MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

傑作への誘い

2014-02-17 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

02/17 私の音楽仲間 (563) ~ 私の室内楽仲間たち (536)



            傑作への誘 (いざな)




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                  扇動家ハイドン
                  芸術家ハイドン
               傑作への誘 (いざな)




 室内楽の人気曲、ハイドンの弦楽四重奏曲『皇帝』
Op.76-3
。 第Ⅱ楽章 (1797年) が、自作の『皇帝讃歌』
(1796年) を基に作られたことは、よく知られています。

 ハイドン自身も “最高傑作” と述べたお気に入りの曲
で、ピアノ独奏用に編曲したほどです。



 そしてナポレオンが攻め寄せる中、これを、ヴィーンの
自邸内で盛んに奏でつつ、自他の愛国心を高めていた
と言われます。



 しかし1809年6月1日、ヴィーンは陥落してしまいます。
ハイドンが亡くなったのは、その前日のことでした。



 男声合唱による讃歌、四重奏曲、そしてピアノ曲。

「自分が傑作を残せば、神は必ず報いてくださる。」
そんな溢るる信念を、きっと抱いていたことでしょう。

 しかし、時は彼に味方しませんでした。 作曲当時
は "神聖ローマ帝国皇帝" であった、主君フランツ・
ヨーゼフは、1806年以来、実質的には "オーストリア
の王" に格下げされていました。



 自身もフランツ・ヨーゼフであるハイドン。 二人は、
いわば運命共同体でもありました。

 作曲家が、いかに大きな失意のうちに世を去った
ことか。 それは想像にかたくありません。




 譜例は四重奏曲『皇帝』から、最終の第Ⅳ変奏です。

 何度かご覧いただいていますが、相変わらずの塗り絵
が、特に目立つ譜例です。







 色が塗られているのは、例によって各モティーフです。

 テーマは Vn.Ⅰにありますが、その他どのパートも、
モティーフで埋め尽くされていることが解ります。



 単旋律でありながら、多声的な要素を持つ、緻密な作品。
厳格な規則に則って作られていながら、ハーモニーの響き
はこの上なく美しく、感動的です。

 ハイドンが自ら “最高傑作” と呼ぶ、そのわけが解る
ような気がします。

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 話題に上る機会は、第Ⅱ楽章が多いことでしょう。

 しかし全楽章が、モティーフ的にも密接に関連して
います。




 モティーフの中には、【Sol、Mi、Fa、Re、Do】の
動きと、似ているものも見られます。



 「それぞれの音名は、“神よ、皇帝フランツを
護り給え” のドイツ語中の単語から来ている。」

 その説には、この場でもすでに触れました。







 これは、第Ⅰ楽章冒頭の主題の動きですが、
“讃歌” のモティーフの一つと似ているのは、
偶然かもしれません。

 『皇帝讃歌』の旋律は、クロアチア民謡が
基になっている…と考えられているからです。



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 『皇帝』の全楽章には、上の数々のモティーフ
が用いられました。 技法の極致を尽しながら、
ハイドンはこれらを組み合わせています。

 心の中では皇帝フランツの安泰を祈り、また
オーストリア帝国の将来を案じながら。



 演奏例の音源]は、この第Ⅳ変奏です。

 Violin は私、N.さん、Viola W.さん、チェロ M.さんです。



 おや? 最後の部分ではアンサンブルが乱れていますね。
どうか、ご容赦ください。

 この場で臨時に決めた曲で、それも一回通しただけなのです。







 実はこのメンバーは、前回まで『五度』を弾いていた四人です。

 時間が10分だけ余りましたが、何もしないで終わりにするのは
惜しい。 そこで急遽、私が提案したのが、この第Ⅱ楽章でした。



 四人の中には、この日初めて、室内楽
を経験するかたもおられました。

 もちろんこの曲は初見。 緊張のうちに
大役を果たしてくれました。




 さてハイドンが皇帝を思う想いは、その『五度』にも、
どうやら込められているらしい。 記事を読んで、そう
お感じになったかたも多いでしょう。

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 「なるほど、そうか。 『五度』の後で、お前が『皇帝』
の第Ⅱ楽章を提案したのは、それが理由だな?」

 …実は違うんです。 この演奏の時点では、『五度』
にも政治的信条が反映されていようとは、私は思って
もいませんでした。




 私が記事を書き始めるのは、いつも “演奏” の後からのこと。
スコアなどを、もう一度よく見直しながら、内容を考えます。

 そしてそれは、私にとって貴重な学習の機会でもあります。




 たとえば今回の『五度』の場合は、まず大きな疑問が
浮かんだ。 不思議なことに、第Ⅰ楽章の第二主題が、
すぐには見当たらなかったのです。

 「これは変な曲だぞ。」 すべてはそこからスタートし
ました。 結果として書いた内容が、正しいかどうかは
解りませんが。




 それは、この『皇帝』の場合も同じでした。 きっかけは、
いつも些細な問題から始まります。

 「どうやら、同じリズムがあちこちにあるらしいぞ!」




 しかしそれだけでは、どちらの曲でも限界がありました。
単なるアナリーゼに終わるだけなのです。

 譜面だけを幾ら眺めても、楽曲の中心的なアイディアが
掴めない…。 もちろん、それが無い曲もありますが。




 そんなときに目に触れたのが、伊東信宏著 『ハイドンの
エステルハージ・ソナタを読む』(春秋社2003年)の一節です。



 ハイドンの研究家としても名高い、L.ショムファイ教授に
よる論文の一部が、そこに紹介されていたのでした。

 「『皇帝』は政治的メッセージの強い作品である。」



 加えて、同じ論文では、『五度』の第Ⅰ楽章が詳細
に分析されているのだそうです。 内容は触れられて
いませんが。




 さて、今にして思えば…。

 『五度』と『皇帝』を、同じ日に、同じ四人で演奏したのは、
作曲者ハイドンの導きだったのかもしれません。




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