英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

強勢音節等間隔(7)

2016年05月20日 18時24分47秒 | コンピュータ
今回でこの話題を最後にしたいと思います。

(2)文脈に基づく連想能力、の話をまだしていませんでしたが、これは簡単に言ってしまえば”語彙力”のことです。そうですねぇ、何でもいいですけど例えば、

I bought this book ( ) 1000 yen.

という英文を見て、括弧の中に入れる語句として'for'を瞬時に思いつくことができない人は、このforを聞き取れない可能性が高いと思います。「1000円と引き換えに(買った)」という感じですが、こういう言い方に慣れていれば、for の部分をいい加減に発音されても「forに決まってる」と思えるわけです。逆にこういう言い方に慣れていないと、forの部分が”ファ”みたいな、はしょられた発音になったときにはもうアウトでしょう。そういうことです。(”価格が変動する物”の場合はatが入る場合もあるようですが、その場合は”~円のときに買った”という意味になりますね)。

こういう話をすると、「結局、語彙を覚えないといけないのかー」とため息をつかれる方が多いと思いますが、リスニングに限らず、このような狭い意味での”覚える”という考え方は、止めた方がいいと思うんですね。ま、大学受験のような姑息な世界は別として、実用英語を相手にする場合には止めた方がいいと思います。とてもじゃないですが、暗記で対処できるような狭い世界ではありませんから、押しつぶされてしまいます。

じゃあ、どのように考えればよいのか。私の感覚で言うと、”覚える”ではなくて”馴染む”、だと思うのです。以前ちょっと言った”技術が知識を飲み込んでしまう”という方向性、それを目指すのです。リーディングで言えば、このブログでも「その文章がチョー簡単、あほらし」と思えるようになるまで繰り返せと言っていますが、それは決して「脂汗を流して暗記しろ」ということではありません。その文章の内容を自分自身で喋っているつもりになって、何回も読むなり、つぶやいてみるなりしてみるのです。”覚える”とか”暗記する”とかではなくて、よどみなくスラスラと喋れるようになったか、を意識してやるのです。分からないところはスクリプトをちら見しても全然構いません。それでいいと思います。

このとき大事なのが、「英文を上から目線で見る」ことです。英文に振り回されながらそれを必死に暗記しようとするのではなくて、あたかも芝居の台詞を覚えようとしている役者のように、その文章を自分自身で喋っているように”なりきって”、”自分がその英語を操っている”というイメージを持つことが重要です。そして、同じように重要なのが、ただ機械的に英文を喋るのではなくて、”何を言おうとしているのか”という意味のイメージを思い浮かべながらそれに対応した英文をひねり出していく、という感覚で英語をアウトプットすることです。これによって、”どういう事を言いたいときにどういう表現を使えばいいのか”というような”対応表”みたいなものが頭の中にできあがるので、実践的な知識として英語が頭に残るのです。

英語に対してそのような能動的な接し方をしていれば、この単語を覚えたとかこの熟語を覚えたとか、そんな瑣末な事にいちいち神経をすり減らさなくても当たり前のように個別の表現にもいつの間にか”馴染んで”しまえるのです。実際、そうやって身につけた知識しか使い物になりません。

おっと、リーディングの話になってしまいましたが、リスニングの練習をするときも基本的には同じです。聞こえてくる音を丸ごと飲み込んでやろう、という上から目線で聴くことがやはり大切です。そのような感覚でたくさん音を聴いて英語の音に馴染む、リスニングができないということは結局、そういうことが足りていないのです。

しかし、そうは言ってもリスニングはリーディングと違って難易度が高いのでなかなかそう簡単にはいきませんよね。私も長年辛酸を舐めてきました(いる)ので、力の無い初心者の方にそんな事をしろと言っても、実際には聞き取れない箇所が多すぎて何がなんだか分からない、そんな感じだろうな、ということは重々承知しています。

この点に関しては、「特効薬もなんか無いよ。本当にやる気があるなら俺と同じように辛酸を舐める覚悟をしろ」と本当は言いたいのですが、、、そうですねぇ、最初のとっかかりとして心がけて頂きたい点があるとすれば、

日本人のカタカナ発音を徹底的に嫌いになる所から始める


のがいいんじゃないかなと、今の私はそう思いますね。英語の勉強を始めた頃の私はこういう意識は持っていませんでしたが、今になって思うと、これって凄く重要です。

リスニングが上手くなれるか、なれないか。もし才能というか向き・不向きみたいなものがあるとすれば、英語を母語とする人たちのあの発音、あのリズムを「格好いいと思えるか否か」が分岐点だと、私は思います。格好いいものに出会ったとき人はどうするか。ずっと側にいたい(笑)と思うでしょうし、あの格好良さを自分でも真似してみたい(格好いいモデルさんの真似したいでしょ?)とも思うでしょう。英語の音に対してそういう感情を抱くことができたら、、、英語の音声がグッと身近なもの、近づきやすいものになって、抵抗が薄れるはずです。

で、その”格好よさ”をちゃんと味わうために、日本人風のカタカナ発音を頭の中で思い浮かべることを完全に断ち切る必要があるのです。これができないと、英語の格好よさなんて絶対に分かりません。別に、ジャパニーズイングリッシュを振り回すなとか、発音に神経質になれとか、そんな事を言っているのではありません。日本人風のカタカナ発音を思い浮かべているような”鈍感”な音声感覚では、英語の音を手なずける事など到底できませんよ、って事です。


今私が一番聴いているのはNHK World TVですが、あの番組でもレポーターやコメンテーターとして時々日本人が出てきます。もちろん、流暢な英語を話しているのですが(私なんかよりずっとずっと、英語ができる方々だと思います)、発音の方は、残念ながら日本人発音になってしまっている方が多いです。もちろん、それについてとやかく言うつもりはありませんし、あれはあくまでテレビ番組であって英語の学習教材ではないので、その事自体は無問題だと思います。しかし、英語のネイティブの格好いい発音に浸って気持ちよくなりたい、そういう目的で聴いているときに急に日本人に切り替わると、正直、興ざめします。そんな時はイヤホンを外したりもします。それくらい、英語本来の音が体に染み付いていて、逆にそれ以外のものは受け付けないという耳になってしまっているんですね。英語の音をものにしようと思ったら、英語本来の音に対してこれくらい敏感にならないと駄目だと思います。

だから、教育現場でも、学生にくだらないリスニングテストを課す前に、まずはそういう音声教育をちゃんとやれと言いたいですし、ゴリゴリのカタカナ発音のままやたらめったらに音読をやらせるのも、音声感覚を逆に鈍らせてしまう危険性が大だと、私なんかは思っています。音読をやりたいなら、別に完全でなくても構わないから、できるだけネイティブの発音とリズムを真似るように心がけてやるべきです。確かに少々恥ずかしいかもしれませんが、そういう”照れ”の感覚よりも、不自然な英語を発することの方により大きな違和感を感じるようになったとき、正しい英語の音声感覚が身についたと言えるのだと思います。へたくそなカタカナ発音で一生懸命音読をやって、英語の字面は覚えられるかもしれないけど、耳の方はどんどん悪くなっていくのではないでしょうか。

なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、やっぱりいつも言っている哲学に戻ります。”英語そのものの音とリズムにしっかりと注意を向けろ”ということです。で、ただ単に一生懸命聴くだけではなくて、英語の発声原理の根本にある”強勢音節等間隔の心”を意識しながら、彼らの発音を真似るつもりで能動的に聴け、ということが言いたいのでした。

要するに、一流のモノマネ芸人になればいいんです。
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