年賀状の図案といえば、私が「宛名職人」というアプリで作成するようになったのは1997年版から。その記念すべき最初のものが下ですが・・・・(ちなみに今の職場に採用されることが決まって滋賀に戻ったのが翌年の春でしたから、判ってみれば写真は研究員の身分で名古屋に住んでいた頃のものでした。とにかく髪が黒い。)

そのヒントを与えてくれたのは当時所有していたこのアルバム(後述する歌手のデビュー盤)のジャケットでした。(ただし中身の音楽までが激しい怒りに満ち溢れており、聴いていると耳に刺さってくるように痛い。ということで後に手放しました。)ちなみにそれは国内盤のみに使われたらしく、海外盤では同様のスキンヘッドながら穏やかな写真が採用されています。
実はその「シネイド・オコナー」という女性歌手を知ったのは南米在住時代のことでした。夜は毎日のように英BBC国際放送(短波)の音楽番組を(クラシックに限らず何でも)聴いていましたが、彼女の "Nothing Compares 2U"(最後は "to you" と読んで下さい)は最終的に1990年シングル部門の2位に入るほどの支持を集め、ヒットチャート番組では毎週のように流れていました。私はその旋律、歌詞、そして透き通った声に魅了され、いつしか大のお気に入り曲となりました。(ついでに言わせて下さい。この超名曲にしょーもない邦題を付けた阿呆の後頭部を「クライスラーか!」と言って引っぱたきたい。→追記:こちらに国内盤の収録曲一覧が出ていますが、半分はカタカナ書きしただけ、そして残りの半分はテキトーというか、真面目に考えるのを放棄したとしか思えないような代物がほとんど。プロとして恥ずかしくないか?)

それで帰国後に買い求めたのが、同曲を収めた2nd アルバム(上画像左)でした。こちらで全曲試聴可能ですが、先述のトラック6以外も名唱をズラッと揃えた傑作です。(私の耳には一部のハードロック調ナンバーが騒がしいだけと聞こえて以前は飛ばしていましたが、シンミリした曲ばっかしだと単調になるため、「必要悪」というか一種のスパイスとして加えられていると今では解釈しています。)またラストに収められたアカペラ独唱によるタイトル曲 "I Do Not Want What I Haven't Got"(注)には仏教の悟りの境地まで感じたのでした。(注:意味は「私は手に入れていないものを欲しいとは思わない」ぐらいでしょうが、ここでも国内盤制作者は何を血迷ったのか、それに「蒼い囁き」という陳腐で意味不明の邦題を付けてしまいました。冒涜としか言いようがないです。)しかしながら・・・・
この人はその見た目だけでなくお騒がせな行動でも注目されており、満員の観客の前でローマ法王の写真を破り捨てたり、米合衆国国歌の斉唱に加わるのを拒否したりというニュースを耳にして(今風に言うと)「ちょっとイタい人なのかな?」と思っていました。しかしながら、このような抗議行動も決してスタンドプレーではなく、こちら(写真事件の顛末)で説明されている通り「いかに非難されようとも、そうするより他はない」という捨て身の覚悟でカトリック(祖国アイルランドの国教)の最高指導者に絶縁状を叩き付けたのでした。(ちなみに私は当時リンク先ページの続編で触れられているシーン、すなわち2度目の "War" を歌って凄まじいブーイングを浴び、その後共演者の腕に倒れかかるのをテレビで観て衝撃を受けました。その模様を収めたと思しき動画は削除されてしまっていますが。後日、歌手は引退を表明したものの周囲の説得で撤回したんじゃなかったかな?)なお、この問題については今年の秋にBBCニュースが採り上げているのを何度も観ました。ようやくにして加害者を処罰するための法整備に入ったようですが(こちら参照)、遅きに失した感は否めません。
次の名曲カバー集も佳作揃いでしたが、曲が私好みでなかったためスキップ(レンタル屋で借りただけ)。そして続く4th アルバム(画像中央)が2ndに勝るとも劣らない会心作でした。音楽雑誌のレビューにはたしか「痛々しいまでにピュア」と書かれていたような。私的には後半に固められているピアノ伴奏やアカペラの曲が秀逸ですが、他にまだ幼い息子さんをゲスト出演させているのも微笑ましいです。そして最後を飾る "Thank You for Hearing Me" は文字通り謝辞の音楽で "Thank you for ~ing"(○○してくれてありがとう)というフレーズが幾度となく繰り返されるのですが、最後を "Thank you for breaking my heart"(私の心をズタズタにしてくれてありがとう)で結び、屈折したところもしっかり見せてくれます(苦笑)。ところで、ディスクやブックレットに印刷された歌手名のロゴに「ダビデの星」が添えてあるので「アレッ」と思ったのですが、日本語解説には歌手の強い希望で当盤の発売日がユダヤ教の贖いの日になったとありました。(ただし、その後検索したものの彼女が改宗したという事実は確認できず。傾倒はしていたのかもしれませんが・・・・・)
その次作と次々作も予約して発売日に入手したと記憶していますが、前者は気に入らなかったようで残したのは画像右の後者のみです。タイトルにアイルランド語の "Sean-Nōs Nua"(こちらによると同国伝統の歌唱法)を付けたことからも判るように民族音楽を集めており、改めて聴いても耳に優しく心地よいです。
その後しばらくして引退のニュースを聞き、長いこと疎遠になっていたのですが・・・・・・この記事執筆のためWikipediaの歌手ページを訪れ、略歴の最終行に驚かされました。「2018年、イスラム教への改宗」(&改名)っていったい? よくよく考えてのことだろうと想像するし、本人が望んだのであれば何も言うことはありませんが、私にはそれで心の平安が得られるのか疑問に思われてなりません。とにかく気性の激しい人ですし、宗教の性格からしても。(ちなみに検索すると「4度目の離婚相手とスピード復縁」「行方不明」「遺書」「薬物を過剰摂取」「依存症の治療」などショッキングな言葉が続々と。相変わらずのようです。)ということで、「2nd アルバムの終わりでも無我の境地を示していたんだから最後は仏教に帰依してみたらいいんじゃないの?」と私は勝手に思ったのでした。元から容貌も尼さんみたいだったし(←おいおい)

