岡本太郎氏の心に響く言葉より…
尊敬する人はだれかと訊かれると、多くの人は徳川家康といったように歴史上の人物の名前をあげる。
その時代に権勢(けんせい)を誇ったり、成功した人物ばかりあげたがる。
ぼくはいつも疑問に感じるんだ。
もちろん、なかには源義経のように悲劇的な生涯を送った人物が好きだという人もいる。
たしかに義経の生涯は悲劇的でドラマチックだったけど、義経にしたって権力の側にあったわけだろう。
一時期は大変な成功者だったじゃないか。
だから余計、悲劇的な結末が浮き彫りにされているんだ。
ぼくはそういうふうに、とにかく歴史の記録に残っている権力者や有名な人物だけを尊敬する、そういうことにこだわりたくない。
記録に残っていない、まったくの無名の人物でも、素晴らしい。
己をつらぬいた尊敬に価(あたい)する人物はいっぱい存在したはずだろう?
そういう人間の運命のほうに、ぼくは加担したい。
人間はだれでも成功を願っている。
しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。
でも、成功しなければ歴史のなかに名前は残らない。
名前が残っているのは、ほとんどが成功した連中だ。
むろん成功しなかった者より成功者のほうが数が少ない。
成功者は何百万何千万のなかのわずか数名きりだ。
しかも成功した者を調べてみると、その人間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。
戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。
そういう人物は、別段、尊敬できないし感動もないね。
むしろ歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる。
人間は99.99パーセントが成功しないんだ。
つまり成功者でないほうがより人間的な運命なんだ。
そいう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。
だけど、もうひとつ、いままで言ったことと逆のように聞こえるかもしれないが、英雄というものは、じつはひとりの実力だけでそうなったんじゃない。
時代の多くの人々の共感、情熱、願望が協力した、社会がそれに応えた、そういう面があることもたしかだね。
『自分の運命に盾を突け』青春出版
https://amzn.to/38ptWR9
神渡良平氏は「無名の人」についてこう語っている。
『 安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです。』 (下坐に生きる /Chichi‐select)
一発芸などで有名になったタレントは人気絶頂になるのも早いが、ダメになるのも早い。
絶頂のときは、あちこちのテレビ局や番組から、寝る暇もないほど出演依頼がある。
しかし、出れば出るほど、自分の中の引き出しは空っぽになり、ついには底をついてしまう。
これは、飲食店などでも同じことが言える。
お店をオープンし評判となり、寝る暇もないほど仕事をする。
しかし、何年かすると潮が引いたようにガランとした店内になる。
店のオーナーの引き出しが底をついてしまったからだ。
店が繁盛しようが、テレビに出まくろうが、あるいは不遇の時を過ごそうが、まわりに左右されずに、どんなときも、自分をコツコツと磨く人は長く生き残る。
すると、実力がたまり、周りの人が引っ張り上げてくれる。
「頼まれごと」の人生の始まりだ。
それが、「無名有力」の生き方。
有名無力ではなく…
無名有力を目指したい。
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尊敬する人はだれかと訊かれると、多くの人は徳川家康といったように歴史上の人物の名前をあげる。
その時代に権勢(けんせい)を誇ったり、成功した人物ばかりあげたがる。
ぼくはいつも疑問に感じるんだ。
もちろん、なかには源義経のように悲劇的な生涯を送った人物が好きだという人もいる。
たしかに義経の生涯は悲劇的でドラマチックだったけど、義経にしたって権力の側にあったわけだろう。
一時期は大変な成功者だったじゃないか。
だから余計、悲劇的な結末が浮き彫りにされているんだ。
ぼくはそういうふうに、とにかく歴史の記録に残っている権力者や有名な人物だけを尊敬する、そういうことにこだわりたくない。
記録に残っていない、まったくの無名の人物でも、素晴らしい。
己をつらぬいた尊敬に価(あたい)する人物はいっぱい存在したはずだろう?
そういう人間の運命のほうに、ぼくは加担したい。
人間はだれでも成功を願っている。
しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。
でも、成功しなければ歴史のなかに名前は残らない。
名前が残っているのは、ほとんどが成功した連中だ。
むろん成功しなかった者より成功者のほうが数が少ない。
成功者は何百万何千万のなかのわずか数名きりだ。
しかも成功した者を調べてみると、その人間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。
戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。
そういう人物は、別段、尊敬できないし感動もないね。
むしろ歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる。
人間は99.99パーセントが成功しないんだ。
つまり成功者でないほうがより人間的な運命なんだ。
そいう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。
だけど、もうひとつ、いままで言ったことと逆のように聞こえるかもしれないが、英雄というものは、じつはひとりの実力だけでそうなったんじゃない。
時代の多くの人々の共感、情熱、願望が協力した、社会がそれに応えた、そういう面があることもたしかだね。
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神渡良平氏は「無名の人」についてこう語っている。
『 安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです。』 (下坐に生きる /Chichi‐select)
一発芸などで有名になったタレントは人気絶頂になるのも早いが、ダメになるのも早い。
絶頂のときは、あちこちのテレビ局や番組から、寝る暇もないほど出演依頼がある。
しかし、出れば出るほど、自分の中の引き出しは空っぽになり、ついには底をついてしまう。
これは、飲食店などでも同じことが言える。
お店をオープンし評判となり、寝る暇もないほど仕事をする。
しかし、何年かすると潮が引いたようにガランとした店内になる。
店のオーナーの引き出しが底をついてしまったからだ。
店が繁盛しようが、テレビに出まくろうが、あるいは不遇の時を過ごそうが、まわりに左右されずに、どんなときも、自分をコツコツと磨く人は長く生き残る。
すると、実力がたまり、周りの人が引っ張り上げてくれる。
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それが、「無名有力」の生き方。
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