
【喜ばれる存在になること】5819
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
日本というのは、感謝の国です。
だから神社に行ったときには、お参りする時間がすごく短い。 極端なことを言うと、10時間かけて伊勢神宮に行っても、1時間も拝んでいる人はまずいません。これが外国に行くと、何時間も拝んでいる人がいっぱいいる。 これはなぜかといえば、外国の場合は、神様にお願い事をしに行くのです。だから何時間もかけて、真剣にお願い事をします。
だけど、日本の場合は感謝なのです。
「ありがとうございました」とか、「神様のおかげで幸せに暮らしています」とか、要するに感謝を言いに行くのです。 願い事は長いけれど、感謝は短いでしょう。
簡単に言うと、神様と同じで、人は感謝され、「ありがとう」と言われる生き方をしないといけない。
最近、「ありがとう」という言葉がはやっているようです。この言葉自体は、絶対にいい。けれど、それを言うことだけを最終目的にしないでほしい。
今まで言えなかったけれど、「ありがとう」「感謝してます」という言葉を、やっと言えるようになった。それはそれで拍手ものです。私も拍手するし、「えらいね」と言います。 しかし、それが終着駅ではない。
やっとスタートラインに着いたところ。
マラソンでも、スタートラインで寝ている人はいないでしょう。スタートラインで「バンザイ」と言っている人もいない。ここが魂を成長させるスタート地点なのです。
どうしたら他人から「ありがとう」「感謝してます」と言われるようになるだろうか。
「あなたが生きててくれてよかったよ」とか、「あなたがいてよかった」とか、「このお店があってよかった」とか、「この歌があってよかった」とか、どうすればそんなふうに言われるようになるのかを考えて実行する。
人間の究極の目的は、人から喜ばれるような存在になること、「ありがとう」 「感謝してます」と広くたくさんの人から言われるようになることなのです。
『普通はつらいよ』マキノ出版
https://q.bmd.jp/91/119/3199/393
学校や会社へ入ることも、結婚も、転職も、定年退職も、いろいろなお役を受けることも、すべては通過点。勉強していい学校に入った、または入れなかった・・・。本当は、入学や入社はゴールではなく、スタートラインに立ったということ。それは単なる通過点。
結婚も同じだ。
結婚はゴールではない。結婚がスタート地点で、そこから始まるということ。
「ありがとう」と「感謝」も同じ。
まわりの人に、「ありがとう」とか「感謝」を言えるようになったということは、まず、最初のスタート地点に立ったということ。その先にあるものがある。それが、人を喜ばせること。人に喜んでもらうことをすること。
そして、それを続けていくと、人から「喜ばれる存在」になる。つまり、感謝される存在になるということだ。
「人間の究極の目的は、人から喜ばれるような存在になること」という言葉を胸に刻みたい。