そのヒントを与えてくれたのは当時所有していたこのアルバム(後述する歌手のデビュー盤)のジャケットでした。(ただし中身の音楽までが激しい怒りに満ち溢れており、聴いていると耳に刺さってくるように痛い。ということで後に手放しました。)ちなみにそれは国内盤のみに使われたらしく、海外盤では同様のスキンヘッドながら穏やかな写真が採用されています。
実はその「シネイド・オコナー」という女性歌手を知ったのは南米在住時代のことでした。夜は毎日のように英BBC国際放送(短波)の音楽番組を(クラシックに限らず何でも)聴いていましたが、彼女の "Nothing Compares 2U"(最後は "to you" と読んで下さい)は最終的に1990年シングル部門の2位に入るほどの支持を集め、ヒットチャート番組では毎週のように流れていました。私はその旋律、歌詞、そして透き通った声に魅了され、いつしか大のお気に入り曲となりました。(ついでに言わせて下さい。この超名曲にしょーもない邦題を付けた阿呆の後頭部を「クライスラーか!」と言って引っぱたきたい。→追記:こちらに国内盤の収録曲一覧が出ていますが、半分はカタカナ書きしただけ、そして残りの半分はテキトーというか、真面目に考えるのを放棄したとしか思えないような代物がほとんど。プロとして恥ずかしくないか?)

それで帰国後に買い求めたのが、同曲を収めた2nd アルバム(上画像左)でした。こちらで全曲試聴可能ですが、先述のトラック6以外も名唱をズラッと揃えた傑作です。(私の耳には一部のハードロック調ナンバーが騒がしいだけと聞こえて以前は飛ばしていましたが、シンミリした曲ばっかしだと単調になるため、「必要悪」というか一種のスパイスとして加えられていると今では解釈しています。)またラストに収められたアカペラ独唱によるタイトル曲 "I Do Not Want What I Haven't Got"(注)には仏教の悟りの境地まで感じたのでした。(注:意味は「私は手に入れていないものを欲しいとは思わない」ぐらいでしょうが、ここでも国内盤制作者は何を血迷ったのか、それに「蒼い囁き」という陳腐で意味不明の邦題を付けてしまいました。冒涜としか言いようがないです。)しかしながら・・・・
この人はその見た目だけでなくお騒がせな行動でも注目されており、満員の観客の前でローマ法王の写真を破り捨てたり、米合衆国国歌の斉唱に加わるのを拒否したりというニュースを耳にして(今風に言うと)「ちょっとイタい人なのかな?」と思っていました。しかしながら、このような抗議行動も決してスタンドプレーではなく、こちら(写真事件の顛末)で説明されている通り「いかに非難されようとも、そうするより他はない」という捨て身の覚悟でカトリック(祖国アイルランドの国教)の最高指導者に絶縁状を叩き付けたのでした。(ちなみに私は当時リンク先ページの続編で触れられているシーン、すなわち2度目の "War" を歌って凄まじいブーイングを浴び、その後共演者の腕に倒れかかるのをテレビで観て衝撃を受けました。その模様を収めたと思しき動画は削除されてしまっていますが。後日、歌手は引退を表明したものの周囲の説得で撤回したんじゃなかったかな?)なお、この問題については今年の秋にBBCニュースが採り上げているのを何度も観ました。ようやくにして加害者を処罰するための法整備に入ったようですが(こちら参照)、遅きに失した感は否めません。
次の名曲カバー集も佳作揃いでしたが、曲が私好みでなかったためスキップ(レンタル屋で借りただけ)。そして続く4th アルバム(画像中央)が2ndに勝るとも劣らない会心作でした。音楽雑誌のレビューにはたしか「痛々しいまでにピュア」と書かれていたような。私的には後半に固められているピアノ伴奏やアカペラの曲が秀逸ですが、他にまだ幼い息子さんをゲスト出演させているのも微笑ましいです。そして最後を飾る "Thank You for Hearing Me" は文字通り謝辞の音楽で "Thank you for ~ing"(○○してくれてありがとう)というフレーズが幾度となく繰り返されるのですが、最後を "Thank you for breaking my heart"(私の心をズタズタにしてくれてありがとう)で結び、屈折したところもしっかり見せてくれます(苦笑)。ところで、ディスクやブックレットに印刷された歌手名のロゴに「ダビデの星」が添えてあるので「アレッ」と思ったのですが、日本語解説には歌手の強い希望で当盤の発売日がユダヤ教の贖いの日になったとありました。(ただし、その後検索したものの彼女が改宗したという事実は確認できず。傾倒はしていたのかもしれませんが・・・・・)
その次作と次々作も予約して発売日に入手したと記憶していますが、前者は気に入らなかったようで残したのは画像右の後者のみです。タイトルにアイルランド語の "Sean-Nōs Nua"(こちらによると同国伝統の歌唱法)を付けたことからも判るように民族音楽を集めており、改めて聴いても耳に優しく心地よいです。
その後しばらくして引退のニュースを聞き、長いこと疎遠になっていたのですが・・・・・・この記事執筆のためWikipediaの歌手ページを訪れ、略歴の最終行に驚かされました。「2018年、イスラム教への改宗」(&改名)っていったい? よくよく考えてのことだろうと想像するし、本人が望んだのであれば何も言うことはありませんが、私にはそれで心の平安が得られるのか疑問に思われてなりません。とにかく気性の激しい人ですし、宗教の性格からしても。(ちなみに検索すると「4度目の離婚相手とスピード復縁」「行方不明」「遺書」「薬物を過剰摂取」「依存症の治療」などショッキングな言葉が続々と。相変わらずのようです。)ということで、「2nd アルバムの終わりでも無我の境地を示していたんだから最後は仏教に帰依してみたらいいんじゃないの?」と私は勝手に思ったのでした。元から容貌も尼さんみたいだったし(←おいおい)
先に触れた来年の年賀状ですが、まず図案が確定した裏面の印刷に取りかかりました。ところが・・・・・

