ましこノート

参議院議員・増子輝彦が日々思うことを書きつらねています。(メールマガジンでも配信中)

福島に嫁に来ました

2008年10月03日 | ましこノート
ようやく、私の後継者として衆議院福島2区の候補者が決まった。
千葉7区で頑張っていた「太田和美」衆議院議員である。
29才現在最年少国会議員である。残念ながら福島2区内には
適任者がいなかった。複数の有為な人材に打診し立候補を要請したが
決断出来なかった。政治に志を持ち、燃え上がる情熱と強い信念で
国家・国民のために命を賭けて政治家になる覚悟が持てず
決断が出来なかった。しがらみを断ち切り選挙を戦い抜き、
地元、日本のために立ち上がることが出来なかった。
福田首相の突然の辞任は早期解散総選挙を促し10月26日投票日が
決定的であれば、何時までも選挙区内にこだわっておられず
早急に後継者を決めなければならない状況になり、小沢代表とも協議をし、
9月19日に太田和美代議士に決めた。千葉7区から国替えを党から要請されて
いくつかの選挙区を提示されていたが、いまひとつどの選挙区もピンとこず
決めかねていたところに福島2区の話があった時、直感的に自分のいく
選挙区はここ福島2区であり、昨年9月に亡くなった祖父が呼び寄せたんだと
思ったそうだ。祖父母が会津、母親がいわき市出身で福島の血・DNAが流れ、
故郷福島県に戻ってきた。国替え立候補表明以来2週間が過ぎた。
この間朝6時から夜10時まで休みなく私と一緒に福島2区を
一生懸命挨拶廻りをして集会を重ねてきた。とにかく時間が無いので
一軒一軒細かく訪問できず、私の後援会の役員を中心に会合を持ち
企業訪問を合わせて、まさに寝食を忘れて活動してきた。
まだまだ選挙区内の方々に太田和美代議士を浸透させなければならない。
この原稿も書き始めてほぼ2週間、本当に時間がなくメール発信出来ずにいる。
太田和美代議士は決断力があり、明るく、政治家に最も大事な条件である。
そして頭の良い人物である、高校卒だが話のポイントを少しアドバイスすると
自分の言葉にして説明・演説が分かりやすく出来る。
少し可愛いので男性受けは心配していなかったものの、女性からの評価を
気にしていたが非常に好感度が高いので安心した。
郡山市は明治維新後、安積疏水開通により安積開拓が行われ近代都市としての
礎を築き上げたのは9つの諸国から入植した人々だった。郡山はその後も
多くの人達を受け入れる懐の深い多様性に富んだ都市なので、太田和美代議士を
温かく受け入れてくれると信じている。解散の時期も微妙に変化しているが
限られた時間の中でしっかり太田和美当選に向けて全力投球で頑張っていく。

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