
【少年老い易く学成り難し】4770
新井正明氏の心に響く言葉より…
《来日(らいじつ)あると謂(い)うなかれ》
謂う勿(なか)れ
今日(こんにち)学ばずとも
来日有りと謂う勿かれ
今年(こんねん)学ばずとも
来年有りと
(朱熹・しゅき)
森信三先生が生涯説かれたのは、「人生二度なし」でした。
人生は二度ない、一度限りであるということを肺腑(はいふ)に刻み込むように生きられた先生だからこそ、この言葉を生涯のテーマとされたのだと思います。
坂村真民先生の著書がこのほど、致知出版社から出ましたが、そのタイトルは、『こんにちただいま』です。
森先生といい、坂村先生といい、人生の達人が行きつく心境は、相似ているということでしょう。
さて、冒頭の句は、朱熹の「学を勧むる文」(朱文公勧学文)の句です。
朱熹は宋代の儒学を体系化した、いわゆる「朱子学」の大成者で、近世最大の儒学者として朱子と尊称されています。
意味するところは
「今日勉強しなくても明日があるからといって怠けてはいけない。
今年学問しなくても、来年があるからといって、空しく月日を過ごしてはならない。
一日一年をおろそかにせず、常に勉強しなければならない。
若いときを無駄に過ごすと、結局、年老いた後に嘆くことになる」
ということで両先生も同じことをいっているのです。
朱熹はまた「偶成(ぐうせい)」と題し、
「少年老い易(やす)く学成り難し
一寸の光陰(こういん)軽んずべからず
未だ覚めず地塘(ちとう)春草の夢
階前(かいぜん)の悟葉(ごよう)己に秋声」
という人口に膾炙(かいしゃ)している有名な詩を作っています。
時の流れは人を待ってくれません。
それだけに充実した時を過ごしたいものです。
『先哲の言葉 先人に学ぶリーダーの要諦』致知出版社
https://amzn.to/3mVHFoe
「偶成」とは、たまたまできた詩のこと。
若いと思っているうちに、アッというまに年を取り、学問がモノになるのは難しい。
だからこそ、少しの時間を惜しんで勉学に励まなければならない。
池のほとりに萌えゆらぐ若草のように、いつまでも、うつらうつらと夢見心地ではいけない。
階段の前の青桐(あおぎり)の葉は、秋風とともに散ってしまうのだから。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」
と詠じたのは親鸞聖人。
満開に咲いている、見事な桜。
明日、見にいけばいいと思っていたら、夜中の嵐で、翌朝はすっかり散ってしまった。
明日がある、明日でいい、と思っていると取り返しのつかなくなることも世の中にはある。
絶好のチャンスを逃したり、会いたいと思っていた人と永遠に会えなくなってしまったり。
だからこそ、「一期一会」であるし、「人生二度なし」。
会いたいと思ったときが、必然の時であり、「その時」。
勉学も同じで、明日ではなく今が「その時」。
明日も、来年もないのだ、という気持ちで…
今日、ただ今を一所懸命に生きてゆきたい。
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新井正明氏の心に響く言葉より…
《来日(らいじつ)あると謂(い)うなかれ》
謂う勿(なか)れ
今日(こんにち)学ばずとも
来日有りと謂う勿かれ
今年(こんねん)学ばずとも
来年有りと
(朱熹・しゅき)
森信三先生が生涯説かれたのは、「人生二度なし」でした。
人生は二度ない、一度限りであるということを肺腑(はいふ)に刻み込むように生きられた先生だからこそ、この言葉を生涯のテーマとされたのだと思います。
坂村真民先生の著書がこのほど、致知出版社から出ましたが、そのタイトルは、『こんにちただいま』です。
森先生といい、坂村先生といい、人生の達人が行きつく心境は、相似ているということでしょう。
さて、冒頭の句は、朱熹の「学を勧むる文」(朱文公勧学文)の句です。
朱熹は宋代の儒学を体系化した、いわゆる「朱子学」の大成者で、近世最大の儒学者として朱子と尊称されています。
意味するところは
「今日勉強しなくても明日があるからといって怠けてはいけない。
今年学問しなくても、来年があるからといって、空しく月日を過ごしてはならない。
一日一年をおろそかにせず、常に勉強しなければならない。
若いときを無駄に過ごすと、結局、年老いた後に嘆くことになる」
ということで両先生も同じことをいっているのです。
朱熹はまた「偶成(ぐうせい)」と題し、
「少年老い易(やす)く学成り難し
一寸の光陰(こういん)軽んずべからず
未だ覚めず地塘(ちとう)春草の夢
階前(かいぜん)の悟葉(ごよう)己に秋声」
という人口に膾炙(かいしゃ)している有名な詩を作っています。
時の流れは人を待ってくれません。
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「偶成」とは、たまたまできた詩のこと。
若いと思っているうちに、アッというまに年を取り、学問がモノになるのは難しい。
だからこそ、少しの時間を惜しんで勉学に励まなければならない。
池のほとりに萌えゆらぐ若草のように、いつまでも、うつらうつらと夢見心地ではいけない。
階段の前の青桐(あおぎり)の葉は、秋風とともに散ってしまうのだから。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」
と詠じたのは親鸞聖人。
満開に咲いている、見事な桜。
明日、見にいけばいいと思っていたら、夜中の嵐で、翌朝はすっかり散ってしまった。
明日がある、明日でいい、と思っていると取り返しのつかなくなることも世の中にはある。
絶好のチャンスを逃したり、会いたいと思っていた人と永遠に会えなくなってしまったり。
だからこそ、「一期一会」であるし、「人生二度なし」。
会いたいと思ったときが、必然の時であり、「その時」。
勉学も同じで、明日ではなく今が「その時」。
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