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西国三十三ヵ所巡礼の旅  第6回  その4 六角堂頂法寺

2011-02-20 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅

西国三十三ヵ所巡礼の旅、六波羅蜜寺の次は第十八番札所・六角堂です。

正式名称は紫雲山・頂法寺(しうんざん・ちょうほうじ)。 

上から見ると、本堂が六角形であることから「六角堂」の通称で親しまれてきた古刹。

 この地を訪れた聖徳太子が池で沐欲をした際、念持物を脇にあった木にかけると

離れなくなり、その夜、夢の中で観音様よりお告げがあり

その念持物を祀るお堂を建立したことから寺の歴史が始まったそうです。

 

 

本堂の横には、聖徳太子が沐欲をしたと伝わる池の跡があり、

ほとりには小野妹子を始祖とする住持の寺坊があったそうです。

このことより寺の人は「池坊」と呼ばれ、池坊代々の執行によって いけばなが完成。

現代でも六角堂は いけばなの聖地とされ、周辺を池坊の近代ビルが囲んでいます。

池坊ビルの展望エレベーターから本堂の六角形を確認させて頂きました。 

 

西国第18番  六角堂頂法寺

 

 

住所:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248

宗派:天台宗(単立)

本尊:如意輪観世音菩薩

開基:聖徳太子

創建:用明天皇2年(587年)

御詠歌:わが思う心のうちは六(む)つの角 ただ円(まろ)かれと 祈るなりけり

 

 

 

 

次は行願寺に続きます。


西国三十三ヵ所巡礼の旅  第6回  その3 六波羅蜜寺

2011-02-12 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。
山号は補陀洛山で西国三十三ヶ所第17番札所です。






天暦5年(951)、都に疫病が蔓延した際、醍醐天皇の第二皇子光勝空也上人は
病魔退散を祈って十一面観音像を彫り、車に安置し市中を曳き、念仏を唱え歩いた。
また仏前に供えた結び昆布と梅干しが入ったお茶「皇服茶」を人々に授け、
悪疫を鎮めたという。そして亡くなった人々を供養するため一堂を建立し、
十一面観音像を祀ったのが寺のはじまりと伝わる。




西国17番 六波羅蜜寺




 
住所:京都市東山区松原通大和大路東入2丁目
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観世音菩薩
開基:空也上人
創建:天暦5年(951年)
御詠歌: 重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
 








次は頂法寺(六角堂)に続きます。


西国三十三ヵ所巡礼の旅  第6回  その2 元慶寺

2011-02-11 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


西国三十三ヵ所巡礼の旅、清水寺の次は番外・華頂山 元慶寺
(かちょうざん がんけいじ)に行きました。 

元慶寺は京都市山科区にある天台宗の寺院。遍照僧正を開基とし、
元慶元年(877年)に建立された。西国三十三ヵ所霊場の番外札所である。
番外札所とは西国巡礼の創始やその後の発展に関係のある特別な寺院です。

元慶寺は西国霊場の「中興の祖」とされる花山天皇ゆかりの寺院。
花山天皇はこの寺で謀略により出家させられ、皇位復帰の道を絶たれてしまう
悲運の天皇。寺院の境内には「花山院法皇 御落飾道塲」の石碑があります。



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( マウスオン・クリックで3枚です) 


住宅街の中にひっそりとある元慶寺、白い唐風の竜宮造りの山門を入ると
左手に本堂があります。 本堂も納経所も こぢんまりしていましたが、
静かなたたずまいの落ち着いたお寺でした。

遍照僧正は百人一首でおなじみの歌
『天つ風 雲の通ひ路吹きとじよ をとめの姿しばしとどめむ』の作者だそうです。




 
住所:京都市山科区北花山河原町13
宗派:天台宗
本尊:薬師如来
開基:遍照僧正
創建:元慶元年(877年)
御詠歌:待てといはば いともかしこし花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな
 








次は六波羅蜜寺に続きます。


西国三十三ヵ所巡礼の旅  第6回  その1 清水寺

2011-01-30 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


西国三十三ヵ所巡礼の旅、1月は第4回なのですが、旅行社の都合で第6回が先に
なりました。 なので、この日は⑯清水寺→番外元慶寺→⑰六波羅蜜寺→⑱頂法寺
(六角堂)→⑲行願寺です。  まず第16番札所清水寺

