まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

まつなが畑のお客さん

2008年11月20日 19時25分48秒 | Weblog
 直売って本当おもしろい。

 膝カックンしてくるヨガの先生。カレーを作って持って来てくれる方。手づくりの市に出展されていた方が来て頂いたり。今度新規就農する友人が駆けつけてくれたりと今日も色々な方が野菜を買いに来てくれました。

 「まつなが畑」が少しずつ形作られて来たなと。
 
 もし「まつなが畑」の自慢はと聞かれると「良いお客さん」と答える。自分は未熟だけども周りが支えてくれているという安心感がある。
 
「野菜が無い時は私で調節してね」といってくれるセットのお客さん。一人二人ではない。「何時も少しでゴメンネ」と毎回買ってくれるお客さん。残りの全部頂戴と言って買って行ってくれるお客さん。友人のお母さんも定期的にセットを取ってくれる。友人も取ってくれたり などなど。

 通り掛りにしゃべってくる90歳ぐらいのおばあちゃん。「何時も良いなと思うけどここの野菜は高いやろ~」何時も去っていくので。たまに興味を示した野菜は安く分けるようにしている。こういうお客さんも「まつなが畑」の大切なお客さん。

 「まつなが畑」のお客さんはお客さんではなく神様でもなく知り合いみたいな感じ。この人たちのために野菜を作っているという感じ。不特定多数ではなく特定少数。

 みんなの健康が私に託されているという責任感。みんなに助けられているという安心感。 

 自分が目指す小さい単位でのコミュニティーが出来つつあるのかな。
 農業経営はどうのこうのなんて言う人がいるけど。きっとそういう人は“共同”という言葉が好きではないだろう。競争するから良いものが残り自立する力が付くと思っているのでは。その中で格差が出来れば永続的社会は可能なのかと問いたい。資本主義の競争社会にあっても“共同”というものが無ければ“永続”という事はありえない。
 田舎に移り畑をして良く分かった。一人では何も出来ないと言う事が。

 周りをコンクリートで固めてしまえば。あちらこちらにコンビ二を作れば。お金を稼ぐ大きな会社があれば。
 必要ないこと。
 でも周りに木があり土があり。自分達で食べ物を作り。生活をする。この中に“共同”が無いとその村は持続しない。道は荒れ、山が荒れ、食べ物が豊かにならない。(出来たものの物々交換や機械、作業の共同、田畑が荒れたり)
 都会は田舎という場所無しには永続可能な場所だろうか。私は田舎を消費して成り立つ都会は好きではない。

 でも都会の方は良い人が多い。情報が多いためか意識が高い。またその反対のギャップも大きいけど。田舎は基本的に意識が低く皆都会に目が向いている。
 だから「まつなが畑」のお客さんは都会の方が必然的に多いのかも知れない。
  
 小さいコミュニティーが出来ればきっとそれは大きな力になる。そう信じています。