やっちゃいました。プリンタにセットする向き(裏表)を間違えてしまったため、無残にも表面に印刷。けれども試し刷り(1枚だけ)だったため救われました。もしいきなり本番に臨み、印刷の間ずっと席を外していたりしたら今頃頭を抱えているはずです。
この1枚も書き損じとして5円の手数料を払えばハガキや63円切手、あるいは同額分の切手等と交換してもらえますが、気になったのがお年玉くじ。運が悪いことに右の数字6桁が真っ黒に塗り潰されています。マーフィーの法則でこういうのが当たったりするものです。しかしながら、斜めから見たら辛うじて「884585」と読めました。これで賞品と交換してもらえるでしょうか?
おまけ
もしこのミスで手元に残ることになった1枚が当たったら、それこそ「天の配剤」ですね。その場合に郵便局の窓口で断られたら癪なので、その前後1枚ずつも残すことにしました。(予備として10枚多く買ったので大丈夫です。)
おまけ2
このミスにより本来なら残すはずだった別の3枚を出すことになります。もちろんそれらが当選する確率だって同じですが、そこは割り切っています。(とにかく「できることをしなかった」と後悔するのは嫌なので。)ただし、残すハガキはよくシャッフルしてから選び、番号もなるべく見ないようにします。

やっちゃいました。プリンタにセットする向き(裏表)を間違えてしまったため、無残にも表面に印刷。けれども試し刷り(1枚だけ)だったため救われました。もしいきなり本番に臨み、印刷の間ずっと席を外していたりしたら今頃頭を抱えているはずです。
この1枚も書き損じとして5円の手数料を払えばハガキや63円切手、あるいは同額分の切手等と交換してもらえますが、気になったのがお年玉くじ。運が悪いことに右の数字6桁が真っ黒に塗り潰されています。マーフィーの法則でこういうのが当たったりするものです。しかしながら、斜めから見たら辛うじて「884585」と読めました。これで賞品と交換してもらえるでしょうか?
おまけ
もしこのミスで手元に残ることになった1枚が当たったら、それこそ「天の配剤」ですね。その場合に郵便局の窓口で断られたら癪なので、その前後1枚ずつも残すことにしました。(予備として10枚多く買ったので大丈夫です。)
おまけ2
このミスにより本来なら残すはずだった別の3枚を出すことになります。もちろんそれらが当選する確率だって同じですが、そこは割り切っています。(とにかく「できることをしなかった」と後悔するのは嫌なので。)ただし、残すハガキはよくシャッフルしてから選び、番号もなるべく見ないようにします。
先日ちょっと調べものをしていた時にヒットしたブログを訪れてみました。

この言語は全くといっていいほど理解できませんので翻訳ツールを利用↓

固有名詞のカタカナ書きが相当にデタラメながら何とか読める日本語にはなっています。当方が「ブルックナーダック」にされてしまいましたけど(苦笑)。なお、ブログ管理者の「森川」氏はおそらく本名で日本人、コメントを寄せた「シャイな少年」氏の方は不明ですが、ともにあちら在住のクラファン(クラシック音楽愛好家)と思われます。ただ日本人同士なら母国語を使う方が自然。もし私の推測通りなら、わざわざ異国の、しかもガラクタ同然のページを閲覧するとは余程の物好き、いや好奇心の持ち主に違いなく、敬意を表したいです。「めちゃくちゃなサイト」と最大級の賛辞を寄せてくれた森川氏にも感謝。

