これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

日本の活性化➍-4 :生産性、GDP、給与

2022-08-06 15:31:27 | 会社の活性化
【はじめに】
 今回も、効率化/生産性向上などに関連した私の経験を書きます。

 私は、「昔・取引したり、工場見学させてもらった企業がどうなったか?」時々インターネットで調べています。優良企業だったのに倒産した会社も数社有ります。効率化/生産性向上の努力は継続して行う必要があり、時代遅れになる分野では頑張っても無駄なケースも有るのです。

【ポンプ業界➊ :河川排水ポンプ】
 ポンプには種々の型式が有りますが、最もポピュラーなのが渦巻きポンプ(遠心ポンプ)です。 独断と偏見だと言われるのを覚悟して、ポンプ業界について書きます。

 渦巻きポンプの主な向け先は、国・地方公共団体と船舶です。 大抵の河川には大雨対策として『河川排水ポンプ場』が設けられています。一級河川は国が、二級河川は都道府県が河川排水ポンプ場を管理しています。 そして、下水処理場にも沢山の渦巻きポンプが設置されています。 大昔は、国・地方公共団体向けのポンプは談合の対象になっていました。

 国や地方公共団体の予算は、1年間で使用出来る予算で、原則として越年は出来ません。 ある部署が来年度でA、B~K、Lまで12件の工事をやりたいと考え、それぞれの工事に必要な費用を算出して100億円の予算を申請したとします。満額認められる事は殆ど有りません。そして、認可される予算は総額です。90億円認められたとすると、12件全てを実施出来ないので、その部署では12件の優先順位を議論して、予算の範囲で発注する事になります。(C、E、Hの工事は見送ると決定するのです。)

 河川排水ポンプの更新工事の場合、優先順位を決める議論が永遠と続き、入札が行われるのが毎年7月とか8月になってしまう様です。メーカー決定後に詳細打合せに入るので、受注から納入までの期間は6ヶ月ほどしか有りません。

 下に述べる舶用のポンプの場合は、制御盤は別途発注される様ですが、河川排水ポンプは制御盤付きの発注が原則です。従って、制御設計の担当者は年間三、四ヶ月程は超!多忙ですが、残りの期間(端境期)はアルバイトして糊口を凌ぐ必要が有ります。 私は、彼らの端境期に安い費用で仕事をして貰った事が何回か有ります。 彼らの繁忙期に、既納機の制御盤でトラブルが発生しても一切対応してくれませんでした。(私は、制御盤の修理が出来たので、彼らに仕事を依頼出来たのです。)

 国や都道府県の発注が、5月頃に行われる様にならない限り(仕事をするのが極短期間で効率が悪く)、河川排水ポンプの業界としては談合して対応せざるを得ないのが実情でした。

【ポンプ業界❷ :舶用のポンプ】
 船には大小様々なポンプが沢山使用されます。新造船の場合は、オーナー会社が必要なポンプの仕様と台数を提示して競合入札が行われ、メーカー1社に発注します。オーナー会社は、舶用機械の検査を請け負う会社に、検査を委託します。 大型の商船の場合は、国際入札が一般的で、談合の余地は無いと思われます。

 検査の前日までに、1船分のポンプをズラッと並べて、検査会社の担当者の前で次から次にポンプを運転し、大きな表示器に性能が表示されます。(私は、2社で検査の状況を見る事が出来ました。)

 船舶は必ず保険に入ります。船舶に使用する機械は、保険に入れる様に船級協会が定める基準で設計/検査をする必要が有ります。リースを想定して建造する船舶の場合は、複数の船級協会の基準で設計す事になります。代表的な船級協会を御参考までに以下に示しました。

★ ロイド船級協会(LR) :イギリス・・・世界一の海上保険
★ DNV GL船級協会(GL) :ノルウェー
★ アメリカ船級協会(ABS)
★ 日本海事協会(Class NK)

 (株)シンコー(旧社名=新興金属工業所) :広島市内に本社の有る、舶用のポンプと蒸気タービン等を手掛け、世界的に活躍している会社です。 (社員≒500名、21年の売り上げ≒290億円)

 1975年頃、私はシンコーの工場で2週間ほど実験した事が有ります。 「暇な時間には工場の中を自由に見学しても良い」と許可を頂きました。

 一番・関心したのは、素晴らしい工夫が随所に見られた事です! 当時、既に世界的に活躍していたので、価格競争に勝つためには作業の合理化/効率化が不可欠なんだと想像しました。設計的にもボルトの種類を減らし→→電動ドライバーを採用したり、細かい所まで気配りしていました。

 二番目に関心したのは、ポンプの売り上げ台数を示す掲示板が有って、前日(?)までに、どの機種を何台売ったか記入していました。社員は会社の業績の概要が把握出来ますから、やる気が出て来ます。

 三番目に関心したのは、(社員数が多いいとは言えませんでしたが、)顧客向けの図書は英文が基本で、ロシア語にも対応していた事です。「必要に迫られて設計担当者が語学を勉強した」と説明されました。