京都・東山にある清水寺は山号を音羽山。 奈良時代末期、大和の僧・延鎮上人が
音羽山中で千手観音像を彫り庵に祀った。その後、坂上田村麻呂が訪れ仏殿を建立し
本尊の十一面千手千眼観音を安置したという。 清水の舞台で有名な本堂は寛永10年、
徳川家光の寄進により再建され、国宝にも指定されている。
その懸造りの舞台からの眺めは京都随一といわれる美しさで、多くの観光客が訪れる
スポットになっています。




マウスオン・クリックで戻ります。(2枚)
1枚目:仁王門 (左)、西門と三重搭(右)
2枚目:清水の舞台から京都市街を! 京都タワーも見えます。


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清水寺は世界文化遺産に登録されているお寺で、重要文化財も多数あり、今までの私も
含めて殆どの人は西国霊場のお参りというよりも、観光気分で訪れているようです。
他の三十三ヶ所札所とは違った賑やかな雰囲気です。
この日も清水坂で着物姿の若い女性のグループが外人さんに囲まれて写真を撮っていたり、
三寧坂(三年坂)、二寧坂(二年坂)も大勢の観光客で賑わっていました。




国第16番 清水寺


 


 
住所:京都市東山区清水1丁目294
宗派:北法相宗 大本山
本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
開基:延鎮上人
創建:宝亀9年(778年)
御詠歌:松風や 音羽の滝の清水を むすぶ心は 涼しかるらん
 






西国三十三ヵ所巡礼の旅  第3回  その5 壺阪寺

2011-01-25 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


岡寺を後に この日の最終は第六番札所壺坂寺です。 
南に桜の名所・吉野山を控え、北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望に
おさめる壺阪の山に建つ壺阪寺は壺阪山・南法華寺といい、
本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった
人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名です。
また昭和39年よりインドでのハンセン病患者の救済活動を行い、そのご縁で
インドから招来された「天竺渡来大観音石像」は、大理石造り、高さ約20m、
総重量1200トンの壮大なもの。
また大観音石像の下には全長8mの寝大仏「天竺渡来大涅槃石像」が安置されて
います。他にも台座を含め高さが15mの「大釈迦如来石像」、通称「壺阪大仏」
など多くの巨大石仏を見ることが出来ます。








下の三重塔にマウスオンすると天竺渡来大観音像
→クリックで戻ります。
三重の塔は本堂(礼堂)と共に、国の重要文化財に指定されています。


 

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西国第6番 南法華寺 (壺坂寺)




 
住所:奈良県高市郡高取町壺阪3
宗派:真言宗
本尊:十一面千手観世音菩薩
開基:弁基上人
創建:文武天皇 大宝3年(703年)
御詠歌:岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭のいさごも 浄土なるらん 
 






西国三十三ヵ所巡礼の旅  第3回  その4 岡寺

2011-01-23 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


法起院の次は明日香村の東、岡山の中腹にある第七番札所 岡寺に行きました。 
岡寺は山号を東光山、正式名は龍蓋寺(りゅうがいじ)といい、古代 飛鳥の面影が
残る日本最初の厄除け霊場です。





寺伝ではおよそ1300年前、天智天皇の勅願により義淵僧正が建立したとされ、
江戸時代までは興福寺の末寺であり、以降は長谷寺の末寺になったそうです。
境内には かつてこの地を荒らし農民を苦しめていた龍を義淵僧正が法力をもって
封じ込めたという「龍蓋池」があり、寺名の由来といわれています。
またこの説話が日本最初の厄除け霊場として知られるようになった所以のひとつと
伝わっています。
約3千株ものシャクナゲが植えられ、見頃になると境内を鮮やかに彩るそうです。




第7番 東光山 岡寺



 
住所:奈良県高市郡明日香村岡806
宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観音坐像
開基:義淵僧正
創建:天智天皇2年(663年)
御詠歌:けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃(るり)の 光なりけり
 







この後、壺坂寺に続きます。



西国三十三ヵ所巡礼の旅  第3回  その3 番外 法起院

2011-01-22 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


長谷寺をあとに次は番外の 豊山 法起院(ぶざん ほうきいん)に行きました。 
長谷寺への賑やかな参道からは見過ごしてしまうほど小さな法起院は
西国巡礼の創始者でもあり、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲したお寺です。
山門の左側には金文字で「長谷寺開山 徳道上人御廟所」、右側には
「総本山長谷寺開山坊 法起院」と書かれていました。



西国番外 法起院


                                   
 
住所:奈良県桜井市初瀬776
宗派:真言宗豊山派
本尊:徳道上人像
開基:徳道上人
創建:天平7年(735年)
御詠歌:極楽はよそにはあらじわがこころおなじ蓮(はちす)のへだてやはある 
 







