徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

八女市・上陽町への石橋探訪 (その6・完)

2009年02月11日 | 石橋探訪
 昨年12月28日に上陽町に石橋探訪に出掛けまして、やっと本日で最後の紹介と成りました。
別に故意に延ばした訳ではありませんが、それぞれ素晴らしい石橋を訪ねることが出来ました。
また新たな感動を味わえたことを、偉大なる先人、地域の皆様に、心から感謝したいと思います。

また、何処かに石橋を訪ねて見たくなりました。
見るだけで、癒されるものがありますね。
こうして紹介できるのも、私の喜びでもあります。

この日の予定していました探訪も終えまして、帰路につくことにしましたが、
同行のmomomamaさまが、素晴らしい4連の石橋がある、と言うので、
帰りに寄ってみることにしました。予定のリスト外です。
なるほど、いやー凄く偉大な石橋に感動しました。
帰路に着くのが、名残惜しくて、後ろ髪引かれる想いでした。

それでは、クリックでご覧下さいね。(どんぐりさまのソースです。)

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 八女市・上陽町の石橋の紹介、いよいよ最後です





本日紹介しました、八女市の石橋は、次の1基です。

⑫宮ヶ原橋 星野川 橋長:46.0m 橋幅:3.6m 径間:9.0m 架設:大正11年(1922) 
        4連アーチ 石工:豊島虎次郎氏


各データはniemonさまのHP、及び、八女市の資料から引用させて頂きました。



波懸け遊歩道・雑景

2009年02月10日 | デジカメ写真
この日は毎月決めているお墓参りの日です。お供えの花も何とか元気でした。風も強くなく温かいので、
久し振りに芦屋町の波懸け遊歩道を歩きました。潮風がぷーんと、からだに心地よい刺激を与えてくれ
ます。潮が引いた磯にも降りてみました。沖の方に行きますと、少しずつ潮が満ちていました。
少し湿った岩肌で、ちょっと滑り危なかったです。以後、用心して遊歩道まで戻ります。

 トト市場から海の駅までの往復ですが、歩数は稼げませんでした。でも、気持ちの良い散歩が出来ま
した。いつものように家内は、あちこち撮っている私を置き去りに、とっとと先に行ってしまいます。途中、
走ったりしましたが、情けないことに、息が切れそうでした。
 そう言えば、最近走ることもしていませんでした。たまには走ることも必要なのかなあ、と思った次第です。

 もし、時間が有りましたら、下のサムネイルをクリックして、眺めて下さい。


<■説明1 風は弱いと思っていましたが、遊歩道まで波の飛沫が上がっていました■
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Sakuraさまのソースです。

八女市・上陽町への石橋探訪 (その5)

2009年02月09日 | 石橋探訪
 上陽町の石橋の紹介をまだやっていますよ。今回は3つの石橋を紹介したいと思います。
市内の納又川沿いに、
遡っています。流れる水も結構きれいです。画像の説明には、なるべく感想は書かないようにしました。
ご覧の皆様それぞれに感想をお持ちと思います。

 みんな保存状態は良いようですので、これからもずーっと、水害もなく存続してくれることを願っています。保存には
地域の皆様には大変なご苦労がお有りだと想像しています。これからも貴重なこれらの石橋を守って頂だきたいもの
です。そして、そんな素晴らしい石橋を見学する人達が増える事を願っています。

 右のサムネイルをクリックしてご覧下さい。


<■ 八女市・上陽町の石橋 (その5)■
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ソースはSakuraさまにお借りしています
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本日紹介しました、八女市・上陽町の石橋は、次の3基です。


  ⑨三川橋   納又川 橋長:8.6m  橋幅:3.7m 径間:5.7m  架設:大正10年(1921年) 

  ⑩古賀橋   納又川 橋長:10.0m 橋幅:3.2m 径間:7.3m  架設:大正7年(1918年)

  ⑪納又天満宮参道橋 橋長:4.2m  橋幅:2.3m 径間:2.2m  架設:明治29年(1896年)


いずれも、データはniemonさまのHP、および、八女市資料から引用させて頂きました。


 あともう少し、残っていますので、また是非ご訪問下さいね。いつもご訪問、ありがとうございます。

裏山の可愛い小鳥

2009年02月08日 | デジカメ写真
 窓辺に三脚を据えて、待機していますと、メジロみたいな小鳥が10羽ほど、盛んに木の実を
食べています。来たーっと、喜んで撮りました。でもかなりの写真が惚けていました。その中で、
まあ見られそうな画像を選んでいます。メジロと思って撮りましたら、どうも違うようです。