続いて例の匿名掲示板の過去ログでも廃墟同然の拙サイトに言及しているのを見つけてしまいました。(上のやり取りの前月なのは偶然?)いろいろ言いたいことはありますが、何はともあれまだ生きてますよ(笑)。
追記
後に思い当たったことですが、現地発信のブログであれば第三者にも理解できるよう(日本人同士であっても)ハングルでやり取りすることは十分あり得えますね。
追記2(文字化けしてたらごめんなさい。)

本文の「日本ブルックナーダック」以下に相当する箇所を再掲しました。冒頭の「일본」(イルボン)が「日本」、続く「브루크너」が「ブルックナー」です。(ただしそれら4文字を素直に発音すると「プルックノー」で、Google翻訳の音声読み上げでもそう聞こえます。)次の「덕후가」の「가」は日本語の「が」と同じ格助詞。ということで問題の「덕후」ですが・・・・

それだけ取り出してみてもサッパリ要領を得ません。

また冒頭の「일본」を削除してもこんなケッタイな訳に。しかしながら、既に私は薄々勘付いていました。「ダック」と音が似ている単語で使われそうなものといえばあれしかない。

ということで一件落着。「ブルオタ」を自認していますから別に腹も立ちません。

ついでに「オタク」を訳させてみたら当て字を返しただけ。「ヲタク」でも一緒でした。AIもまだまだですね。

この言語は全くといっていいほど理解できませんので翻訳ツールを利用↓

固有名詞のカタカナ書きが相当にデタラメながら何とか読める日本語にはなっています。当方が「ブルックナーダック」にされてしまいましたけど(苦笑)。なお、ブログ管理者の「森川」氏はおそらく本名で日本人、コメントを寄せた「シャイな少年」氏の方は不明ですが、ともにあちら在住のクラファン(クラシック音楽愛好家)と思われます。ただ日本人同士なら母国語を使う方が自然。もし私の推測通りなら、わざわざ異国の、しかもガラクタ同然のページを閲覧するとは余程の物好き、いや好奇心の持ち主に違いなく、敬意を表したいです。「めちゃくちゃなサイト」と最大級の賛辞を寄せてくれた森川氏にも感謝。

続いて例の匿名掲示板の過去ログでも廃墟同然の拙サイトに言及しているのを見つけてしまいました。(上のやり取りの前月なのは偶然?)いろいろ言いたいことはありますが、何はともあれまだ生きてますよ(笑)。
追記
後に思い当たったことですが、現地発信のブログであれば第三者にも理解できるよう(日本人同士であっても)ハングルでやり取りすることは十分あり得えますね。
追記2(文字化けしてたらごめんなさい。)

本文の「日本ブルックナーダック」以下に相当する箇所を再掲しました。冒頭の「일본」(イルボン)が「日本」、続く「브루크너」が「ブルックナー」です。(ただしそれら4文字を素直に発音すると「プルックノー」で、Google翻訳の音声読み上げでもそう聞こえます。)次の「덕후가」の「가」は日本語の「が」と同じ格助詞。ということで問題の「덕후」ですが・・・・

それだけ取り出してみてもサッパリ要領を得ません。

また冒頭の「일본」を削除してもこんなケッタイな訳に。しかしながら、既に私は薄々勘付いていました。「ダック」と音が似ている単語で使われそうなものといえばあれしかない。

ということで一件落着。「ブルオタ」を自認していますから別に腹も立ちません。

ついでに「オタク」を訳させてみたら当て字を返しただけ。「ヲタク」でも一緒でした。AIもまだまだですね。
昨晩も火鍋を食べながら晩酌をしましたが、酒量はいつもの半分(3人で2合徳利1本)に抑えました。辛い料理に日本酒は合わないのが最大の理由ですが、他にも。

食後はいつものように録画した番組を二人で観たのですが、最後に再生したのはこれ。いつも六角精児が何とも美味そうにビールや日本酒を飲むので、同じ気分を味わいたいと思っていた私は1合を温存することにしたのでした。Lindaは旅人の「乾杯」の発声に私が杯を合わせるのを面白いと言って、その姿を撮影することにしたようですが・・・・

今日見せてもらったら写っていたのは手と杯だけでした(苦笑)。それはさておき、(音声でも字幕でも歌詞の意味は解っていないはずなのに)実にいいタイミングでシャッターを押したなぁ、と感心してしまいました。なお、この詞は番組の序盤で流れるテーマソング「ディーゼル」(by 六角精児バンド)のものですが、いつも「らく早見」(1.3倍速)で再生していたため、私はずっとアップテンポの曲だと思い込んでいました。
ある日たまたま等倍で聴き、「こんな音楽だったのか!」とビックリした次第。印象はまるで違いますね。


ついでに午前中の散歩の様子も。とても寒がりなのに雪景色は大好きなLindaに誘われたので出ることにしました。それにしてもまるで北欧あたりを旅しているかのような重装備(笑)。