なにぶんツアーなので忙しくて写真を撮る間もなくて。。。


西国三十三ヵ所巡礼の旅  第3回  その2 長谷寺

2011-01-15 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


葛井寺の次は第八番札所、長谷寺に行きました。 

長谷寺は山号を豊山とし、朱鳥元年(686年)、道明上人が天武天皇のために
「銅板法華説相図」を初瀬山西の丘に安置したことにはじまり、のち神亀4年(727年)
徳道上人が聖武天皇の勅願によって、ご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。
徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、
長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、初瀬詣、長谷信仰は全国に広がりました。



西国第8番 長谷寺


                                   


仁王門から本堂まで長さ200m、399段の登廊が続き、その両脇を中心に境内には
約7000株の牡丹が植えられ、花の寺として名高い。
木造建築物としては東大寺大仏殿、吉野山蔵王堂に次ぐ規模と言われる本堂は国宝に指定され、
舞台からは万葉にも詠われた初瀬の地を見渡すことができます。




 
住所:奈良県桜井市初瀬731-1
宗派:真言宗
本尊:十一面観世音菩薩
開基:徳道上人
創建:朱鳥元年(686)
御詠歌:いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川 
 






西国三十三ヵ所巡礼の旅  第3回  その1 葛井寺

2011-01-12 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


UPが遅れて今頃ですが、昨年12月に第3回・西国三十三ヵ所巡礼の旅に行きました。
今回は⑤葛井寺→⑧長谷寺→番外法起院→⑦岡寺→⑥南法華寺(壺坂寺)です。
まず最初は大阪府藤井寺市にある第五番札所、葛井寺 (ふじいでら)。
葛井寺は紫雲山と号し、剛琳寺ともいいます。




西国第5番 葛井寺




葛井寺は、7世紀代に葛井氏の氏寺として建立されたと考えられます。
その後、荒廃した時期もありましたが、何度かの修理や改築を経て現在に至っています。

当寺が所蔵する室町時代の「葛井寺参詣曼荼羅」には堂塔は、薬師寺式伽藍配置として
描かれており、創建時にも同様の伽藍配置を取っていたものと推定されます。
現在では境内に残された塔心礎をはじめとしたいくつかの礎石に当時の名残を
とどめています。
本尊は脱活乾漆造の千手観音菩薩坐像で芸術的にも優れ、天平時代の代表的な仏像と
して国宝に指定されています。 (境内の案内板より)




 
住所:大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
宗派:真言宗御室派
本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
開基:行基
創建:神亀2年(725)
御詠歌:参るより 頼みをかくる葛井寺 花のうてなに 紫の雲 
 






次回は第八番札所 長谷寺です。


西国三十三ヵ所巡礼の旅  第2回  その3 施福寺

2010-11-25 | 西国三十三ヵ所巡礼の旅


粉河寺を後に、この日 最後に訪れたお寺は大阪府和泉市にある第4番札所、
槇尾山・施福寺(まきのおさん せふくじ)です。
通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)と言い、標高491mの槇尾山頂上近くにあります。

本堂に至るには約1kmもの急峻な山道の石段を登らなければなりません。勾配がきつくて
まるで登山のような感じです。
その過酷な道のりは西国三十三箇所の中でも厳しい参道として知られています。




(画像クリックで5枚です。 non_non様のソースをお借りしました。)

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本堂までもう少し、というところに、愛染堂があります。「弘法大師剃髪所跡」という石碑が
建っています。
このお寺は空海が16歳の時から修行を積んだといわれ、この愛染堂で20歳の時に
勤操僧正を戒師として剃髪を受けたそうです

登山のような急な石段続きで汗をかいて息もハァハァしていたので、途中は写真を
撮るのも忘れて ひたすら登りました。 3~40分してやっと本堂に着きました。

本堂前は広場になっていて馬の銅像が建っています。
花山法皇が道に迷った時、馬が道案内をしたという故事にちなんで馬頭観音が安置
されています。
広場からの眺望が素晴らしく、葛城山、金剛山などの山並みを望むことができます。



 
宗派:天台宗
本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
開基:行満上人
創建:欽明天皇(539~571)の時代
御詠歌:深山路や 檜原松原 わけゆけば槇の尾寺に 駒ぞ勇める










無事に参拝を済ませ、帰りは同じルートを降りて行きます。下りは滑らないように足元に
注意しながら歩くので、結構 楽ではないですが、それでも登りよりは短時間で麓に到着。
西国三十三ヵ所の中でも屈指の難所と言われているのが納得しました。