【陽気に楽しく生きること】5640
分子生物学者、村上和雄氏の心に響く言葉より…
プラトンの弟子であったアリストテレスは「ヒトは笑う動物である」という有名な言葉を残し、カントは「笑いとは緊張の緩和から来る」と言いました。
また、ニーチエは「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである」「笑いは世の中を変革する武器の一つにもなる」とまで言っています。
こうした賢人たちが笑いについて真剣に向き合ったのも、笑いには秘めた力があることをどこかで見抜いていたからなのでしょう。
ところが、偉大な先人たちが「笑いの力」について多くの示唆をしてくれているにもかかわらず、現代人は「笑い」を邪魔とまでは言わないまでも、何かのオマケのような扱いにしてしまっています。
そんなことよりも、もっと賢くなければならない、しっかりお金儲けできるように ならなければならないと。
親も、それこそが人間の究極の目的であるかのように子どもたちを育てています。
しかし私は、遺伝子の科学者として言えることがあります。
それは、どれだけ人間が賢くなっても、生物はそもそも何の目的でつくられた存在なのかはそう簡単にはわからない、ということです。
さらに、存在自体が奇跡的な生命そのものをデザインし た 「something great (大いなる何か)」の望みは、私たちがもっと単純に、陽気に楽しく生きることなのではないか。
そんなふうに思えてならないのです。
もし、自分が親の立場なら、ニコリとも笑わず勉強の成績とお金儲けばかり追求している子よりも、少々抜けていようが、笑顔を絶やさず他人のために何かするのを厭 わない子の方がかわいくはないでしょうか。
遺伝子工学が進歩して、生命の実相に踏み込んでいけばいくほど、むしろ「わからないことがたくさんある」ということが明らかになっていきます。
そうなると、科学では手におえない哲学や宗教の世界にも通じてきます。
人間とは何か。
生命とは何か。
そんな深遠なテーマを、いまの教育は蔑ろにしているように思います。
人間は何のために生まれ、どう生きるべきかという大事な課題を無視して、知識ばかり増やしていくわけですから、現代人がどこかで病的な状態を引き起こしてしまうのも無理のないことです。
昔はもう少し、そういった神や仏、おてんとうさまなどの世界ともつながるようなことを、親たちは日常的に話し、子どもを諭していました。
そんな話が親子でできることこそ、人間として本当に大切なことではないでしょうか。
『どうせ生きるなら「バカ」がいい』水玉舎
https://q.bmd.jp/91/119/241/393
生まれ変わり(輪廻)の話の中で、あらゆる本の中に書かれているある一つのことがある。
あの世に行くと、向こう(あの世)で決まって聞かれる言葉だ。 それは、「人生を、どれほど楽しんできたか」という問い。 つまり、人生という現象をどう捉えたか、という質問だ。
「陽気に楽しく生きること」とは、楽しく飲んだり食べたり、ゲームしたり、旅行したりすることだけではない。
そんな特別なイベントだけが楽しいのだったら、それ以外の日常は楽しくない日々となってしまう。
「陽気に楽しく生きる」とは、日常に起こることを、いかに陽気に、楽しく、面白く、受け取ることができるか、ということ。
目の前に起こるすべてのできごとには色がついていない。
色とは、「楽しいこと」か「楽しくないこと」、「面白いこと」か「面白くないこと」、「幸せ」か「不幸せ」か、という色だ。
風邪をひいたときでも、「まったく嫌になっちゃう、ツイてない」と思うのか、「少し休めってことだな、ありがたい」と思うのかで受け取り方はまったく違う。
「まとまった時間ができた、今まで読めなかった本が読める。嬉しいなぁ」、と。
目の前に起きたできごとを、どう受け取るか、どんな見方をするかという、その人の考え方次第で「幸、不幸」は決まるのだ。
どんなことが起きても、陽気に楽しく生きること。
毎日のできごとが、神さまからのテスト。
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分子生物学者、村上和雄氏の心に響く言葉より…
プラトンの弟子であったアリストテレスは「ヒトは笑う動物である」という有名な言葉を残し、カントは「笑いとは緊張の緩和から来る」と言いました。
また、ニーチエは「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである」「笑いは世の中を変革する武器の一つにもなる」とまで言っています。
こうした賢人たちが笑いについて真剣に向き合ったのも、笑いには秘めた力があることをどこかで見抜いていたからなのでしょう。
ところが、偉大な先人たちが「笑いの力」について多くの示唆をしてくれているにもかかわらず、現代人は「笑い」を邪魔とまでは言わないまでも、何かのオマケのような扱いにしてしまっています。
そんなことよりも、もっと賢くなければならない、しっかりお金儲けできるように ならなければならないと。
親も、それこそが人間の究極の目的であるかのように子どもたちを育てています。
しかし私は、遺伝子の科学者として言えることがあります。
それは、どれだけ人間が賢くなっても、生物はそもそも何の目的でつくられた存在なのかはそう簡単にはわからない、ということです。
さらに、存在自体が奇跡的な生命そのものをデザインし た 「something great (大いなる何か)」の望みは、私たちがもっと単純に、陽気に楽しく生きることなのではないか。
そんなふうに思えてならないのです。
もし、自分が親の立場なら、ニコリとも笑わず勉強の成績とお金儲けばかり追求している子よりも、少々抜けていようが、笑顔を絶やさず他人のために何かするのを厭 わない子の方がかわいくはないでしょうか。
遺伝子工学が進歩して、生命の実相に踏み込んでいけばいくほど、むしろ「わからないことがたくさんある」ということが明らかになっていきます。
そうなると、科学では手におえない哲学や宗教の世界にも通じてきます。
人間とは何か。
生命とは何か。
そんな深遠なテーマを、いまの教育は蔑ろにしているように思います。
人間は何のために生まれ、どう生きるべきかという大事な課題を無視して、知識ばかり増やしていくわけですから、現代人がどこかで病的な状態を引き起こしてしまうのも無理のないことです。
昔はもう少し、そういった神や仏、おてんとうさまなどの世界ともつながるようなことを、親たちは日常的に話し、子どもを諭していました。
そんな話が親子でできることこそ、人間として本当に大切なことではないでしょうか。
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生まれ変わり(輪廻)の話の中で、あらゆる本の中に書かれているある一つのことがある。
あの世に行くと、向こう(あの世)で決まって聞かれる言葉だ。 それは、「人生を、どれほど楽しんできたか」という問い。 つまり、人生という現象をどう捉えたか、という質問だ。
「陽気に楽しく生きること」とは、楽しく飲んだり食べたり、ゲームしたり、旅行したりすることだけではない。
そんな特別なイベントだけが楽しいのだったら、それ以外の日常は楽しくない日々となってしまう。
「陽気に楽しく生きる」とは、日常に起こることを、いかに陽気に、楽しく、面白く、受け取ることができるか、ということ。
目の前に起こるすべてのできごとには色がついていない。
色とは、「楽しいこと」か「楽しくないこと」、「面白いこと」か「面白くないこと」、「幸せ」か「不幸せ」か、という色だ。
風邪をひいたときでも、「まったく嫌になっちゃう、ツイてない」と思うのか、「少し休めってことだな、ありがたい」と思うのかで受け取り方はまったく違う。
「まとまった時間ができた、今まで読めなかった本が読める。嬉しいなぁ」、と。
目の前に起きたできごとを、どう受け取るか、どんな見方をするかという、その人の考え方次第で「幸、不幸」は決まるのだ。
どんなことが起きても、陽気に楽しく生きること。
毎日のできごとが、神さまからのテスト。
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