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あるいて・みつける

歩く速さで見つけたものを、記録に残していきます。ゆっくりと歩けば、いろいろなものが見えてきます。

絞りの設定は写真を変える

2012-07-31 22:27:17 | 温故知新
コンパクト・ディジタルカメラを使っていると、何から何まで自動設定ですから、お任せ気分で写真が撮れて、大変便利です。不意に撮影チャンスが訪れた時に、電源入れて、1~2秒待てば、直ぐに写せます。しかし、時々不満に感じることもあります。元々絞り輪なんてありませんから、Av(絞り優先露出)等と云う芸当は難しくなります。もちろん、高級コンデジの一部には、絞り輪が付いていて、この露出が出来るものがありますが、そこまでして、と云う気は拭えません。

ディジタル一眼レフでも、Avの露出は出来ますが、多くの場合は解放測光になっており、ピントを合わせただけでどの様な仕上がりになるかは、判りづらい印象を持ちます。もちろん、実絞りボタンは付いていますので、画面の確認を取ることが比較的容易に出来ます。しかし、1つの確認作業が増えますので、うっかりと忘れてしまい、後から見ると、ちょっと目標外れ。等となってしまいます。もちろん、効果の程を覚えてしまえば、と云うことになりますが、光線状態や雰囲気、被写体の色や硬さなど、色々な取り合わせに対する絞り値は、実際のところ覚えきれません。出た所勝負的な感があります。

ここまで書いてきて、なぜ、絞りにこだわるかと云うと、作画の雰囲気が絞り値によって大きく変わるからなのです。レンズは特有の収差を持ち、それが味になりますが、収差の程度も絞り値によって大きく変わります。レンズの隅まで使って光を集めると、レンズ内のすべての個々のレンズが非球面であったり、低分散レンズであったりする訳がありませんので、取り切れなかった収差が現れてきます。ハロやにじみがその収差ですが、画面全体が柔らかく包まれる印象になります。少しずつ絞っていくと、収差が取れてきて、はっきりとした画像を結ぶようになりますが、反面画像自体が硬調となり、味気のないものになってしまいます。ディジタル一眼レフでは、更に絞りこんでしまうと、回折現象が起きて、逆に画面自体がふわふわになり、芯のないものになってしまいます。

要は、個人個人の好みの問題になるのですが、人によって好みの絞り値があるように思います。固い画面が嫌な人は解放付近になりますし、ふわふわの画面が嫌いな人は少し絞りこむでしょう。私自身も色々試してみて、好みの絞り値を持っています。昔ながらのレンズを使っていますので、解放絞り付近はよほど暗い場合の緊急手段となります。また、絞り込みすぎると、画面自体が暗くなってピントの最終確認が取りづらく、あまり使いません。

また、被写界深度も絞り値によって変わります。どこまでをピントが合った部分として撮りたいかと云うことですが、画面の硬さと被写界深度は、ばっちりと合ってくれたことがあまりありません。ある程度の妥協が必要ですし、後から調子を整えることも必要になってくると思います。被写界深度を優先して先ずは撮影し、後から調子を好みの印画紙や現像ソフトの設定で合わせ込みます。絞り輪の影響が出て、ボケが角張る場合は、点光源をなるべく避けた背景を選ぶように、被写体の周りをぐるぐると回って、一様な背景となるところを探します。

それでは、昨日撮った写真から


PENTAX K-5 EBC Fujinon-T 135mmF2.5
撮影データ:1/200sec F5.6 ISO100

月見草が、朝を迎えて赤色に染まっています。夜の間は真っ白な花ですが、流石に写真に撮れません。しべと花びらがある程度解像感良く撮影出来て、背景ボケもなだらか等と云うことは至難の技です。
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マニュアル・フォーカスで行きましょう

2012-07-30 22:39:47 | 温故知新
世の中すっかり、オート・フォーカスになってしまいました。昔ながらのマニュアル・フォーカスが懐かしいと、思われる方も多いのではないでしょうか。

花や木など、マクロや近接撮影を行うことが多い私としてみれば、オート・フォーカスで、失敗することが多いのです。花を写すと、花びらにピントが合ってしまい、肝心のしべの部分のピントを外してしまうことが良くあります。元々、カメラの合焦センサは、そんなに多く配置されていませんし、センサ部分に中心を合わせると、構図が変わってしまいます。では、ピントを合わせた後でカメラを振ればよいかと云うと、今度はコサイン誤差の影響が出て、またもやピントがうっすらと外れてしまいます。

現代のレンズは、ピントリングがほとんど見えないように、幅を細くしてあるものも多いですし、マニュアルでピントを合わせようとすると、動きが軽すぎるものが多くあります。ピントを合わせた後で、ピントリングに指がかすっただけで、ピント位置がずれてしまいますので、写真を写すというよりも、精神的に参ってしまうことが良くあります。

なかなか難しいものですね。しかし、昔から存在しているマニュアル・フォーカス用のレンズは、ピントリングの摺動部に固めのグリスを塗ってあるために、絶妙のトルク感があります。指がかすった位ではピント位置が変わりませんし、微妙な位置のピント合わせでは、ピントリングがゆっくりと動くために、0.5mm位のピント位置合わせもできます。しかし、このトルクの為にオート・フォーカスが出来なかったと思います。モータの力でピントリングを回すことが、大変であることが判ります。

