
人生初の読書は、小学4年の時に読んだ、「ロビンソンクルーソー」である。
ものすごく貧乏な小年時代だったが、その家にポツンと一冊の本があった。
その本は、家の誰かが小学校の図書館で借りて返本しなかったもので、表
紙の内袋に、借りた時の日付カードが入っていた。
最初はパラパラとめくっただけだが、3度目ぐらいで本の内容に引き込まれた。
主人公が漂流してある島にたどり着き、そこから冒険物語が始まる。主人公を
助ける原住民のフライデーという少年がが好きで、何度もその本を読んだ。し
かし、読書と言えばその一冊切りで、成人になるまで、まったく本を手に取ら
なかった。
それが大阪に出てきて、専門紙の記事にしろ、文章を書くようになって、読書
の必要性を感じた。ちょうど、角川文庫が「横溝正史フェア」をしていて、そ
れが大ブームになった。それらを読破し、外国のミステリも読むようになった。
そこで京都大学出身の先輩が言った。「ミステリなど文学じゃない。純文学を読ま
ないと本当の読書家とは言えないよ」と…。確かにそうだ。俺は今まで世界的な文
学に接したことがない…ということで、いつもの本屋で別のコーナーへ行った。
ディケンズ、カフカ、シェークスピアなどの本を購入して読んでみた。しかし、
なんとか最後まで読めたものの、小説の内容はその国の歴史的背景が大部分を占め、
理解できぬままだった。本を読むことが苦痛になった。自分の学のなさを棚に上げて、
「純文学とは苦痛の文学…」という印象しか残らなかった。やはり、工業高校出では
無理な世界なんだ…と。
それから十数年、相変わらずミステリは読んでいる。全く飽きないし、最近のミステリ
はスケールも大きい。まるでハリウッド映画を見ているような感覚で、読者を楽しませ
てくれる。あるミステリーサイトの会員になり、800冊を超える書評をしているし、今
やミステリは居酒屋巡り、国内旅行とともに、人生に欠かせない娯楽の三大要素になっ
ている。
ある日、よせばいいのに、また純文学に挑戦したのである。ミステリにせよ、1000冊近く
読んで来たので、ある程度素養が備わってきたかも…と。手に取った本は、文学界最高の
一冊と言われるドストエフ・スキーの「カラマーゾフの兄弟」である。あの五木寛之さん
が「人生を変えた」という名作だ。
よせばよかった。確かに色々な教訓は挿入されているが、キリスト教の例えが多く、ちん
ぷんかんぷん。物語は分厚い文庫本の上中下で、これが一向に進まなかった。まずは上の半分
を読んでそれから1年後に再読したが、上を読破するのに3カ月くらいかかった。
半年後に中に挑戦し、三分の一を読んところで挫折。挫折?そう、ブン投げたのである。それ
では悔いが残るだろう、世界一の名作だぞ!まだ中ではないか、ざっと目を通せばいい
…と思うかもしれないが、もうこの本にかかわりたくない。この本を手に取るだけで苦痛なの
である。
俺の手にはおえない。無理だ、土俵がちがう。正直そう思った。また、この本を読破したとて、
何のプラスにもならない…負け惜しみではなく、本当にそう感じたのだ。
確か、カフカもそうだった。俺にとっては奇書に近い。
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