これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

脳死や植物状態になった人の生死

2020-08-29 07:47:47 | 社会問題
 今回は、非常に”重い”人の生死の話しです。世の中には色んな考えの方がおられますから、私の考え方に非難が噴出すると思いますが、敢えて書きます。 我が国の政治家達は先送り主義で、人の生死に関わる法律の整備は殆どして来ませんでしたが、真面目に議論して→決定しないと健康保険制度が崩壊する恐れがあります。

【人の生死と神の領域】
 私は医学には疎いので『脳死』と『植物状態(延性意識障害)』の区別が良くは分かりません。 然し、昔は両ケースとも助からなかったので、「神が定めた天寿を全うして死んだ」と皆が納得したのです。 換言すると、心臓が停止したら昔は死んだと誰でもが思いました。

 20世紀になって、医薬、医療機械、医療技術が進歩して、脳死状態になっても機械の助けを借りると、呼吸して”生きていく”事が出来る様になりました。 現在は、「生きている」と「死んでいる」の定義/判定が非常に難しくなっているのです。

 身内の方が治る見込みの無い状態になった場合、元気な内に本人が「延命処置を希望しない」旨の書類を作って置かないと、貴方が「生死の決断」を要求される恐れが有ります。 私は、主治医に頼んで「延命処置を希望しない」と言うカードを作ってもらって、何時も財布に入れて持ち運んでいます。 (家内と子供達に、その事を話しています。)

 脳死状態になって、機械の助けを借りて生きている人も『生きた人間』で、日本国民です。 国民が法律で与えられている権利の全てが保証されます。 選挙権、被選挙権、年金の受給権、・・・

 延命処置で発生する医療費は高額ですが、日本では、自己負担限度額を超える分は国が出してくれます。 高額の年金受給者の場合は、延命処置を施して少しでも長く生きてくれると、家族が豊かな生活を送れるケースも有ります。(私は、そんな家を知っています。)

 医療費も年金も大半は、現役で働いている人達が負担しています。平均寿命が高い事は国の誇りでは有りません。その分、若い人達が苦しい生活を余儀なくされているのです。「少子化の原因の一つだ」と私は思います。スウェーデンの制度を調査/検討して見る必要が有ります。

【脳死】
 日本は何も決められ無い国ですから、未だに生死の区別/判断を法律では定義していません。 その典型が、脳死状態になって機械に接続されて呼吸している人間の扱いです。法的解釈では「生きた人間」と扱うのだと思われます。 従って、臓器を移植するケース以外で、機械を外したり、停止させると殺人罪に問われます。

 『臓器の移植に関する法律の第6条(臓器の摘出)』の規定は、『死体(脳死した者の身体を含む)』から臓器を取って良いとなっています。 従って、人口呼吸器を付けていた人から、臓器を摘出する為には、人口呼吸器を取り外し→死んで頂く必要が有ります。

【父が死んだ時の決断】
 87歳の父を救急車で病院に運んで貰った時、84歳の母はまだ元気でした。 入院して二、三時間後に、先生は母では無く、私だけを別室に呼んで、「もう意識は回復しません。機械に繋いだら生きる事は出来ます。一度機械に繋いだら、法律で外す事は出来ません。どうされますか?」と聞かれました。

 私は迷うことなく、延命処置はしない様にお願いしました。その後・数時間して父は亡くなりました。母にも、姉達にも相談しないで決断しましたが、誰も非難はしませんでした。

(父が好きでした!) 延命処置は望みませんでしたが、私は父を尊敬し/好きでした。 父は息子が欲しかったのですが、生まれた五人は女の子で、諦めていた時に待望の男の子が出来たのです。 溺愛では無かったですが、父は私を大切に育ててくれました。 色んな所に連れていってくれ、色んな仕事を一緒にやりました。 楽しい思い出が沢山有ります。

【母が亡くなった時】
 父が逝って20年後に、母も病院で103歳で亡くなりました。 その時、医者は延命処置については何も言いませんでした。

【脳血栓で動けなくなった方】
 我が家と親しくしている家の主人(S氏)が、13年ほど前(60歳の時)に脳血栓で動けなくなり、喋る事も出来なくなりました。 手と顔は少しだけ動かせました。 寝込んでからの彼の唯一の楽しみは、テレビで野球を観戦する事でした。 ドラマ、歌、ニュースなどは見ても理解出来無かった様です。 倒れた時に、幼い孫が二人いましたが、可愛がる余裕が無く、寧ろ、騒々しいと嫌がった様でした。

 女性看護師(?)を連れた医者が定期的に訪問し、身体を洗う介護士が週に一、二回来て、更にリハビリ担当の介護士まで来ていた様です。結局、S氏は寝込んで13年間・一言も話せず、起き上がる事も出来ませんでした。 何年か経った時に、「いくら何でもリハビリは不要だ!」と私は思いました。

 寝込んで10年ほどすると、奥さんが介護疲れで・気の毒な状態になりました。その頃、S氏が肺炎になり、医者が「普通の治療をすると、助からない! どうされますか?」と聞かれたそうです。その時、私は奥さんから相談を受けたので、「もう十分介護したのだから、普通の治療にされたら!」とアドバイスしました。 奥さんは暫く悩まれた後で、「主人の死を私が決めるのは怖い!特別な治療をしてもらいます!」と言われました。

 症状は段々と悪化して、3年ほど前には野球観戦も出来なくなってしまいました。そんな状態になっても、「駄目だ!」とか「嫌だ!」とかは、手で合図する事は出来ました。まるでワガママな幼児の様でした。

 今年になって病状が悪化して、血液中の酸素濃度が低くなり、医者は気管切開を薦めたそうです。 奥さんは大決断して、気管切開は拒否されました。 そして、救急車で運ばれて集中治療室(ICU)で二、三週間治療を受け→退院→救急車・・・を何回か繰り返しました。 そして、先日・亡くなられたのです。

 13年間の在宅介護は大変です。「映画やデパートに行ったりして、たまには気晴らしされたら!」とアドバイスしましたが、「留守の間に死んでいたら、一生後悔すると思う」と言われて、近くのスーパーに行くのと、美容院に時々行く以外は出掛けられませんでした。

 S氏は中規模の会社の重役でした。その会社には企業年金制度が有り、寝込んでからは身体障害者の扱いでしたから、お金は沢山入った様でした。 「生きていてくれたら、沢山お金が貯まるのよ!」と、奥さんは自嘲する様に言われていました。

(昔だったら!) 私が子供の頃にS氏の様になられたら、長生きは出来なかったでしょう。 「S氏にとって13年間は価値/意味が有ったのか?」疑問です。犠牲を強いられた家族にとっても、13年間は価値は有ったのか? 「医学の進歩は単純には喜べないのでは?」と私は考えています。


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