国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

虫の知らせ

2023-08-12 | 日記
父は昨年からめっきり足腰が弱くなり、長く歩くことが不可能になっただけでなく転倒を繰り返すようになりました。そしてとうとう冬には自力でベッドから起き上がることも困難に。そこで4月初めに要介護認定を申請し、実際に要介護2と認定されたのが5月。それを受けて6月から介護用品や福祉用具の購入やレンタルを進めるとともに自宅近くのデイサービスへ週2日通うことになりました。

その後の回復にはめざましいものがありました。手すりに掴まらずともトイレに行けるようになったし、歩行器を押しながら神社との往復もできたし。7月からはデイサービスを週3日に増やすことになっており、父もそれを楽しみにしていたし、「この分なら90歳は堅いな」と私も思ったのですが・・・・・一寸先は闇でした。

ところで6月下旬のある日、Lindaが父に「久しぶりにイオンへ行きますか?」(注)と何気なく尋ねたところ、一も二もなく承知したので買い物などで半日を楽しく過ごし、最後に散髪をして帰ったそうです。(注:かつては毎週火曜の特売日に二人で行っていましたが、父の体が弱ってからは代わって私が土日にお伴をするようになっていたのでした。)私はそれを思い出し、「あれは旅立ちの準備だったのではなかろうか?」という考えがふと頭を過りました。後でLindaが言うには、あの日なぜ誘う気になったのか分からないとのこと。また彼女は3日前に父が亡くなる夢も見ていたのだとか。私は予知夢を信じないし、彼女の夢が十中八九現実にならないことも知っています。けれど何か引っかかるものがある。そして・・・・

前日の午後、それも精密検査の結果が出る前のことでした。私はそれまで父に一度も言ったことのない感謝の思いを口にしました。なぜそれが頭に浮かんだのかは今でも解りません。そこで本記事のタイトルなのですが、後で思ったのはもしかしたら全てがそれだったのかも、ということです。とはいえ、私は合理的に説明がつかないことに対して無理やりストーリーをこしらえて納得するのを好まない性分ですから、ここいらで口を噤んだ方が良さそうです。たしかお釈迦様も「無記」(理性で考えて分からないことは判断せず沈黙を守る)を説いておられましたしね。
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ヤバイよヤバイよ~

2023-08-12 | 日記

台風6号は当初より西を進んだため大事には至りませんでしたが、7号も同じことになり焦っています。上の予想図の中心線を通られるとまさに直撃ですから。

追記

いよいよヤバいことになってきました。

8月15日朝追記
 進路はさらに西にずれて神戸あたりを通りそうですが、台風の右側は強風が吹き荒れるため心配です。
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