英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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理屈を追求しすぎるのは危険

2013年09月01日 02時09分02秒 | インポート
久しぶりです。またまたよく分からない英文に出くわしたので、毎度の事ですが思うところを書いてみます。

He is a gentleman, which his brother is not.
(彼は紳士であるが、兄[弟]はそうではない)

はい、簡単な文です。大学受験の英文法問題でもよく問われる内容を含んだ文なので、ああ、あれか、と思われる方も多いと思います。関係詞の観点から論ずると、この文には主に3つの大きなポイントがあります。

(1)
関係代名詞の先行詞が関係詞節の中で(be動詞の)補語の役割を果たす場合、関係代名詞にはthatを用いる。

(2)
関係代名詞の先行詞が人であっても、地位、性格、職業を指す場合は関係代名詞にwhoは用いない。

(3)
関係代名詞thatには非制限用法はない。

先ほどの文を非常に単純に考えれば、補語の役割を果たしているので本来ならthatが来るのだが、非制限用法なのでthatは外れてwhichとなる。と処理してしまえばそれで終わりです。

しかし、、、色々深く考えていくと、このような単純な文でもよく分からない点が(私には)出てくるのです。まず最初にこの文をみて疑問に思ったのは、

「a gentlemanは”彼”と”兄[弟]”で別人をさしている。これを1つの関係代名詞で接続しちゃってもいいのか?」

ということでした。性格なのか人自体なのかはともかく、実体として異なる物を1つの関係代名詞を使って接続するようなことがはたして許されるのだろうか?という、この文には限らない一般論的な疑問が頭に浮かびました。未熟ながらまだこの点は私自身未解決なのですが、次に、性格なのか人なのかについて、(2)のルールは何故そうなるのか?という点については、ネットを色々と調べているうちに、「地位や性格や職業というのは、もはや人自体ではなく、”そういう種類のもの”という、モノとしての捉え方をしていると考えればよい」という解説をみつけて、合点がいきました。

で、(1)ですが、このルールもおなじみではあるのですけど、なぜ?と考えると理由を説明している本や解説はほとんど無いのですが、これも調べていくうちに、「関係詞には補語格がそもそもない。そこで主格や目的格で代用することになるのだが、このとき、主格と目的格で形が同じものであることが望ましく(代用だから形が違う物だとどっちを使っていいのかわからない)、さらに、人と物の両方に使えるという曖昧さを兼ね備えている点で、便利なthatが使われる」ということだと分かりました。

で、問題は、世の参考書や解説記事においては、(1)のルールを解説するときになぜか例文として(2)に該当するものを挙げて説明しているものが多いのですが、どうしてこの2つを分けて説明してくれないのか、私にはわからないのです。この2つを分けて説明できるような例文(シチュエーション)が無いのでしょうか?thatは人と人以外を区別しなくていいからラクだというのなら、逆に、人であることや人ではないことが明確な内容、たとえば、

This is not a chair which it used to be. (この椅子はもはやこれまでそうであったような椅子ではない)

というような英文はダメなのでしょうか?ここもthatじゃなきゃダメ、というのであれば、上の説明は完璧ではないです。

(3)に関しては、th系の関係詞はwh系とは違って”確定した内容を示す”(冠詞のtheに近い)という本質的な意味があることから、聞き手にとって初見となる情報を付加的に述べる非制限手法にはthatは似つかわしくない、ということのようです。これは何となく分かります。

まあ簡単に言えば、関係詞が補語になるときは、一番汎用的なthatで代用するのがよくて、ただし非制限用法には使えないよ(だから例文ではwhichになっている)ということなのですが、まことしやかに言われている(1)とか(2)のルールを個別に追求していくと、よく分からないというのが私の現状です。特に(1)に関しては、be動詞の補語、と明記してある場合とそうでない場合があり、「じゃあ目的格補語の場合はどうなるの?」という疑問もあり、本当に訳が分からんです。

このように、比較的単純な英文でも、本当に理屈を厳密に追求していくと際限がなくなってしまうんですね。もちろん、偉い学者先生は説明できるのかもしれませんが、少なくとも高校生や一般向けの英文法の世界でこれらの全てを明快に、一貫した理屈で説明してくれている物は皆無ですし、そもそも学問レベルの難しい理論を持ち出さないと正確な説明ができないというのなら、受験生や我々一般の趣味人は一体どうしろというのでしょうか?

やっぱり、本当に頭がよくて、理路整然とした理屈を追求してしまう人、そこまで頭が回ってしまう人ほど、損をしてしまう気がしてならないのです。大学受験でいうなら、こういう点の理解を完璧にしようと頑張るより(たぶんそんな事をしても無駄)、問題が解ければいいやと割り切れる人の方がうまくいくという事になってしまうんでしょうね。実用英語に関していうなら、理屈はそこそこであとは例文主義、と割り切れる人が有利、ということになるでしょうか。

だから私は、英文法は必要ないとまでは言いませんが、英文法が英語の全てを説明だててくれるような物言いをする人、英語のしくみをきちんと理解すれば暗記すべき量を激減させることができるというような物言いをする人は信用できないです。どう考えたって理屈だけで済む世界ではありませんし、その理屈自体も極めて理解し難い代物です。ここだけはしっかり覚えて、あとは練習あるのみ、理屈が全てじゃないから、という誠実な物言いをして頂きたいものです。

ということで皆さん、我々一般人は、あまり真面目に考えすぎても損しますよ、という事が今日言いたかったことです。受験合格、TOEIC、英検、実用的な英会話、各自の目標に手っ取り早く近づく”目的主義思考”でいきましょう。