何はともあれ、これで田園風景の画像と映像が春夏秋冬で揃ったと喜んでいました。
つづき

昨晩の夕食時に撮影。テーブル上の華やかな飾りが目を惹きますが、父からも生花の基本である不等辺三角形を守っていると褒められていました。

なお南天、檜その他は全て我が家の庭から調達してきました。上の散歩時に失敬してきたものではありません(念のため)。

食後はいつものように録画した番組を二人で観たのですが、最後に再生したのはこれ。いつも六角精児が何とも美味そうにビールや日本酒を飲むので、同じ気分を味わいたいと思っていた私は1合を温存することにしたのでした。Lindaは旅人の「乾杯」の発声に私が杯を合わせるのを面白いと言って、その姿を撮影することにしたようですが・・・・

今日見せてもらったら写っていたのは手と杯だけでした(苦笑)。それはさておき、(音声でも字幕でも歌詞の意味は解っていないはずなのに)実にいいタイミングでシャッターを押したなぁ、と感心してしまいました。なお、この詞は番組の序盤で流れるテーマソング「ディーゼル」(by 六角精児バンド)のものですが、いつも「らく早見」(1.3倍速)で再生していたため、私はずっとアップテンポの曲だと思い込んでいました。
ある日たまたま等倍で聴き、「こんな音楽だったのか!」とビックリした次第。印象はまるで違いますね。


ついでに午前中の散歩の様子も。とても寒がりなのに雪景色は大好きなLindaに誘われたので出ることにしました。それにしてもまるで北欧あたりを旅しているかのような重装備(笑)。


何はともあれ、これで田園風景の画像と映像が春夏秋冬で揃ったと喜んでいました。
つづき

昨晩の夕食時に撮影。テーブル上の華やかな飾りが目を惹きますが、父からも生花の基本である不等辺三角形を守っていると褒められていました。

なお南天、檜その他は全て我が家の庭から調達してきました。上の散歩時に失敬してきたものではありません(念のため)。
以前ここで某お笑い番組のあるコーナーを「下衆の極み」と糾弾しましたが、私以外にも不評だったので、もう止めたのかと思っていたところ・・・・先週放送分では、その「発音カラオケ」とやらを性懲りもなく復活させていました。(その番組では他にも続き物コントの中に著しくつまらないものが複数あるため、制作者に柔軟性が欠けていると判断せざるを得ません。)その早送り途中に見えてしまった部分では、どうやら "th" [θ] 音が減点対象となったらしく、女子アナが「正しくは歯で舌を噛んで・・・・」と「模範的」発音を披露していましたが、それを耳にして私は「正しいもクソもあるか!」と激昂しました。子音であれ母音であれ、日本語にない外国語の音は母語話者のように発音できなくて当たり前でしょう。
このエピソード、前に書いていたと思い捜したものの見つからなかったので紹介しますが、学生時代に生協の食堂でアフリカ出身らしき留学生さんが「ターハン、ターハン」と連呼しているのを見ました。その人の母語に "ch" 音(チャ行)がないため上手く言えないのだろうと私は想像しましたが、ちゃんとオーダーは通っていました。そう聞いてターバンを出してきたりするのは、それこそお笑いの世界。文脈というか状況で炒飯のことと判るはずです。(それゆえ外書購読の授業でも「子音の発音はそんなに気にすんな」と学生に言ってます。)
これも見つからなかったので書きますが、日本語教室に来ているベトナム出身の生徒さんには「すばらすぃいです」「おいすぃかったです」などと言う人の方が多いです(「Youは何しに日本へ?」に登場したインドネシア人技能実習生も同様)。日本語のサ行は正確には "sa, shi, su, se, so" のように[s]と[ʃ]が混在しており、あちらに後者がないからだと思っています。(同様の「ねじれ」はタ行、ザ行、ダ行にも存在します。)一応訂正はしますが、それで直らなかったらそのままにします。問題なく通じますからね。いちいち論ったりするのは野暮というものです。
今度はスペイン語の話。スペインの標準語では "s" 音と "th" 音を区別するため、"Gracias"(ありがとう)が私たちの耳に「グラフィアス」と聞こえたりもすることもあるそうです(NHKラジオ講座より)。一方、同国の南部や中南米では "s" 音しか存在しないため(こちら参照)、"ci"、"si"、"zi" のいずれも「スィ」と読めばOKです。実にありがたい! しかしながら、スペインに行って例えば "cincuenta y cinco"(55)を「スィンクエンタ・イ・スィンコ」と発音しようものなら途端に「この田舎者が」みたいな反応をされてしまうのだとか(幼少時をボリビアで過ごされた方から直に聞いた話)。こういうのは野暮を通り越して下劣としか言いようがないですね。むしろ「発音の正しさなんかで優越感を示したがるのは他に誇れるものが何もない人間」と考えたらいいです。
ということで件の番組ですが、今週の放送では有名歌手を複数呼んで長々と歌合戦をしていたようなので、辟易した私は途中で再生を止めて消去しました。もう録画することはないかも。代わりの娯楽番組はいくらでもありますから。
このエピソード、前に書いていたと思い捜したものの見つからなかったので紹介しますが、学生時代に生協の食堂でアフリカ出身らしき留学生さんが「ターハン、ターハン」と連呼しているのを見ました。その人の母語に "ch" 音(チャ行)がないため上手く言えないのだろうと私は想像しましたが、ちゃんとオーダーは通っていました。そう聞いてターバンを出してきたりするのは、それこそお笑いの世界。文脈というか状況で炒飯のことと判るはずです。(それゆえ外書購読の授業でも「子音の発音はそんなに気にすんな」と学生に言ってます。)
これも見つからなかったので書きますが、日本語教室に来ているベトナム出身の生徒さんには「すばらすぃいです」「おいすぃかったです」などと言う人の方が多いです(「Youは何しに日本へ?」に登場したインドネシア人技能実習生も同様)。日本語のサ行は正確には "sa, shi, su, se, so" のように[s]と[ʃ]が混在しており、あちらに後者がないからだと思っています。(同様の「ねじれ」はタ行、ザ行、ダ行にも存在します。)一応訂正はしますが、それで直らなかったらそのままにします。問題なく通じますからね。いちいち論ったりするのは野暮というものです。
今度はスペイン語の話。スペインの標準語では "s" 音と "th" 音を区別するため、"Gracias"(ありがとう)が私たちの耳に「グラフィアス」と聞こえたりもすることもあるそうです(NHKラジオ講座より)。一方、同国の南部や中南米では "s" 音しか存在しないため(こちら参照)、"ci"、"si"、"zi" のいずれも「スィ」と読めばOKです。実にありがたい! しかしながら、スペインに行って例えば "cincuenta y cinco"(55)を「スィンクエンタ・イ・スィンコ」と発音しようものなら途端に「この田舎者が」みたいな反応をされてしまうのだとか(幼少時をボリビアで過ごされた方から直に聞いた話)。こういうのは野暮を通り越して下劣としか言いようがないですね。むしろ「発音の正しさなんかで優越感を示したがるのは他に誇れるものが何もない人間」と考えたらいいです。
ということで件の番組ですが、今週の放送では有名歌手を複数呼んで長々と歌合戦をしていたようなので、辟易した私は途中で再生を止めて消去しました。もう録画することはないかも。代わりの娯楽番組はいくらでもありますから。
昨日はこの冬1番の冷え込み。当地も結構雪が積もりました。(前日の夜にタイヤ代えといて正解。)

