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【センスは脳で磨かれる】人の心に灯をともす 4538より 写真はMさんからいただいたプレゼントです(...

2021年02月25日 | 
【センスは脳で磨かれる】4538



脳内科医、加藤俊徳(としのり)氏の心に響く言葉より…


昨今はAIの台頭が目覚ましいですね。

日常の事務処理的な仕事は、おそらくAIが取って代わるでしょう。

そのとき私たち人間に求められる能力はAIでは代替えしにくい、あるいは不可能な、クリエイティブなものになっているはずです。


そうなると、仕事における各人のセンスの高さがますます重要になってきます。

そしてそれに付随して、センスを生み出す脳も重要になる。

時代の流れからしても、センスがビジネスパーソンにとって重要なものになってくると考えられます。


それにしても、センスというものがどういうものなのか?

どうすれば身につくものなのかが大いに気になります。

私が考えるセンスとは、結論からお話しすると以下の特徴を持つものです。


センスとは…

1.常識や既成概念を壊すところから生まれる

2.個性的であり、多様性に富んでいる

3.アウトプット=表現を前提としている

4.感覚と思考の一つの「型」である

5.ごまかしや嘘が入り込めない


以下、それぞれを脳と関連付けながら詳しく説明していきましょう。


1.【常識や既成概念を壊すところから生まれる】

センスはこれまでの常識や価値観、既成概念にべったりと染まっているところでは育ちません。

なぜならそれらは、あくまでも他人がつくったモノサシであり、基準だからです。

人それぞれが独自の感覚と価値観を中心にして、「好き」「嫌い」、「美しい」「美しくない」、「正しい」「正しくない」などを判断する。

そこに感性や感覚=センスが生まれてくるのではないでしょうか。

押し付けられた基準や感覚を、そのまま自分のものだと勘違いしていませんか?

そのことに疑問や違和感を持たないという人は、すでにセンスがない人だということになります。

その点、常識や既成概念を打ち破ろうとするのが、芸術の世界です。

絵画にしても音楽にしても、アーティストは常にこれまでの表現を打ち壊し、新しい表現を模索しようとします。

ですから、センスとは自由なものであり、オリジナルなものであり、自立している感覚です。

ビジネスにおいても技術革新や新しいビジネスモデルを生み出す際には、発想の転換や常識の切り替えが不可欠です。

すべての分野で、新しいもの、これまでと違ったものを生み出す原動力として、個々の人間の独自のセンスがあるのです。



2.【個性的であり、多様性に富んでいる】

個々人のモノサシによって、価値を判断したり見出したりするのがセンスなのですから、個性的であるのは当然のことです。

逆に言えば、没個性のものにはセンスはないということです。

個性的であるということは、言葉を変えると「多様性」ということでしょう。

誰もが同じ考えで、誰もが同じ服を着て、誰もが同じ生活をするとしたら、個性もなければ多様性もない。

そこに自由なセンスが入り込むスキマなどありません。

自分自身の脳の中に多様性を生み出すことが、センスにつがなるのだと思います。



3.【アウトプット=表現を前提としている】

センスとは、どんな形であれ、常に自己表現とセットになっています。

服を選んで買うときには、好きな色や形、ブランドのものを選択し、それを身に着けることで自分を表現するわけです。

選ぶだけでなく、それを他者に対して表現し、主張することまでが「センス」です。

アウトプットを前提とすることで、情報の収集や選択の仕方が変わります。

膨大な情報の中から、どれに目をつけ、ピックアップするか?

アウトプットを考えるからこそ、選択の基準ができるのです。

さらにインプットとアウトプットには、私たちの肉体とその運動というものが不可分に関係しています。

言ってみれば、目、耳、手や足、そして皮膚といった肉体を駆使して情報を得るわけです。

これがまずセンスの入り口であり、決め手となると考えています。

まず、この部分が鋭敏に働き、スムーズに連動する人が、センスのいい人ということになるでしょう。



4.【感覚と思考の一つの「型」である】

これまでお話しした一連のインプットとアウトプットのつながりが、センスの良い人物の場合はひとつの「型」となっています。

その型に応じて、自分の脳の中の回路ができ上っています。

「型」すなわち「センス脳」を持った人は、「インプット=情報収集」から「アウトプット=表現」まで、じつにムダなく、スマートに行うことができます。

茶道の一連の所作と、その場の空気が洗練されていてムダがなく、優雅に感じるのは、それがまさにセンスの集合体だからでしょう。

所作はもちろん、茶器から部屋の空間の配分まで、すべてにセンスが行き届いている。

武道やこれらの芸道は、古来より「型」を重んじますが、それはセンスが最も無駄なく発露するための一種の仕組みのようなものだと考えます。

そして、一度その「型」や「仕組み」を身につけらた、インプットからアウトプットまで、すべてセンスのいいものになっていくのです。



5.【ごまかしや嘘が入り込まない】

対象を認識するとき、人間は大きく二つの種類があると思います。

物事を捉えるのに理屈で捉える人と、感覚や感性で捉える人です。

美しさ、心地よさは頭で判断するものではなく、感覚で判断するものです。

簡単に言えば、哲学者より芸術家であれということです。

もちろん哲学は、生きる上での軸を持つ上で大切なことですが、生き生きと感性を働かせ、豊かに自己表現をするには芸術家的な脳、すなわちセンス脳が大事になると思います。

ちなみに理屈や論理は、得てして嘘や欺瞞が入り込みやすいものです。

論理とは、その組み合わせ方でいかようにも構築することができます。

よくディベートなどで、相反する意見をお互いが立場を交換して議論し合ったりしますね。

論理というのは自分にとって都合のよいように、切り貼りして構成し直すことで、いかようにも再構築することができるのです。

自分にとって都合の悪い事実や出来事を、理屈でこねることで正当化したりごまかしたりする。

じつは頭のいい人ほど、この自己欺瞞を無意識に行っています。

そしてそのことに気がついていない…。

ところが、感性や感覚にはごまかしがありません。

逆に、汚いと感じるものをきれいだと感じることも不可能です。

感性や感覚、つまりは自分のセンスに従っている限り、そこに嘘や欺瞞が入り込む余地はありません。

これは精神衛生上もいいと思います。

神経症のような心の病気は、自己欺瞞によるごまかしとその矛盾が堆積(たいせき)して起こるケースもあります。


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行徳哲男師のこんな言葉がある。

『「分別くさい」という言葉がある。

分別とはもともと仏教の言葉で「分かれて別になる」こと、つまり迷いをつくるもとが分別である。

その意味で現代人はあまりにも分別くさい。

きれいごとに過ぎる。

きれいごとに過ぎると偽装と欺瞞がはじまる。

人間には格好いい感情と格好悪い感情があるが、われわれはすべからく格好いい感情で表現しようとする。

しかし、格好いい感情はそれゆえに偽装されている。

心の中にドロドロとしたものがありながら、それをきれいな言葉にすりかえてしまう。』(感奮語録)より



センスのいい人は感性豊かな人だという。

それは、まさに嘘や偽り、欺瞞がないということ。

つまり、分別くさい人はウソくさい人だ。

常識に染まりきっている人でもある。


感性を磨き…

センスのいい人をめざしたい。






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