傘寿の真保守宣言

素人の政治、スポーツ、社会評論です。
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オスプレイの論議からポッカリ抜けていること

2012-07-27 15:36:01 | 日記
          オスプレイの論議から「ポッカリ」抜けていること
 日米安保ではこの種の装備品配備は事前協議対象でなく政府や地方自治体に拒否権はない。ある新聞に「外国人、特に安全保障に関心のある外国人は日本国民の騒ぎと政府の対応を全く理解しない」と報道された。「外国の常識は日本では非常識」と揶揄されることがあるがオスプレイ問題もその一つなってしまった。
 そもそもオスプレイの配備の目的はわが国の安全保障だけでなくその卓越した性能をベースにして緊迫した東アジア情勢に対峙することにあり、既に16年前に沖縄に配備されることは日米両国の協議は終わっていた。当然、危険な基地普天間は移設されていてそこでの飛行はありえないという構想だったと思う。鳩山元首相が普天間問題をめちゃくちゃに壊してしまったのでここに来て普天間でのオスプレイの飛行が問題になってしまったのだ。元首相の罪は重い。
 政府は最初にオスプレイ配置によるわが国や東アジアの安全保障上の効果について国民に知らせる必要があったのに積極的に触れないで、オスプレイの事故の説明と弁解に終始している。基本的に政権としての説明責任を果していないと怒りを覚える。中国はオスプレイ沖縄配備を「尖閣対策だ」と警戒しているが一方でその遅れを高笑いしていると思う。
 オスプレイにも数種あり今回配備される型の事故率については、小事故は多いものの死亡事故は他機種に比し高くない。米国では、武器として構造上に欠陥がなければ使用を再開するのが普通で現在アフガンなどで実用している。当然武器は民間機と違う扱いをしているのだ。
 勿論安全性の確認は必要で日米合同委で協議するようだ。その中で直近の事故頻発の詳細、何故それを乗り越えて再使用しているかについては、国として納得するため聞き取る必要はある。しかし、そもそも航空機に絶対安全を求めるなら飛べないし、基本的に武器という認識をした上での話し合いでないと合意には至らないと思う。事実の開示はあるとしてもそれについての米国の主張は恐らく変わらないだろう。米国としては前述通り戦場で実用中の実績を踏まえ「武器としての合理的な安全性」を唱えてわが国が求める絶対安全には首を振らないと思うからだ。そして、冒頭に記したように本件は基本的に米国に決定権があるのだ。残念ながら敗戦国として米国の核の傘に守られている国の弱さを国民は認識しなればなるまい。
 政府も流石に配備断念とは言わないし言えない。仮にそういう事態になるなら日米同盟は破綻するだろうし、それは日本として米軍と同等の能力を持つ装備と兵力を準備して東アジアに対峙する義務が生ずるくらいの問題だからだ。現状でわが国にはその能力もカネもないことは誰でも理解していると思う。配置反対のデモに参加している国民や地方自治体のトップたちはこの厳しさをどのくらい認識しているのだろうか。防衛大臣はこの厳しさを言いたくてもまだいえない立場にあるのだろうが、他の心ある議員からはその趣旨の発言があってもいいのに今回はそれがない。自民党は長年政権党としてこの問題を放置してきた責任はあるのだから野田首相を支えて課題解決に一役買うべきなのに自分たちの責任には一切触れないで高見の見物では卑怯ではないか。オスプレイ、原発、消費税全てに反対という世論におびえて、来るべき選挙で我が身だけを守る姿勢がみえみえで情けない気がする。更に首相を支える立場の民主党の前原政調会長までもが背後から「野田首相は世論を甘く見るな」と批判した。しかし安全保障について全てを知っているはずの彼のこの発言は、選挙を控え世論に迎合して党の立場をアッピールした茶番劇に過ぎないと感じている。
 重ねて言おう。武器に100%安全さを求める余り国だけでなく東アジアの安全性を失うことがあっては元も子もない。政府は両国の協議で安全性について一定の理解をしたら国民に説明して国民を納得させる義務がある。それが政治の役割だし同盟国の義務だと思う。国民も冷静に「オスプレイ恐怖症」から脱却する時機と思う。       



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