国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

未完のままで

2023-08-10 | 日記
生前父は仏式の通夜・葬式を望んでいませんでしたので同日夜に近親者のみでお別れ会を開きました。また滋賀医科大学に献体の登録をしていたため翌日に引き渡しを行いました。実際に大学で解剖実習が行われる日時は現時点で未定ながら、その後に合同葬が行われてようやく遺骨が戻ってくることになります。そういう事情で弔問や香典については辞退する旨を自治会長に伝えました。(葬儀が済んでいないので三七日とか四十九日 (忌明け) なども一切なしです。)それでも父と懇意にしていた人には知らせていましたし、噂を聞いた近隣住民も訪ねて来るため、急遽(仏間ではなく)客間に場所を設けました。

父がとくに気に入っていた写真と作品をテーブルに。

ここで何度か紹介した西遊記は・・・・・・

あと沙悟浄の行李を残すだけでした。

これを見た木彫りクラブの代表さんが「こういう未完の作には下手に手を加えない方がいい。偉大な芸術家には未完でも優れた作品がいくらでもある。」と言われたのを聞き、私はまさに我が意を得たりと思いました。クラシック音楽でも例えばシューベルトの交響曲第8番(現在は第7番)やブルックナーの同第9番は未完(前者は第2楽章、後者は第3楽章まで)でも十分大傑作で演奏され続けています。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご報告

2023-08-10 | 日記
去る7月4日の朝、私たちの父、泉守が他界しました(享年満86歳)。今年11月の米寿(数え年)の祝いを楽しみにしていたのですが、もう少しというところでそれは叶いませんでした。

前日の早朝、激しい腹痛を訴えたため救急外来に連れて行ったのですが、原因は判らず薬をもらって一旦帰宅。その日の午後に精密検査で全てが判明した時は手の打ちようがなく、翌朝本当にあっけなく逝ってしまいました。昨日の日記に書いた言葉はその時に思い浮かんだものです。ここ数年、近所や職場関係で訃報を耳にすることが増えました。「人間生まれる時は誰しも似たようなものだが、この世の去り方はまさに千差万別である」とつくづく思っていた私ゆえ、父の最期についてもいろいろなパターンを想定してはいたものの、実際にはそれらのいずれとも異なっていました。当日朝まで意識があり、皆にお別れが言えたのがせめてもの救いかもしれませんが、専門医の診断を受けて緊急手術を受けられていたらあるいは、という悔いはずっと残っていますし、父は何を考えて最後の夜を過ごしたのだろうと想像するだけで胸が痛みます。

けれども父の死を一番悲しんでいるのは間違いなく晩年の父と過ごす時間が最も長かったLindaです。彼女は今でも遺品を見ては涙をこぼしていますし、父の寝室には決して足を踏み入れようとしません。が、それほどまでに情の深い人間だからこそ変わることなく献身的な世話ができたのだろうと思います。以前から私の兄弟など親族は「日本人の嫁なら血の通っていない義父にあれだけの世話は絶対できない」と口々に言っていました。良き人が側にいてくれたことに改めて感謝していますし、お世辞にもいい息子とはいえなかった私の唯一の親孝行が彼女と一緒になったことではないかと考えたりもします。

何にしても悲しみは時が癒してくれるもの。ようやく私たちも少しずつですが日常を取り戻しつつあります。そしていつかは全てが懐かしい思い出へと変わることでしょう。また「別れは終わりではなく新たな始まり」という言葉があるようですが、私たちの結婚生活も新たなステージに入ったといえます。(それゆえタイトル内の括弧書きも変更しました。)この1ヶ月間はブログ記事を執筆する意欲が完全に失せていましたが、これから以前ほどのペースでなくても更新はしようと考えていますので、ご愛読いただければ幸いです。

なお、この件についてはまだ書き足りないので別記事で続けます。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする