英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

イングリッシュ・モンスター

2011年04月02日 21時15分51秒 | 英語
地震とか原発の話もしたいのですが、考えれば考えるほどこの国の糞っぷりに嫌気がさしてくるので、そっちの話はちょっと置いといて。やっぱり英語の話が面白いので、そっちの話。

今日、久々にちょっと惹かれる本を見つけたので買ってみました。「イングリッシュ・モンスターの最強英語術」という本です。

著者の方はテレビにも少し出ていらっしゃったことがあるそうで、ご存知の方も多いのかもしれませんが、私はテレビはほとんど見ない人なので、今日初めて知りました。

34歳で仕事を辞めて引きこもり生活を始め、その間に英語の勉強を思い立って、7年ほど引きこもりながらの英語一筋の生活を送った結果、TOEIC満点を20何回も取れるくらいになった、そういう内容の本です。まあ、普通の人とは明らかに一線を画す経験をなさっているという点で、確かに凄いとは思います。スマートな人生を歩みたい方にはあまり受けないかもしれませんが。。。

細かいハウツー的な事はあまり書かれていませんので、勉強法を模索するための参考書にはならないと思います。著者の、上記のような人生エピソードを聞いて何を感じ取るか、そういう本です。量的にも、1時間もあればざっと読めるくらいの分量です。

この本を読んで私が一番考えさせられたのは、「人生におけるコストとリターンの見積もりをどうするか」という、このブログでも時々言及している問題です。私自身はよく分かっているつもりですが、まともな感受性をもった読者がこの本をよんでまず第一に痛感させられるだろうことは、それなりにまともな英語力を身に付けるにはラクな方法などない、膨大な時間と手間がかかるのだ、という事です。7年間ほとんど誰にも合わずに朝から晩まで英語の勉強をして、、、外国語を身に付けるとは、本質的にはそういう事なのだということを、良くも悪くも改めて思い知らされてしまうことでしょう。そういうある種の”偉業”を成し遂げた著者の方の一途な努力と集中力は賞賛に値すると思いますが、ごくフツーの、英語以外の仕事や立派な家庭を持っている社会人が、同量の勉強をこなすことが一体可能なのだろうかと考えると。。。。

まず無理ですよね。普通の社会人が普通の社会生活を営みながら彼と同量の勉強量をこなすには、それこそ何十年もかかるでしょう。それでもやる!と思うか、俺はほどほどにしとこうと思うかは個人の自由ですが、それくらいの量が必要なのだ、という事はちゃんと分かった上で、自分なりのゴールを決めて学習計画を立てないといけないと私は思います。「何ヶ月で英語がペラペラ」とか、そういう類の振れ込みに騙されてはいけないということ。この著者の方は、もっとも極端なコースを歩んだということだと思います。

この点に関しては、私からは、「だからやっぱり若いうちに勉強しとけ!」というメッセージを送りたいと思います。勉強できるうちに勉強しとかないと、ということです。大人になってから取り返すのは、彼のような極端な経験でもしないかぎり無理なのです(この著者の方はちゃんとした学歴を持っていらっしゃる方のようですので、もともとある程度できた方なのだと推測します。そういう人でも大変なのです)。私はこの著者の方ほどには実力はありませんが、社会人になりたての20代前半のころは、平日は6、7時間、土日は20時間くらい英語をやっていました。英語の事だけを考えれば、若い時にそこまでやっておいてよかったと思います。ただ、それで友達づきあいも女性との出会いも犠牲にしてしまったので(笑)、ひとりの人間としてよかったのかどうかは知りません。

私が次に考えさせられたのは、発話能力を付けることと、ある程度高度な内容の読み書きの力を付けることとはひょっとしたら別なのかもしれないな、ということです。この著者の方のスピーキングの能力がどれくらいなのかは分かりませんが、「引きこもり生活」の中で時間をかけて研ぎ澄ましたのは恐らく後者の能力だと思います。これは日本語でもそうで、”話す”ことは小さい子供でもできるけれど、高度な読み書きは学校でしっかり勉強して長い時間かけて身に付けるものです。

私自身まだメカニズムが良く分かっていないのですが、日常生活の中でそれなりに不自由なくコミュニケーションができるようになるかどうかという点については、想像以上に短期間で高い能力が身に付くケースが多々あります。私も知人に外国人の方が何人かいますが、日本に来て半年やそこらで私とほぼ不自由なく日本語でコミュニケートできる人が少なからずいるのです。もちろん彼らは読み書きはまだまだおぼつかないとは思いますが、”話す”ということに関しては、その言語が使われている言語圏で実際に生活する、という方法が、圧倒的に効率がいいんだろうなーと、彼らを見ていると認めざるを得ないのです。もちろん、相当の努力もされているんですけどね。

何が言いたいかというと、たった一人でガムシャラに暗記することでしか磨けない能力と、できるだけ他人と関わってコミュニケートしながら磨くべき能力とを、しっかりと分けて考えるべきなんじゃないかと、そんな気がしています。”とにかくある程度話せればいい”というだけなら、悲壮感ただよう努力をするよりも、思い切って英語圏に飛び込んで生活してみるというのもアリなのかもしれないなと、最近思っています。これはこの本を読んで知ったというよりは、私の身の回りの外国人の方が日本語を身に付けていく姿をみて感じることです。

何にしても、”本物”と認められるだけの力を身に付けるには膨大な努力と時間が必要で、それをいつ、どういう形で成し遂げることを目指すのか、しっかり人生設計しながら、できるだけ若いうちに手をつける、理想はそういう事なのだと思います。「引きこもり」自体は決して褒められることではないとは思いますが、そういう特殊な事情が生み出す「膨大な時間」が大きなアドバンテージと化すことが無いわけでもない、そういう事なのだと思います。確かに、仕事と家庭を持つ人から見れば、自由な時間というのは最高の贅沢です。