ファインダーも、従来からのマイクロプリズムやスプリットなど、マニュアルで合わせやすくしたものがありましたが、今ではほとんどありません。昔ながらのファインダーが戻ってきてほしい気持ちが、かなりあります。光学ファインダー自体、かなり被写界深度が深く見えますので、ピントが合ったつもりでも、微妙にふんわりとぼけるということが、多くあります。要は、時間をかけてしっかりと合わせようということだと思います。

慣れれば、ファインダー画像の隅々まで見渡して、画像の硬さとピント位置の解像感を確かめて、最初に決めた構図のままでシャッターを切ることが出来ます。そのためには、AFアシストの利かないマット・タイプのファインダーが有利であることが判ります。いずれはスクリーン交換をしてみようと思います。

それでは、本日写した写真から。


PENTAX K-5 EBC Fujinon-T 135mmF2.5
撮影データ:1/125sec F4 ISO100
げんのしょうこの花が咲き始めました。白色と赤色の花がありますが、白色の株から咲き始める様です。
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オーバー・インフィニティ

2012-07-03 10:14:50 | 温故知新
遠景を撮影したい時に、レンズの距離計指標を∞(インフィニティ:無限大)に合わせますが、ややもすると実際の無限遠位置よりも遠く(みたいに)なって、全体がピンボケとなった写真を撮影してしまう事があります。
古いレンズでは、当たり前みたいな感じですが、指標を無限遠(∞)にしても無限遠にならないというレンズは、一番困ります。何とかごまかす手段として、絞りを大きく絞っていわゆるパンフォーカスを決め込むわけですが…。
このようなことのために、ある程度余裕をもって作りこまれているわけですね。気温によってもレンズは伸び縮みしますし、気温が変わったら無限大に届かなかった、等と云うことは避けたいですから。

持っているM42のレンズも、分解が容易なものは、1~2mm位はオーバー・インフィニティにしています。近景ばかり写しているのに、なぜ遠景にこだわるのか、と言いたいところですが、ディジタルの時代になってからは、近景の被写体を写した後で、周りの雰囲気を証拠として残しておくと云う事を行っているからです。フィルム撮影の場合は、そんなこと勿体なくてできませんので、ただひたすら周囲の情景を覚えてしまいますし、コンパクトデジカメを同行させて、写してしまうと云う事も現代ならでは、と云えるでしょう。

オーバー・インフィニティに合わせておくと、結構良いこともあります。元々∞に合わせておけば、無限遠にピントが合うこと自体、多少怪しいわけですから、無限遠にもしっかりとピントを合わせこむ癖がつきます。ピントリングが止まるところまでまわして、ゆっくりと元に戻して、ファインダー像が鮮明になったところでシャッターを切ります。単純なようですが、この癖をつけておくことで、失敗がかなり減りました。

最初は何の事だか分らなかったのですが、意外な解決法もあるものです。

それでは、4月に写した写真から掲載します。過去からの撮影データを持っていると、このようなときにさっと出せて助かります。


PENTAX K-5 SMC Macro Takumar 50mmF4
撮影データ:1/125sec F5.6 ISO400
木いちごの花です。少し絞ってもボケの形は角が立ちにくいレンズです。


PENTAX K-5 SMC Macro Takumar 50mmF4
撮影データ:1/125sec F4 ISO200
山さくらの花です。しべの部分がきれいに撮れました。被写界深度がある程度深いことは良いことです。
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写真とトリミングを考える

2012-06-04 08:01:28 | 温故知新
今の写真雑誌を見ていても、撮って出しが当たり前かもしれません。
しかし、今になって35mm判のフィルム・サイズやAPS-Cサイズのディジタル・カメラがあって、横長の印刷が当たり前になっています。
そういえば・・・初めて持ったカメラがオリンパスペンのハーフサイズと、6×6判のおもちゃのブローニー・カメラであったことが思い出されます。その中でも真四角の6×6判に惹かれました。どの角度から見ても、それなりに内容が理解できるのです。一つの写真の周りを囲んで、みんなで見ているときに、不思議と写真の角度を変えなくとも、頭の中で画像が勝手に回転して、理解できるのです。
今でも、写真を撮って仕上げる際には、真四角のスクエア・サイズにトリミングしてしまいます。プリントしても、斜め読みみたいに鑑賞できます。このため、アップした画像はすべてスクエア・サイズになっています。

昔は、パソコンやデジカメなんて無かった時代ですから、少しでも安上がりに楽しもうというときは、暗室作業が必須でした。安上がりに楽しむときは、もちろん、白黒です。その時に教えたもらったのが、上手なトリミングかもしれません。当時は、フィルムも画像周辺部分は、現像液のアタリむらが多く、濃度に不安がありましたし、レンズは絞り開放付近で周辺減光が見られました。引き伸ばす際には、四つ切サイズで周囲4cm程度大きく画像を投影する。キャビネサイズでは、同じく2cm程度。というように、撮影時にその分を見込んで小さめに写しておくわけです。

そのような感じですから、今のディジタル一眼レフのAPS-Cサイズは、非常に有り難く感じます。撮影時に、レンズ自体の周辺減光や像の流れなどの怪しい部分を取り除いてくれるわけですから・・・。
おまけに、現在は1600万画素が普通となり、撮ったままの状態で全紙サイズに引き伸ばしが可能です。好い時代になったものだ。と、つくづく感じます。大好きなスクエア・サイズにしても、大伸ばしができます。

それでは、2日前の夕方に撮った写真から。

PENTAX K-5 Super Takumar 55mm f1.8 撮影データ:1/125sec f5.6
このような植物があるとは思いませんでした。まだ自然が多く残されているといったところでしょうか。
初めはキノコかと思いましたが、立派な植物です。
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