(余談 :チューネ・ユーレカ) :私は大学でポンプのゼミを選択しました。世界には遠心ポンプのメーカーが数多(あまた)と有りますが、ノルウェーの『チューネ・ユーレカ社』製は高価ですが種々の点で優れていました。入社してノルウェーの兵器廠と技術提携した仕事を始めたので、(1972年頃)技術提携の仲介をしていた商社に依頼して、チューネ・ユーレカ社のカタログや技術資料を送ってもらいました。

 1974年に(株)浪速ポンプ製作所がチューネ・ユーレカ社と技術提携した事を知りました。ほぼ同じ頃に、ノルウェーの兵器廠が北海油田の石油採掘プラットホーム向けに、チューネ・ユーレカ社製の遠心ポンプを採用した、超!超!大型の消防艇を建造しました。その資料も入手しました。

 私は入社して直ぐ、会社の防災訓練の時、同僚と二人で消防放水ノズルを抱えた事が有ります。放水が始まると結構大きな反動力が発生しました。消防艇の場合は、反動力が船に加わります。そして、消防艇には複数の消防放水ノズルが設けられています。放水時・複数の反動力の合力が船に加わりますが、船長は船を停止させる必要が有り、神業で操船するのです。

 私は消防艇に関する種々の文献を集めて勉強しました。

 1980年頃に海上保安庁に最新鋭で最大の消防艇の見学をお願いした所、許可頂けました。12時少し前に行ったら、隊員が岸壁に七輪を置いて秋刀魚を焼いていて、美味しそうな臭いがしていました。

 船は双胴船で、複数有った放水ノズルは人間が朝顔型ハンドル車を回して操作する方式だったと記憶しています。 船内を見学させて頂くと、消火ポンプはチューネ・ユーレカ社製でした。一回りほど年上の船長さんが応対してくれました。「今後、船は大型化して来るので、放水距離が150mほどの超大型の消防艇が必要になる。」、「超大型消防艇は放水時、船長の感で操船するのは難しい→→コンピューターを用いた自動操船にする必要が有る」、・・・と私は話しました。そして、ノルウェーの超大型消防艇の写真と放水訓練の写真を見せました。

 話は盛り上がり、船長さんも超大型消防艇の必要性を理解してくれました。然し、「ノルウェーの超大型消防艇相当の概算建造費は、最新の消防艇の六、七倍は必要だ」と話すと、そんな予算は到底許可されないと断言されました。「大型船で火災が発生して数人以上の犠牲者が出たら、国の方針が変わる可能性が有るかも?」・・・小一時間以上も話が尽きませんでした。

 現在・世界では、20万トンを超える超大型の豪華客船が多数運航されています。 こんな大型船を日本が現在・保有している最大の消防艇で放水している状況を想像してみて下さい。ジョナサン・スウィフトのガリヴァーが乗っている船に、小人達の消防艇が放水している様な状況になると思います。

【画期的な機械の例➊ :ワインダーの速度アップと省力化】
 抄紙機(しょうしき)で製造された新聞用紙や段ボール原紙は、大きくて太い金属の棒を芯にして巻き取ります。これはジャンボロールと呼ばれます。ジャンボロールを巻取機(ワインダー)で、幅と長さを調節して製品のロールにします。抄紙機とワインダーは24時間運転で、四直三交代で操業されます。

 ジリ貧の状態に陥っていた小さな製紙機械のメーカー(NT社)に出向した時、社運を掛けて巻取機(ワインダー)の自動化/高速化等を狙った開発をしていました。開発はほぼ完成していて、私は幾らで製造出来るか?検討し、一号機を某製紙会社(ST社)に売り込む営業の担当をしました。

 ST社のOS工場の一番大きな抄紙機を大改造して、抄紙速度(生産量)を30%ほどアップルする計画でした。従って、ワインダーも速度アップが必要になるのですが、ワインダーの速度を上げる為には種々の検討が必要でした。 ワインダーの速度アップには理論的な限界が有り、OS工場の計画は限界に近かったのですが、モーターの加速/減速制御をNT社の計算で求めたスケジュールで出来れば実現可能でした。

 ワインダー用のモーターを手掛ける会社は数社有りましたが、東芝が最高の技術を持っていました。NT社が提示した加速/減速制御を東芝が受け入れたので、OS工場の改造工事はスタートしました。試運転時、東芝は大苦戦して、調整に五、六日掛かりましたが、成功しました。 (その数年後に残念ながら東芝は、この分野から撤退してしまいました。)

 私の算出したワインダーの適正売値は『8,000万円』でした。 NT社が工夫した自動化によって、四直三交代で1直4名の操業を2名で十分対応出来る事も分かりました。4✕4=16名を→→4✕2=8名で操業出来るのです。その上、生産量が30%アップし、製品の品質が向上し、安全対策を大幅に改善する計画でした。