寒い日の夜は何といっても鍋。ということで昨晩は火鍋でした。(Lindaに指摘されたように配膳の前に撮影すべきでした。)最近は「ピリ辛」ならぬ「シビ辛」がちょっとした流行になっていると何かのグルメ番組が紹介していたため、作ってみる気になりました。袋裏のレシピにはこだわらず、冷蔵庫にあった食材を適当に入れて煮込み、味見をしたところ・・・・・
「こりゃ出せんわ」(自分以外の二人は食べれまい)と思いました。パッケージに「唐辛子の辛さと花椒の痺れが特徴の麻辣風味」とありますが、その味は予想していたよりはるかに強烈。そこで・・・・

この写真では分かりにくいかもしれませんが、浮いている辣油部分を可能な限りすくい取りました。辛味成分のカプサイシンは脂質によく溶けますから、これでかなり除去できたはず。それでもLindaと父は「辛い辛い」と最初言っていましたが、やがて「美味しい美味しい」に変わり、次々と口に運んでいました。たしかに慣れてくると「辣味」と「麻味」(こちらに解説)の相乗効果が感じられるようです。(なお体はしっかり温まったものの、汗が噴き出してくるようなことはありませんでした。辛さの種類が異なりますからね。)

雑炊を食べる頃には私は辛さをほとんど感じなくなっていたため、取っておいた辣油をトッピング。これで丁度良くなりました。(こちらでも紹介していましたが、名古屋に住んでいた頃、あるラーメン屋で大食い、早食い、激辛を全てクリヤして「三冠王」に認定されたことがあります。今でもそこそこの辛さなら大丈夫です。)

実は台所にまだこれだけあります。(水曜日にも寄せ鍋を作りました。)それにしても業務スーパー(神戸物産)の鍋の素(つゆ)は安いですね。たまたま観たこの番組で知りましたが、二桁価格(税抜98円)は自社工場製造ゆえでしょう。それらを一通り試して気に入ったものはまた買うつもりです。ただし今回の火鍋は微妙かな。一方、画像中央と左端の品は他店での購入で値段は2倍以上しますが、うち前者は鍋そのものよりシメの雑炊(リゾット風)が絶品だったためのリピートです。後者の有名カレー専門チェーン店とのコラボ商品も楽しみ。
おまけ
そのカレー店で思い出したこと。たぶん2004年の夏ですが、来日していたナミビア人の共同研究者(故人)を助手席に乗せて職場のある彦根から彼がセミナーをすることになっていた名古屋へ移動していました。昼食をどうしようか考えていたら遠くにその店の看板が見えたので、「辛いのは大丈夫?」と尋ねたら「イエス」だったので入りました。ところが・・・・・・
私が5辛を頼んだのに対し、彼は安全策で1辛を選んだにもかかわらず、最初の一口で「何だこの辛さは!」と悲鳴を上げ、結局1/3も食べられずギブアップ。そういえばナミビアには辛い料理が全くといっていいほどありませんでしたから(おそらく彼の祖国&隣国のザンビアも同様)、抵抗性がほとんどなかったということでしょう。
唐辛子の原産地は南米アマゾン河流域とされていますが、それが伝播した国・地域と長らく持ち込まれることがなかった所では辛味に対する嗜好が大きく異なっています。南米だとボリビアがOKなのに隣のパラグアイは全然ダメ。アジアだと私が何度も行ったインドネシアは日本人にとっての激辛が普通みたいでしたが、同じ島国でもフィリピンは辛い料理がほとんどないそうです。面白いですね。
これを書いている間に思い出したことですが、唐辛子がインドに伝わったのは早くて16世紀の初めなので(コロンブスの新大陸「発見」は1492年)、当然ながらそれ以前に食べられていたカレーの味は全く違っていました(こちら参照)。古文書に残されていたレシピによると当時は胡椒で辛味を付けていたとのとで、それを再現するという番組を観たことがあります。が、出来上がった料理はまるで美味しくなかったようで、出演者はことごとく失望の表情を浮かべていました。でもそんなに不味いのなら却って興味が湧くというものです。
おまけ2(鍋つながりで)