調べました、口ばしは太く、色合いから、たぶんカワラヒワ(河原鶸) アトリ科のようです。私と
しては、始めての出会いに感激しました。
 皆さんには、珍しくもないでしょうが、マウスオンしますと、大きな画像でご覧頂けます。

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どんぐりさまのソースです。

折尾・堀川界隈の風景(八幡西区)

2009年02月07日 | デジカメ写真
 昨日は折尾(北九州市・八幡西区)に買い物に行きました。あまりの天気の良さに、堀川(昔は運河として
使われました。)を少し散歩・散策してみました。川沿いの昼間の風景を少し紹介します。詳しい説明は出来
ませんが、夜は一変して、飲み屋街に変身するようですよ。
 この堀川は北に行きますと、折尾駅の手前から、暗渠になっていまして、最後は洞海湾に繋がっています。
暗渠がどうなっているのかは分かりませんが、興味があります。

 ネットで調べてみましたら、この堀川運河は遠賀川の氾濫対策と、灌漑用水、水運路として作られ、明治時代
の石炭増産時は、筑豊炭田の重要な輸送路の役目をしたそうですね。また、折尾駅周辺も、いろんな変遷・歴史
があるようです。
以前は、西日本鉄道の折尾電停(電車)も近くにありまして、栄えたところです。もうどうなっていたかは、思い出し
ません。下の画像は15枚あります、クリックしてご覧下さい。

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<風景1 折尾駅から南に歩き、駅方面を撮っています、この川が歴史ある堀川です>

Sakuraさんのソースをお借りしています。

 上の画像で、川沿いのお店で、テレビで紹介されたと書きましたが、私は見ていません。まず、歩き始めて、まもなく、
「たこ大王」では、昼前でしたので、小腹が空きまして、たこ煎餅を買いまして、店内で食べさせてと言いましたが、断ら
れました。仕方なく、空き地で食べていますと、筑豊本線が通りまして、車内から見られてしまいました。
 これの味は微妙で、食べにくかったですが、若者に人気かも知れませんね。

 立ち飲み屋さんは、北九州工業地帯ですから、各地にたくさんありましたが、今ではだいぶ減っていると思いますね。
私も昔は退勤時、寄って呑んだことがあります。ある先輩は小銭を用意して、焼酎をジュースで割り、グイっと飲み干し、
お金を置くと、さっと駅に向かっておりました。後で余韻を楽しんだのでしょうね。

 次の餃子兄弟は、餃子が美味しいらしいのですが、うちには冷凍の餃子があるというので、買いませんでしたが、味見
して見たいものです。
 この辺りは、夜には、たくさんのスナックなどが並び、賑やかな飲み屋街に変身します、と書きました。以前、飲みに来た
ことがあったのですが、店の名前を忘れましたので、今も営業しているのかどうか不明でした。
 また、続きを散策してみたいと思っています。

ついに、見つかったようだ!

2009年02月05日 | 日々の思い

以前、記事にも書いたけど、花や野鳥などの名前を調べるのに、パソコンの中の
ホルダーを開けて、画像の比較を延々とやっていて、時間ばかり掛かって、成果が
出なくて悩んでいた。

最近、何気なく、偶然に画像関連のソフトをリストアップして、解説してあるサイトに
辿り着き、へぇーいろんなソフトがあるんだなあ、と感心して眺めていた。
すると、「画像検索」という項目に、かなりのソフトがあり、探していた機能のソフト
があるかも知れないと、探してみると、なんかいけそうなソフトがあった。
始めに、サイトに行ってみたら、リンク切れに成っていて、ああ、ガッカリだなあ。
でも、諦められなくて、調べているうちに、英語のサイトに、どうも探していたような
ソフトに出会った。しかもフリーとある


さっそくDLして、インストールしてみると、順調に出来た。勿論、直ぐに立ち上げて
みた、えっ、そうか、やっぱり全部英語ではないか。
考えたら、英語のサイトから持ってきたのだから、全部英語で当たり前なのである。