 私は現場の課長と係長に、「適正売値は8,000万円ですが、NT社では実験装置を作って、沢山の金と人手を掛けて開発してきたので、運転員を8名減らした時の1年間の人件費を上乗せして欲しい」と正直に話しました。「NT社の経営は現在・芳しく無いが、貴社にとって、NT社の技術は将来絶対必要になると思います。」とも話しました。

 課長はノラリクラリでしたが、係長は工場長に私が話した内容を報告してくれ、「NT社の仕様通りの結果になったら、『1.6億円』支払って良い」と言う了解を取ってくれました。 (改造計画は大成功だったので、係長は直ぐに課長に昇進されました。その後、私は新課長だけで無く、工場長とも親密な関係になりました。)

 NT社の社長に『1.6億円』の報告をすると、「ベラボウな儲けは会社を駄目にしてしまうから、『8,000万円』で決着する様に!」と指示されました。

 現場作業員に改造計画を説明する役を仰せつかりました。夢の様な改造計画でしたから、全く信じてもらえませんでした。社長にビデオカメラを買って貰って、改造前と改造後の運転状態を記録しました。

 工事完成後に、現場作業員2名で十分操業出来る事は確認して貰えましたが、「運転時間の短縮は出来ていない」と言い張りました。ビデオ画面には秒単位の数字が表示されますので、皆さん渋々認めざるを得ませんでした。

 その後、ST社の他工場のワインダーも改造しました。そして、他の製紙会社からワインダーの改造だけで無く、NT社の技術力を見込んだ検討依頼が多数入る様になって、NT社は儲かる様になりました。 私は、高速フーリエ変換器(FFT)等をの計測器を買って頂いて、設備診断を始めたのですが、約束の金を払って貰えるケースは少なかったです!

 凄い振動の原因究明を依頼され、三日ほど掛けて「建物の強度不足が原因だ」と言う報告書を提出したら→→顧客が建物の補強をして→→振動は私の予想通り劇的に収まったのですが、1円も払ってくれませんでした。

 「知識や経験に金を支払う」と言う習慣が定着しないと、日本の産業の活性化は難しい様に思います。

画期的な機械の例❷ :紙綿製造機】
 1992年頃、古紙の価格が暴落して回収してもらえ無い地域が出て来ました。通商産業省(現在・経済産業省)から私が勤務する会社に、「古紙の新しい用途を開拓して欲しい」と言う依頼が有って、コンクリートパネル(コンパネ)製造装置を開発するプロジェクトが始まりました。

 私は、そのチームに貸し出されて「水を使用しないで、古紙を紙綿にする機械の開発チーム」のチーフになりました。1年間で開発を完成させたら、派遣元の部に返して貰う約束でした。期日前に完了してのですが、他のチームの開発が遅れたので、私の開発チームは「自分の好きな事をやって良いから全体の開発が完了するまで待機してくれ」と言われました。

 機械を『乾式古紙解繊機』と命名し、『エコパルパー』と言う商標を取得しました。エコパルパー単体で外販しても良いと言う許可を部門長(T氏)から得て、営業活動を始めました。直ぐに3社から引き合いが有り、一番熱心だった某社との契約書を作成し、T氏にサインを貰いに行くと、前言を翻してサインして貰えませんでした。半年程してT氏がエコパルパーを売れと言うので、営業活動を再開したのですが、契約書を持って行くと、またサインを拒否しました。 結局、コンパネ製造装置の開発は失敗したので、私の開発チームは解散して、エコパルパーは1台も外販出来ませんでした。

 大昔から山本百馬製作所がエコパルパーに近い機械を製造販売していましたが、解繊の原理を把握出来ていなかった為と思われ、騒音が激しく、電力効率が悪く、出来た紙綿も上質では有りませんでした。(その後、山本百馬製作所は倒産してしまいました。)

 アメリカに1社だけ乾式の古紙解繊装置を手掛ける小さな会社(A社)が有って、日本の大手製紙会社が1セット購入していました。導入時に大金を支払って、紙綿を販売した金の何パーセントかを永遠と払い続ける契約になっていました。A社はアメリカでも同様の契約をしていた様です。欧米では1社独占のケースで、製品の売り上げ金の一部を装置メーカーに支払う契約方式が有る様です。

 私が命名した『乾式解繊』では無く、『乾式離解』と言う用語を使った特許が近年取得されています。

(余談 :瑞光の販売戦略) 昔、瑞光(ずいこ)が画期的な『紙おむつ製造装置』を開発しました。引き合いが殺到した様ですが、『紙おむつ』の需要動向を調査して、『紙おむつ製造装置』の販売台数を決定していた様です。『紙おむつ』を作り過ぎると→→価格が低下して→→製造装置の価格も低下してしまうと考えたのです。

(余談 :エコパルパーの開発) :私は2019年8月10日~9月7日に『紙』について5回投稿しました。『エコパルパー』の開発については『紙の話し (その4)』を読んで見て下さい。