッと身近なもの、近づきやすいものになって、抵抗が薄れるはずです。

で、その”格好よさ”をちゃんと味わうために、日本人風のカタカナ発音を頭の中で思い浮かべることを完全に断ち切る必要があるのです。これができないと、英語の格好よさなんて絶対に分かりません。別に、ジャパニーズイングリッシュを振り回すなとか、発音に神経質になれとか、そんな事を言っているのではありません。日本人風のカタカナ発音を思い浮かべているような”鈍感”な音声感覚では、英語の音を手なずける事など到底できませんよ、って事です。


今私が一番聴いているのはNHK World TVですが、あの番組でもレポーターやコメンテーターとして時々日本人が出てきます。もちろん、流暢な英語を話しているのですが(私なんかよりずっとずっと、英語ができる方々だと思います)、発音の方は、残念ながら日本人発音になってしまっている方が多いです。もちろん、それについてとやかく言うつもりはありませんし、あれはあくまでテレビ番組であって英語の学習教材ではないので、その事自体は無問題だと思います。しかし、英語のネイティブの格好いい発音に浸って気持ちよくなりたい、そういう目的で聴いているときに急に日本人に切り替わると、正直、興ざめします。そんな時はイヤホンを外したりもします。それくらい、英語本来の音が体に染み付いていて、逆にそれ以外のものは受け付けないという耳になってしまっているんですね。英語の音をものにしようと思ったら、英語本来の音に対してこれくらい敏感にならないと駄目だと思います。

だから、教育現場でも、学生にくだらないリスニングテストを課す前に、まずはそういう音声教育をちゃんとやれと言いたいですし、ゴリゴリのカタカナ発音のままやたらめったらに音読をやらせるのも、音声感覚を逆に鈍らせてしまう危険性が大だと、私なんかは思っています。音読をやりたいなら、別に完全でなくても構わないから、できるだけネイティブの発音とリズムを真似るように心がけてやるべきです。確かに少々恥ずかしいかもしれませんが、そういう”照れ”の感覚よりも、不自然な英語を発することの方により大きな違和感を感じるようになったとき、正しい英語の音声感覚が身についたと言えるのだと思います。へたくそなカタカナ発音で一生懸命音読をやって、英語の字面は覚えられるかもしれないけど、耳の方はどんどん悪くなっていくのではないでしょうか。

なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、やっぱりいつも言っている哲学に戻ります。”英語そのものの音とリズムにしっかりと注意を向けろ”ということです。で、ただ単に一生懸命聴くだけではなくて、英語の発声原理の根本にある”強勢音節等間隔の心”を意識しながら、彼らの発音を真似るつもりで能動的に聴け、ということが言いたいのでした。

要するに、一流のモノマネ芸人になればいいんです。