こんな良さそうなソフトが、まだ誰も日本語化していないのだ。まだどういう仕事を
してくれるのか、分からぬままに、勿体ないと思っているのである。

せいぜい、File、Open、Tools、Helpくらいなら、いくら英語に弱いでも理解出来る
が、他に色々と難しそうな単語が並んでいる。
使い方がまったく分からない、下手したら、画像が削除なんていう目に会わないとも
限らない、用心に越したことはない。
だれに聞きようもなく、一人で解決して、使おうと決心した。

さて、幸運にも探し当てたのは、Dup Detecter というソフトだ。
誰か使ってる人いませんか? 何て、呼びかけてみる。

立ち上げた初期画面です。
   

仕方ないので、これから自分で、言葉を訳して行くしかないけど、果たして意味が
通じるのかなあ。でも、やってみるしかない。

このソフトが使えたら、たとえば分からない花の画像があると、パソコンの中の
あるフォルダの中の沢山の画像から、似た画像を拾ってくれる、のではないかと
思っているが、果たして期待はずれだろうか。

詳しい人、居られませんか? 教えて下さ~い。


八女市・上陽町への石橋探訪 (その4)

2009年02月04日 | 石橋探訪
 昨年の12月28日に、訪れました上陽町への石橋探訪の続きです。
この町の石橋はすべて、良い状態で残されていました。
本日は、次の3基を紹介したいと思います。


⑥ 栗林橋   星野川 橋長:39.0m 橋幅:3.7m 径間:18.9、12.0m 
竣工昭和4年11月 石工:山下佐太郎氏
⑦八重谷橋   横山川 橋長:15.5m 橋幅:2.4m 径間:13.0m 
架設:大正10年 石工:山下佐太郎氏    
⑧飯塚橋   横山川支流 橋長:12.0m 橋幅:3.6m 径間:8.6m 
架設:昭和5年 石工:和住庄市氏   


それではサムネイルをクリックして、ご覧下さい。

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写真をクリック
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八女市・上陽町の石橋探訪-4
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まだ、続きが残っています。準備が出来ましたら、紹介したいと思います。
ご覧頂けますと、嬉しいです。いつもご訪問、ありがとうございます。

 石橋のデータはniemonさまのHP、及びmomomamaさまから頂きました資料(八女市の資料)
から抜粋させて頂きました。

記事に罫線を入れる   改-1

2009年02月03日 | ブログの小技
どんぐりさまが、ブログで、記事に罫線を入れる技を公開されていましたので、実験です。
 
いつの天皇の御世であったか 女御や更衣が大勢お仕えしている中に 家柄も身分も
それほど高くはなかった 一人の女官(桐壷の更衣)が 帝の寵愛を一身に受け、玉の
男皇子を生んだ。
しかし弘徽殿の大后をはじめ、他の妃たちの嫉妬の怨念と迫害を一身に受け、源氏三歳
キンセンカの時に横死してしまう。 そして父帝は更衣同様、強力な後見のない皇子を東宮に立てて
は 皇位継承争いに巻き込まれた時、かえって苦労すると考え、「一世源氏」として臣籍
に降下し、人びとから「光る源氏」と呼ばれるようになる。 その後、帝は源氏十歳の時、
更衣に瓜二つの藤壺の宮を入内させた。 (ネットから、源氏物語のあらすじ、より)
 
以上、ちゃんと表示されているようですね。画像も入れて、テストして見ました。 


どんぐりさまのソースです。

撮ったぞー、メジロ君を

2009年02月02日 | デジカメ写真
 大袈裟なタイトルで、済みません。テレビで浜口君が叫んでいましたので、つい。裏山によく来るメジロ
です。動きが速くって、なかなか撮れなかったんですが、この日は窓際に、三脚を置きまして、待機して
いました。まあ、こんな時は来ないんですよね。

かなりの時間が経って、チョロチョロしていました。慌てて準備して、やっとこさ(方言!)1枚撮れたん
ですよ。もう次は居ませんでした。アッハ、貴重な1枚になりました。

オマケ画像が多くなりましたが、ご容赦下さい。


 昨日はいつものグリーンパークを歩きました。そして、マガモなどを撮ったんですが、あまりきれいに
撮れていないんです。見られそうなものも、少しありますので、またの機会に披露したいと思います。

画像をクリックして、ご覧下さいね。

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<■1■ 撮りましたよ!、メジロ、えっ、分からんって。>

どんぐりさまのソースです。