先日パッキンを交換した圧力鍋で先ほどダイズを煮てみましたが、それまでのように蒸気が激しく漏れることも火を止めてすぐ栓が落ちるようなこともなく、余熱で圧力がしばらく維持されていました。ということで、1000円ちょっと払った甲斐がありました。

寒い日の夜は何といっても鍋。ということで昨晩は火鍋でした。(Lindaに指摘されたように配膳の前に撮影すべきでした。)最近は「ピリ辛」ならぬ「シビ辛」がちょっとした流行になっていると何かのグルメ番組が紹介していたため、作ってみる気になりました。袋裏のレシピにはこだわらず、冷蔵庫にあった食材を適当に入れて煮込み、味見をしたところ・・・・・
「こりゃ出せんわ」(自分以外の二人は食べれまい)と思いました。パッケージに「唐辛子の辛さと花椒の痺れが特徴の麻辣風味」とありますが、その味は予想していたよりはるかに強烈。そこで・・・・

この写真では分かりにくいかもしれませんが、浮いている辣油部分を可能な限りすくい取りました。辛味成分のカプサイシンは脂質によく溶けますから、これでかなり除去できたはず。それでもLindaと父は「辛い辛い」と最初言っていましたが、やがて「美味しい美味しい」に変わり、次々と口に運んでいました。たしかに慣れてくると「辣味」と「麻味」(こちらに解説)の相乗効果が感じられるようです。(なお体はしっかり温まったものの、汗が噴き出してくるようなことはありませんでした。辛さの種類が異なりますからね。)

雑炊を食べる頃には私は辛さをほとんど感じなくなっていたため、取っておいた辣油をトッピング。これで丁度良くなりました。(こちらでも紹介していましたが、名古屋に住んでいた頃、あるラーメン屋で大食い、早食い、激辛を全てクリヤして「三冠王」に認定されたことがあります。今でもそこそこの辛さなら大丈夫です。)

実は台所にまだこれだけあります。(水曜日にも寄せ鍋を作りました。)それにしても業務スーパー(神戸物産)の鍋の素(つゆ)は安いですね。たまたま観たこの番組で知りましたが、二桁価格(税抜98円)は自社工場製造ゆえでしょう。それらを一通り試して気に入ったものはまた買うつもりです。ただし今回の火鍋は微妙かな。一方、画像中央と左端の品は他店での購入で値段は2倍以上しますが、うち前者は鍋そのものよりシメの雑炊(リゾット風)が絶品だったためのリピートです。後者の有名カレー専門チェーン店とのコラボ商品も楽しみ。
おまけ
そのカレー店で思い出したこと。たぶん2004年の夏ですが、来日していたナミビア人の共同研究者(故人)を助手席に乗せて職場のある彦根から彼がセミナーをすることになっていた名古屋へ移動していました。昼食をどうしようか考えていたら遠くにその店の看板が見えたので、「辛いのは大丈夫?」と尋ねたら「イエス」だったので入りました。ところが・・・・・・
私が5辛を頼んだのに対し、彼は安全策で1辛を選んだにもかかわらず、最初の一口で「何だこの辛さは!」と悲鳴を上げ、結局1/3も食べられずギブアップ。そういえばナミビアには辛い料理が全くといっていいほどありませんでしたから(おそらく彼の祖国&隣国のザンビアも同様)、抵抗性がほとんどなかったということでしょう。
唐辛子の原産地は南米アマゾン河流域とされていますが、それが伝播した国・地域と長らく持ち込まれることがなかった所では辛味に対する嗜好が大きく異なっています。南米だとボリビアがOKなのに隣のパラグアイは全然ダメ。アジアだと私が何度も行ったインドネシアは日本人にとっての激辛が普通みたいでしたが、同じ島国でもフィリピンは辛い料理がほとんどないそうです。面白いですね。
これを書いている間に思い出したことですが、唐辛子がインドに伝わったのは早くて16世紀の初めなので(コロンブスの新大陸「発見」は1492年)、当然ながらそれ以前に食べられていたカレーの味は全く違っていました(こちら参照)。古文書に残されていたレシピによると当時は胡椒で辛味を付けていたとのとで、それを再現するという番組を観たことがあります。が、出来上がった料理はまるで美味しくなかったようで、出演者はことごとく失望の表情を浮かべていました。でもそんなに不味いのなら却って興味が湧くというものです。
おまけ2(鍋つながりで)

