社長に就任されでまもなくの頃、当時は六本木にあった日本IBM本社に、三田祭でのご講演依頼に慶應義塾の工学部生が押し寄せた。二つ返事で快諾された。
爾来、ことあるごとにお世話になるなりっぱなしであることに今更ながら気づく。
昭和28年3月卒業と同時に家業を継がれたこと。家業は父親が始めた事務機の販売店。場所は神田。取り扱い商品の中にIBM製品があり、IBM米国本社に見習い研修に招聘されたこと。
ワトソンジュニアに迎え入れられ、IBMの発祥についての話など、ユーモアたっぷりのお話は今も懐かしく思い出されます。
今から100年前、IBMは何を作って販売していたか、貴方は知ってきますか?
ワトソンジュニアは笑って椎名青年に質問しました。
分からないと答えると、
挽肉の機械だよ。
君は今我がIBMに研修に来ている。それはIBMがコンピュータを開発、販売している会社だからだろ?
もし100年前と同じ挽肉の機械を製作する会社だったら、研修にわざわざ米国まで来てくれたかね?
何が言いたいかと言うと、これから先IBMは未来永劫コンピュータを扱う会社がどうかはわからない。ただ一つ言えるのは、これから先もIBMは社会が必要とするものを製造販売し続ける会社であることは間違いない。
このことを忘れずに、米国での兼修を実り多いものとしてくれ給え。
米国初日のワトソンジュニアの挨拶より。