先日パッキンを交換した圧力鍋で先ほどダイズを煮てみましたが、それまでのように蒸気が激しく漏れることも火を止めてすぐ栓が落ちるようなこともなく、余熱で圧力がしばらく維持されていました。ということで、1000円ちょっと払った甲斐がありました。

昨日のおやつ時に撮影。Lindaがまたパンを焼いたのですが、うち1種類はここで紹介した番組テキストの第2回放送分(フルーツサンド)に載っていた「塩こうじのミニ食パン」(レシピはこちら)です。塩の代わりに塩こうじを使うことには「小麦粉の香りが引き立つ」「短時間の発酵でも膨らみやすくなる」といったメリットがあるそうですが、実際ふっくらとした仕上がりで非常に美味。Lindaが作った食パンとしてはベストの出来と思いました。なお、テキストと睨めっこしていた彼女から「この『塩こうじ』ってなに?」と訊かれたのですが、うまい具合に3日前に仕込んだものがありました。まだ粒々が残っていて少し早いかな、と思いましたが、ちゃんと働いてくれたようです。

ということで、私は例によって植物性のチーズを作っています。年末年始にはワインや日本酒の伴侶となります。
おまけ
本記事のタイトルは「渡りに船」にするつもりでしたが、5ヶ月前に使ってました。最近はこれで悩むことも度々です。別に使い回ししたって構わないんですけどね(苦笑)。代わりを見つけましたが、いつかは出尽くすでしょう。

昨晩また来ました。メルカリは利用してないし、メアドの末尾が ".cn" ならば引っかかる方がおかしい。今回もリンクをクリックして侮辱ワードを打ち込んでやろうとしたのですが・・・・

真っ白なページが表示されただけでした。残念。
ところで文面の「受け取ります。」には違和感を感じつつ「どこかで見た口調だな」と思ったのですが、判ってみれば日本語教室が開かれているここのトイレでした。「スリッパにはきかえます。」「でるときはでんきをけします。」などと書かれた貼り紙は動詞の「て形」を知らない外国人への配慮なのでしょうね。
詐欺といえば県内でまたもこんなニュースが。しかも私と同じ年。お気の毒はお気の毒ですが、「いったいなんでまた?」と言いたい気持ちは禁じ得ません。


そろそろ年賀状の準備をする時期になりました。左は今年の裏面です。そして右が来年用。この1年で最も印象に残った出来事を採用しました。(だだし画像は暫定版でこの週末に撮り直して差し替えます。)文面や字体は過去のファイルをチェックしてマンネリを避けるようにしています。十二支のスタンプも同様ですが、この前の寅年はどうだったか調べようとしたら・・・・ありませんでした。(2セット持っているので前回と違う方を使おうと考えたのですが。)パソコンには1997〜2021年までの図面を保存しているのですが、喪中で出さなかった2006年に加えて、どういう訳か2010年も抜けています。
しばらくして思い出しました。「あの時は前の年の11月から翌年の3月いっぱいまでナミビアにいたんだった!」と。 帰国して遅まきながら届いた賀状を見ましたが、3ヶ月経っていたこともあり返信は出しませんでした。ちなみに当時の日記がこちらで読めますが、正月らしいことは何もしていなかったようです。あれから干支が一回りしてきた訳ですね。でもこの12年間が早く過ぎたという感じはしていません。やはりLindaと出会って結婚に至るという大大大イベントを経験したからでしょう。

ポピュラー音楽聴き直しプロジェクト(←大袈裟な)もいよいよ佳境を迎え、最大勢力のスペイン語圏が終わろうとしています。(残すは英語圏と数少ない日本語曲のみ。)昨日はアバ(注)のベストアルバムを聴きました。(注:"B" の鏡文字のが打てないのでアルファベット表記は気が進みません。こちらなどによると方法もなくはないみたいですが。)「何でこのスウェーデンの音楽集団が?」と思われた方はアルバムタイトルをよく見て下さい。

ということで、私が持っているのは英語歌唱を収めたゴールド(Gold)ではなく西語バージョン(タイトルもそのまんま "ORO" =「金」)の方でした。(全15曲がここで試聴可能です。ちなみに彼らの最大のヒット曲である "Dancing Queen" は英西の他、独仏瑞語でも録音されたそうです。)
さて、改めて聴いてもトラック4 "La Reina del Baile" は大傑作だと思いました。私的には20世紀に作られた歌曲(クラシック除く)で5本の指に入れたいです。しかしながら、インパクトの強さに限ればその次の次の曲の方が上。こちらなどで言及されていますが、やはり予備知識のない(そして西語を知らない)日本人が聴いたら「すわ何ごとか!」と驚いても不思議はないでしょう。
おまけ
このニュースは最初にBBCで知ったのかな? 私は彼らの全盛期にはまるで興味が湧かず、件のベスト盤で初めて良さを知った人間ゆえ、40年ぶりにリリースされたというアルバムにも食指は動きません。西語盤が出たら「どれどれ」という気になるかもしれませんが。